前園はかなりの部分、劣等感に占められている。だからこそ人一倍練習しても物足りないと感じるし、周りの自分より優れた人にはその理由を求めてしまう。高貴なる義務、とは思わないが少なくとも御幸一也には野球の才に恵まれ、主将と言う立場を与えられたからには、結城のような気まじめさや人望があってしかるべきだと思うのだ。
だが、同時に野球人としては天才でもただの高校生としては彼が大いにダメな人間であることも分っている。野球においてのリーダーが普通の高校生のリーダーには向いていないことは副主将を了承したとき分っていたはずだった。
「なんでわしが副主将なんやろ。ケガのことかて倉持は気付いてたのにわしは、試合が始まってもちっとも気付かんかった。」
こういう愚痴っぽいところも本人は嫌いだ。
「まあ、分っとるんや。お前が代理でわしが副主将のまんま。課長代理と係長ゆうたら課長代理のほうが偉そうやもんな。そもそもなんでわしが副主将なんや。白州とかのほうが落ち着きもあるし気も配れるやないか。」
甘えているだけ、相手に気を使わせるだけなのも分っている。ただし、それが倉持であれば迷惑感を明らかにしてくれるので気楽に弱音を吐くこともできる。
予想通りうんざりした表情でミーティングを終え席を立ちかけた倉持は、目の前でかわいくもなく落ち込む前園を追い打ちをかけるようにヤンキー独自の冷ややかな目で見降ろす。
「俺が気付いたのはお前よりあいつと長い時間一緒にいるし、たまたま調子の悪そうなタイミングで居合わせたからだ。そもそも、ゾノのほうが御幸になつかれてるだろ。だから、そういった鈍いとこも含めて、副主将なんじゃねえの?」
気付きすぎる男、倉持洋一は御幸が気付かれたくないと思っていたことにも気付いている。
「御幸が?わしに?なんでや。」
「知らねーよ。基本、ぼっちのあいつが、クラスも違うし、レギュラーでもないしピッチャーでもないお前にだけは自分から近寄ってた風だったし、ナベの件でケンカしたときだって、「折れるつもりはないけどゾノに嫌われたとしたらやだなあ」とか言ってたぞ。ああ、まだ喧嘩は続行中みたいだしそれで気付かなかったんじゃねぇの。」
「え、あいつそんなことゆうてたんか?!」
「いや、ごめん。言ってない。」言うわけがない。
「なんでそないな嘘つくぅ。」
わざとらしく泣きまねをするがかわいくない。
「いっちゃねえけど、そうだと思うぞ。」
多分、間違いない。よく気付き、細やかでさりげなく優しいところも倉持なのだ。そして、ダメだとわかってもさらにすねるのが前園であり、そのある意味表情豊かな素直さが御幸や倉持にはとても好ましいものだとは気付けない。
ともかく、ナベの件は、謝ったわけでもなく、確かに自分は何となく済んだことにしていたが、考えてみればあれは自分のやっかみもあった。部員の進退などの相談ごとに人間関係をうまく築くのが苦手なあの男に期待するのがそもそもおかしいのだ。
…哲さんみたいなキャプテンにはなれないと監督だってわかっててだから、わしと倉持が副主将だったんやないか。
あきれ顔の倉持は、「うだうだ落ち込んでる暇があったらやるべきことをやったほうがいいんじゃね。」と言って、去って行った。
すでに自分に非があることは認めていたし、基本前園は素直だ。御幸に謝罪しなかったのも機会がなかったからだ。と言うか、忘れていた。
秋大が終わり、ひと段落付き、御幸は強制的に休憩となっている今は自分の気持ちを伝えるいい機会だ、と前園は思った。
そして彼は思ったことはすぐに実行する男だった。
と、いってもわざわざ私室を訪れるような男でもない。
数日後、全体練習を終え室内練習場でバットを振っていると、病院帰りの御幸が姿を現す。特に誰かを探しているようではないが、室内を一瞥して、バランスボールが転がっているのを見るとてくてくと近づき「よっこいしょ。」と年寄りくさい掛け声で座った。
なんとなく、手をとめてみていると、ものの3秒で転がった。
「あほかー!。」転がる勢いで吹き飛んできた巨大なボールが、狙ったように前園にぶつかる。重量のあるものではないし前園だったのでぶつかった側に大した衝撃はない。
