終戦記念日です。
以前、横須賀に戦艦三笠を見学に行った記事を載せましたが
日露戦争で勝利をもたらした
日本海海戦でバルティック艦隊を撃破した
日本海軍、連合艦隊司令長官の東郷平八郎元帥から
頂いた、ウチのご先祖様の
一人、当時海軍中佐だった先祖への感謝状を見つけました。
第九艇隊の指揮官だったそうで、除隊時は少将だったそうな。
他には、廣瀬順太郎や鈴木貫太郎等、有名人にも贈られています。
この後、日本軍は正に勘違い路線に入り
米、英、中を初め、全世界を敵に回し、
日本国滅亡か、分断される大危機に曝され
日本の軍隊は解体されるのでした。
以前、横須賀に戦艦三笠を見学に行った記事を載せましたが
日露戦争で勝利をもたらした
日本海海戦でバルティック艦隊を撃破した
日本海軍、連合艦隊司令長官の東郷平八郎元帥から
頂いた、ウチのご先祖様の
一人、当時海軍中佐だった先祖への感謝状を見つけました。
第九艇隊の指揮官だったそうで、除隊時は少将だったそうな。
他には、廣瀬順太郎や鈴木貫太郎等、有名人にも贈られています。
この後、日本軍は正に勘違い路線に入り
米、英、中を初め、全世界を敵に回し、
日本国滅亡か、分断される大危機に曝され
日本の軍隊は解体されるのでした。
鈴木貫太郎も中佐だったみたいで。
秋山真之と同世代だったのでしょう。
指揮官でも魚雷挺が主だったそう。
開戦時は政治家の内閣ではなかったですし、
東条も押さえきれない器で軍暴走だったのでしょう。海軍大臣及川は海軍に予算を回すという事で開戦賛成した
とんでもない男ですし、山本五十六も、近衛が燃料が
二年分しかないと言ってるなに、やるなら
四年は持ちこたえて見せる…と。
如何に現実が見えなかったか…。
日本は明治維新から戊辰、西南、日清、日露、日中、大東亜と
戦争だらけでしたな。
隣国と違い、自立心が大きかったけっか、
今もアメリカの属国扱いだし、隣国になめられ困りますね。
太郎さんのご先祖様は、当時の最強艦隊である、
ロシアのバルチック艦隊と戦われたんですネ~。
しかも少将で指揮官で在らせれたとは凄いですよ。
毎年、終戦記念日に思う事なのですが、大日本帝国軍は、
日本海軍の最後の大将で、知将として知られている井上茂美さんや、
山本五十六 元帥閣下の意見を真摯に受け止めて聴いていれば、
多分、当時の日本は間違った選択をしなかったでしょうね。
太平洋戦争は当時の内閣ではなく、軍部の暴走が発端ですから。
戦後の有名な外交官でも在った白洲次郎さんの様な、
気骨のある政治家は今の時代にこそ絶対に必要だと、
しみじみと思う今日この頃です。