背中から転がった御幸の周りにわらわらとチームメイトが集まり声をかける。
「なにやっとんじゃ。このけが人が。」
もちろん一番の大声は副主将である。
「ごめん、ごめん。」
深く考えていないのが明らかだが、御幸は割と簡単に謝罪する。だが…。
「…なにに対してや、そのごめん、は。」前園は不機嫌もあらわに問いかける。
「え、えっ?」
「謝るってことは悪かった、おもってるんやな。だから、なにが、悪かったんかて聞いとるんや。」
前園の一方的な剣呑な雰囲気に周囲の空気も冷えていく。
「ボールをぶつけて、ごめん、って。」
試合中の頭の回転の速さを裏切るぼけっぷりにバットを支えにうつむくとため息を漏らす。
…そうや、こいつは、こういうやつや。腹が立つほど野球から切り離されると鈍いというか、あほというか。
常なら思ったことをため込んだりしない直情型人間の沈黙に集まっていたメンバーは何事にも対処できるようにととりあえず御幸を守るように囲み、様子をうかがっている。
「背中、大丈夫か?」
つかまれと手を差し出すとあっさりと握り返し立ち上がる。一転、紳士的な前園の対応に混乱しながら無意識に手を取る。どうでもいい支えには躊躇なく甘えられるのだ。
「え、あ、うん、大丈夫。」
「お前の大丈夫はあてにならん。小湊、確認してみ。」
「は、はい。」
ちょうど御幸の背後にいた春市がシャツをめくり土のついていたあたりを触ってみる。脇腹は捻ったりぶつけたりしないようにクッション素材のコルセットで固定されていて直接確認することはできない。初めて見たときは内出血か大きく赤黒くなっていてずいぶん痛々しかった。慌てる表情の中に痛みをうかがわせるものがないか一瞬も視線を外さない。春市はさらに髪に土がついていないか、頭を打っていないかを確認して小さくうなずいた。
「大丈夫そうです。」
「ほら、大げさなんだから。」
だが、前園のため息と思った以上に暗い顔に黙り込んだ。
「謝るとすれば、皆に心配かけたことや。お前はもうすこし…野球の神様だけやのうて、仲間にも思われとるっちゅうことを自覚せんとアカン。」
ひんやりとした空気のまま前園は思ったことを正しく伝えたいと考え考え言葉にする。どうせ、後で恥ずかしく思うのは分っているが、せめて伝えてたいことはきちんと伝えないと、と必死だ。
「ごめん、て言わんとアカンのはわしのほうや。」
「は?」
怒ったり謝ったり、御幸は前園の思考の変化についていけない。わたわたしているうち言った通り、「すまんかった。」と謝られてしまった。
「え、えーと、だから今度は何?」
御幸もケンカ…ではないのか…いさかい事でもめていたことなどすっかり忘れているのだろう。
「ナベのことではわしも言い方が…わしの思い込みで無責任に認めんとか言ってしもて…悪かった、と、おもてる。」
あまりそうした場面を見られるのは、ならば場所変えろよとも思うが、いやだろうからと気配りのできる小湊は周りにいた連中もそろそろ部屋に帰ろうと促して練習場を離れた。
さすがや、小湊。気の付く彼に感謝しつつも広い室内練習場に苦手な御幸と二人きりというのはいたたまれない。
「…言い方?」
「辞めたっかったら辞めてええ…考えてみればそれこそ主将の言葉やった。それは主将としての考えや。ナベはわしなんかより周りの皆のことがわかってるから、お前の言いたいことをきちんとそれがわかってたんやと思う。」
ナベはあれが御幸一也という一個人の感情ではないと見抜けたから。この男が主将と言う立場を重荷に感じていながらそれらしく振舞おうとだれにも頼れないで無理をしていることに気付いたから。
「俺の言いたいこと、て、なに?」
「そやな。あん時、もしお前が主将でなく、わしが、辞めたい、言うてたら、お前どう思う?」
「俺が主将じゃなくて、ナベじゃなくてゾノが?」
腕を組み視線を斜め上に向ける。少し悲しげな表情を浮かべている自覚はない。
「でも、ゾノは野球が好きだろ。わざわざ野球留学してここに入ってくるくらい。なら、レギュラーになれなくっても野球はやめられねえだろ。」
「ナベには…レギュラーになれないなら3年間野球に無駄に時間を費やさせたくないとか、後で苦しいだけの高校生活だったとか思われたくない、んなこと考えてなかったか?思ったことでなく考えて発言せんかったか。」
「だって。」
「正直、お前には哲さんみたいな人徳や威厳はあらへん。野球をしてへんお前には主将としての資質なんかちぃとも期待してへん。それでも…みなお前がどう感じとるかを仲間として気にしとる。で、も一回聞く。わしが辞めたいいうたらお前、どんな気持ちになる?」
再び黙り込んで考えてしまう。でも、思うのは…。
「いやだな。ゾノともっと野球がしたい。」
心の奥の小さな感情を口にすると、すとんと、何か落ちてくる。
ああ、そうだ。ゾノだけじゃなくナベや倉持や青道のみんなとずっといっしょに野球がしたい。終わってしまうのが分っていて永遠に今が続かないのが、とても悲しい。
渡辺は自分はここにいてもいいのか悩んでいてそれなのに俺は、まるで俺には関係ないかのように、突き放してしまったのだ。一緒に野球を続けていいかと尋ねたことに、まるでそれは一人で考えればいいといったようなものだ。
うつむいてしまった顔をあげる。
「そっか、そうだよな。俺ってばひどいこと言ったよな。」
思った以上に、そもそも詰るつもりなどなかったのにむしろ落ち込ませたようで前園も急に慌て始める。
「い、いや、だから。ナベはちゃんと分ってるって。あてにされてるって分ってて、うれしかったって言ってたし。大丈夫や。そっちは、全然大丈夫や。だから、なのに、わしがいらんことで責めてお前がキャプテンにむいとらんとか無理やとか、まあ、むいとらんとは思てるけど…いやだから、そういったことはワシや倉持がこれから気を配るようにするから、お前はお前のしたいようにしてええんや、と言いたかったわけで…。そのままのお前で十分やとゆうてるだけで…。ああ、もう!倉持がわしとケンカしてお前が落ち込んどるゆうたから、わるかったおもてる、て謝っとかんとすっきりせんかっただけや。」
照れくささのあまり最後は半ば喚き声になっている。大声でごまかそうとしているらしい。
こうした前園の素直さは御幸にないものでひそかにうらやましく思っているところだ。
「やっぱ、俺、ゾノが好きだなぁ。」
素直なはずがどこかひねくれた御幸の発言はまた、前園を照れと怒りで真っ赤にさせるのだ。
「と、いうことがあったわけだけど、お前、ゾノになんて言ったんだ?」
と、目の前の男に言われ、倉持は昼の焼きそばパンを食べようと開いた口をぽかりと、閉じるのを忘れ固まる。
…こいつら、キモイやり取りしてんな。
つい、自分がその場にいなかったことを感謝し、春市、グッジョブと親指を立てる。
まあ、野球しか知らないふた昔前の青春スポコンドラマを地でいく男子高生なら仕方がないか。
「けんか続行中だろ、くらいか。」
御幸が前園に一番なついている発言はこの際、なかったことにする。
「んー。まいっか。ゾノのことはともかくナベのことは少し分ったような気もするからよしとしておく。」
その割にはすっきりしたふうではない。自分に非があると気づいたのに前園に謝らせたこと、なぜ謝られたのかまだ納得できていないのだろう。
否定しようのない野球の才能への妬みは一生理解できないだろう。才能に胡坐をかくことなく努力を積み重ねても結局、「天才だから。」と突き放される寂しさを理解できないように。
どんぶり3杯を掻き込むことに慣れた野球部にとって1時間の昼休憩は食事だけをするには長い。普段なら次の特に眠気を誘う授業に備えて仮眠をとったり雑誌を読んだり、スコアブックを広げたり有意義に使える時間だ。
だが、たまにはこうしてただ暇つぶしに話すのもいい。
「で、さ。ついでに俺もお前に感謝してるって言っておこうと思ってるんだけど、どうかな?」
なんなんだ。その回りくどい『ありがとう』は。素直にありがとうっても気持ち悪がられることは分ってるから、遠回りに誤っているのか?
「はあ?構わねえけどだいたい何に対してだ?」
焼きそばパンを食べ終わり、メロンパンを手にする。
「薬師との試合のとき、勝ってから倒れろって、辞めろって言わなかったろ。あれ、きつかったけど嬉しかった。」
言っておいて恥ずかしくなったのかわずかに顔を赤くするから、うとぁー、はずい奴と思いながらも倉持もつられて赤面する。ぼっちな男子高校生二人が窓際の席で二人顔を赤くしていたら腐女子たちに何を言われるかわからないと気づき、今度は青ざめる。
「喜ぶようなことじゃねえだろ。」
「そっか?でも俺が大丈夫っつてんだから大丈夫って、なんか、信頼されてんのかな、とか、少しは認めてくれてんのかな、とか、思ったりっもしたわけで…。」
まったくこの野球バカは。天才な上に性格もいい御幸一也なんて下手に素直になられると周りの人間を落ち込ませるだけなのに。
「そんないい意味だけで言ったんじゃねえよ。」
この馬鹿は、人の感情の中でも特に妬みや嫉妬に鈍感だ。
そうした表情は童顔に見えると気づいているからあまりしないぽかんとした気の抜けた表情で見上げてくる。どういうことか疑問に思っているのには気付いたが、予鈴が鳴ったので倉持は、聞かれる前にごみを片付けて席に戻った。
背中への御幸の視点が痛い。
キャプテン代理としてランニングは先頭に立っているから軽いランニングを許可された御幸も今限定で倉持の後ろを走る。
昼間の発言が気になっていはいるが、その先を言わないということは言いたくないのか、聞いてもいいのか、悶々としているのだろう。相変わらずチームメイトに注目されている自覚がないので後ろをついてきている連中は倉持が御幸を怒らせるようなことを何かして、だが、多分悪いのは御幸と思いつつ、睨まれているのだろうとみられていることには気づいていない。御幸だけでなくチームメイトの視線にもさらされ、キャプテンとはいらない気苦労が多い…とため息を抑えられない。
「御幸、入るぞ。」
御幸の部屋は、かつては3年が入り浸り、今は「キャプテンと同室なんて恐れ多い。」と後輩が別の2軍の仲のいいチームメイトの部屋にすっかり逃避してしまっているため、ほとんど一人部屋となっている。その御幸も休憩時間は食堂にいるし、仲直り(?)してからは相変わらず前園の部屋に行ってることが多い。
どちらにもいないことは確認済みなので今日は部屋にいるはずとノックをして返事を待たず入る。基本、御幸は部屋に鍵をかけない。
ヘッドホンをつけて何か音楽を聴きながら机に向かっている。見ているのはスコアブックらしい。背後に立つと影ができてやっと振り向く。
「…倉持。来てたのか。気付かなかった。」
スイッチを切りヘッドフォンを外す。
「不用心すぎるぞ、お前。監督にも戸締りはきちんとするよう言われてただろ。」
「えぇ、だって部屋の奴が帰ってくるかもしんねえし、お前みたく用のある奴がくっかもしんねえし。」
「そんなちゃんと考えてねえだろ。めんどくさくて油断してるだけ…。」
叱りかけて我に返る。そう、用があったのだ。いつまでも御幸のお守や教育係りではいけない。立場を自覚しろ。
買ったばかりでまだ熱い缶コーヒーを差し出すと「なんの賄賂だ。」といいつつも受け取る。
「賄賂じゃなくてお詫びの品だ。」
とたんにいつものにやにや笑いを引っ込めおびえたような表情を浮かべる。
ああ、やっぱり。
練習中にもう一つの可能性に気付いちまったらしい。
『勝って倒れろ。』
勝てなかったら許さない。勝ってから倒れてしまえ。
励ましではなく、罵倒だったのではないかと。
まあ、あそこで、『いい意味じゃない』と言えばそう思っても仕方ない。相変わらずこの馬鹿は自分の価値をわかっていないのだから。
「そうじゃねえよ。」
「な、にが?」
立ち話も落ち着かないので、本来は1年のここ最近使われた様子のないベットに腰を下ろす。
コーヒーに手を付けていない。飲まれないコーヒーは、そのまま冷えていく。
「お前がいなけりゃ勝てないとも、お前ならやれると思ってたのも本当だけど、俺個人として、倒れるくらい必死になってみろ、って気持ちもあったってことだ。」
「って、何?」
「お前自分が他人にどう見られてるか分ってねえだろ。ゾノや俺がお前の才能に嫉妬してるとか気付いてねえから、俺らが時々、無理な要求してるとか思わねえんだろ。」
「無理、じゃねえ。」
「無理だろ。勝てるかどうかはチーム全体の問題だ。お前一人で背負うことじゃねえ。」
ふと、倉持は怖くなった。もし本当に負けていたら御幸はどうなっていたか。自分のせいだと気に病んで体だけではなく心まで傷をつけてしまったら、クリスの二の舞どころか野球から無理矢理離れるために青道高校からいなくなっていたかもしれないのだ。それなのにそうなったとき自分は、どうするだろう。関係ないと部外者のふりをするのか…。そしてのうのうと野球を続けられるのか?
「…ごめん。軽はずみだった。
あの時、あれは励ましなんかじゃなくて、俺の中では『無理してみろ。』って気持ちもあった。
お前はほんと野球の才能だけはあって、俺らが必死にがんばって頑張って手に入れたものを何の苦労もしなくて手に入れちまうから、もっと死に物狂いになってみろよ、限界だ、って言えよって。
凡人に難しい状況に立たされてもっと上に行けって要求されれば天才でも無理だ、って弱音が出るんじゃないかって、多分、思った。」
恵まれた人間を自分と同じところまで引きずり下ろしたい欲求。無自覚な傲慢。
殊更、御幸が野球以外のことに不器用だと思いこみたいことも、世の中は不公平で努力が必ずしも報われるものではないとも、それでも自分は今のところ恵まれている側なのも分っている。
空高く舞い上がるものを引きずりおろしたい残酷な欲望。
深い考えがあったわけではない。ほんの少しの『できるもんならやってみろ』という思いの裏の深い、暗い、欲求。
オレタチトオナジバショニ、ココニ、イテ。
「お前だって野球に関しては手を抜いたりしてないのは分ってるんだけど頑張る、じゃなくって必死な、無理なくらいやってるところをみたいっていう俺の、自分勝手な願望があったと思う。だから、ほんっとうに悪かった。御幸が感謝するような意味で言ったんじゃねえからお前は怒るべきで俺は謝らねえとなんね。
…ごめん。」
御幸はわずかに首を傾げ、じっと聞いている。
倉持が正直な気持ちを伝えても、黙っている。
かこん。
忘れられていた缶コーヒーのプルが引かれ、ずいぶん冷めてしまったであろうコーヒーを流し込む。実は喉が渇いていたのかそのまま一気に飲み干して、ため息とともに缶を置いた。
「よく分んねんだけど、それって、怠けてんじゃねえぞ、もっと頑張れってんのとどこが違うの?おんなじなら俺としては励ましてくれてるって思っちゃうわけだけど。」
にやにやと何事もなかったようにいつもの笑い顔を浮かべる。
「同じじゃねえよ、そんな善意じゃなくて。」
「でも、いっそケガが悪化して二度と野球ができなくなればいいのにとか思ったんじゃねえだろ。なら、俺はお前の言葉で頑張ろうって思えたわけだし、勝てたんだし、結果オーライじゃん。てなわけでお前が悪かったと思うのも勝手だし俺がうれしかったのも勝手だろ。あ。」
ふいに、顔を赤くする。
ああ、これは、『うれしかった。』なんて恥ずかしいことを言ってしまったと思ってるな。
そして、他人の感情には鈍くて倉持のどす暗い欲求も御幸には決して分らないのだろう。
…時にこの気付きすぎる自分が面倒くさくなる。だが、もしかするとこの自分の気付くという才能も御幸からすればうらやましかったりするだろうか。
「だから、結局、コーヒーありがとう、ということでいいだろ。」
よかねえよ、と思っていても口にしなければ御幸は自分の感謝の気持ちが受け入れられたと思うのだろう。そして安心するのか。
気付かなくていいことは気付かないほうが楽だ。倉持だって御幸の故障に気付かなけらば何も思い悩まず試合に集中できた。
才能は、時に諸刃の剣だ。
御幸の才能が自身を傷つけないよう守ることができるのは、倉持だけだろう。
御幸への嫉妬や期待が彼の翼をもいでしまわないよう気を付けることができるのは倉持だけだ。
…なんだ、ちゃんとギブアンドテイクじゃねえか。
「そうだな。感謝しろよ。」
二度とごめんなんて言わない代わりにこれからずっと、こいつをこの馬鹿を支えていくのだ。一度くらい、ありがとうと言われてもばちは当たるまい。
「それと言いたいことがあるからって背後から剣呑な目つきでにらむのは、なしな。またケンカしてんじゃねえかって連中が心配する。」
「え、えっ?そうだったのか?」
「…。」
やっぱ、気付いていない。
マウンドで投手の一番必要とする言葉が分るのも、バッターの狙いを見抜くのもグラウンド限定の本能なのか。
ああ、野球の神様は人生全体ではとても公平、かもしれない。
けっきょく、天才、イケメンなんて騒がれていても、たかが、高校生なのだ。まだまだ、ただの若造なのだ。
悩んで、後悔して、喜んで、あがいて…単純に素直に人生それでいいのだ。
部屋に戻った倉持は自分もたいがいキモイ会話をしていると赤面するのであった。
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