アントニオ猪木が亡くなった時偶然?撮影されていた「アメトーク」での
「アントニオ猪木芸人」の回で古坂大魔王がIWGPベルトのレプリカを持っておりました。
「ベルトはお金で買えるんです!」という発言に笑ってしまいましたが
実際ボクシングでも日本では東洋太平洋以上のタイトルベルトを自分で作らねばならないと聞きます。
ハーリーレイスがNWAチャンプの頃はデポジットで約100万円払ったと言ってましたし。
もしプロレスのチャンピオンベルトのレプリカを貰えるとしたら
レイス版NWA、ニック版AWA、バックランド版WWFかNWF
日本では馬場からのNWAインター、後はUNかしら?
そして北米タッグ。
IWGPは全く候補に入らないんです。
これは全く個人の好みの問題であって以前も書いた事有りますが
丸型のベルトが好きで無い。初めてベルトがお披露目された時は
ガッカリしたのでした。猪木にはNWFが似合っていたので。
そしてIWGPヘビー級ベルトというモノは年一回のトーナメントの決勝で
勝ち残った者が巻くというシステム。ここに違和感が有り。
当時は何も知らず、アンドレやブッチャー、ホーガン達と
世界的に名の通る日本ではビッグなレスラーが参加しているものの
当然の事ながら組織的な問題で元NWAチャンピオン達が居ない。
ダスティーローデスも加わっていればチト違ったかも。
ただ期待の星、前田日明、元国際プロエース
ラッシャー木村がエントリーされている事は
嬉しかったかも。前田はヨーロッパ代表という肩書きでしたしね。
そして一番ピンと来なかったのが
決勝戦、猪木vsホーガン戦でタイトルより
猪木失神KO、生きるか?死ぬか?の病院送りという
インパクトの方が残ってしまい
タイトルは二の次、三の次になってしまった‥(あくまで個人的感想です)
世間にプロレスを認めさせたい猪木の思惑、
取り上げたのは当時の大手では読売新聞だけ。
私は報知新聞、いや取っていた読売かな?
夫人の倍賞美津子が眼鏡をかけハンカチで口を押さえ
不安で心配している姿。
(今思えばマジなのか?女優ならではの演技なのか?)
このミステリーは後に20年以上語られる事件で猪木の一人芝居が
新日本内部もぐちゃぐちゃにし
確か当時はまだ藤波のWWFインターナショナルヘビー級
WWFインターナショナルタッグやNWA、WWFジュニアタイトルも
防衛戦で使われていましたね。
(85年、WWFとの提携終了)
後に歴史を作り上げる日本を代表するベルトとなりましたが
誰がチャンピオンになるか?以外は
未だに思い入れが無いです。二台目IWGPヘビー級ベルトや
現在のIWGP世界ヘビー級ベルトは私のセンスに全く合いません。
今あまりに多くのIWGPが元のベルト、タイトルが多過ぎて‥。
というか、いつからIWGPタイトルが通常のタイトルマッチとして
防衛戦を繰り広げているのか?
UWF勢はヘビー級王座には絡んでいなかったよな?
金曜8時のゴールデンタイムから「ギブアップまで待てない」で新日本に対する
プロレス熱は落ちてしまい、知らぬ間に、巌流島決戦、たけしプロレス軍団が話題になり
観た位でしたし。何で今更、マサ斉藤との因縁の試合?とか。
土曜4時放送となった頃は部活の練習で見れなくなり
闘魂三銃士が台頭しておりました。
イメージでは藤波がベルト巻いている姿でした。私には猪木では無かった。
すっかりIWGPタイトルをdisる内容になってしまいましたが
折角のタイトルが好みのデザインでは無かった事と
猪木失神KO事件のインパクトでベルトが頭から消えた、コレが一番大きいです。
全日本プロレスのベルトは追っていたのですがね。
知らぬ間にブロディーが全日本に戻り鶴田からインタータイトルを奪還し
ハンセン、天龍と三冠統一戦が行われていた頃は
「凄え事だ!」と思っておりましたから。
子供の時に夢のシロモノ
「覆面欲しい!」「チャンピオンベルト欲しい!」と
紙袋裏返し、マジックで絵を描きくり抜き、マスカラスの紙マスク造ったり
ボール紙で丁寧に鉛筆でトレースしベルト造って喜んでいた
子供ならではの工夫工作、ファンタジーが
IWGPの頃にベルトへの熱が冷めてしまったキッカケでもあったのでした。
紙の工作マスクやベルト、夏休みの宿題工作に出せば良かったかも‥。
「アントニオ猪木芸人」の回で古坂大魔王がIWGPベルトのレプリカを持っておりました。
「ベルトはお金で買えるんです!」という発言に笑ってしまいましたが
実際ボクシングでも日本では東洋太平洋以上のタイトルベルトを自分で作らねばならないと聞きます。
ハーリーレイスがNWAチャンプの頃はデポジットで約100万円払ったと言ってましたし。
もしプロレスのチャンピオンベルトのレプリカを貰えるとしたら
レイス版NWA、ニック版AWA、バックランド版WWFかNWF
日本では馬場からのNWAインター、後はUNかしら?
そして北米タッグ。
IWGPは全く候補に入らないんです。
これは全く個人の好みの問題であって以前も書いた事有りますが
丸型のベルトが好きで無い。初めてベルトがお披露目された時は
ガッカリしたのでした。猪木にはNWFが似合っていたので。
そしてIWGPヘビー級ベルトというモノは年一回のトーナメントの決勝で
勝ち残った者が巻くというシステム。ここに違和感が有り。
当時は何も知らず、アンドレやブッチャー、ホーガン達と
世界的に名の通る日本ではビッグなレスラーが参加しているものの
当然の事ながら組織的な問題で元NWAチャンピオン達が居ない。
ダスティーローデスも加わっていればチト違ったかも。
ただ期待の星、前田日明、元国際プロエース
ラッシャー木村がエントリーされている事は
嬉しかったかも。前田はヨーロッパ代表という肩書きでしたしね。
そして一番ピンと来なかったのが
決勝戦、猪木vsホーガン戦でタイトルより
猪木失神KO、生きるか?死ぬか?の病院送りという
インパクトの方が残ってしまい
タイトルは二の次、三の次になってしまった‥(あくまで個人的感想です)
世間にプロレスを認めさせたい猪木の思惑、
取り上げたのは当時の大手では読売新聞だけ。
私は報知新聞、いや取っていた読売かな?
夫人の倍賞美津子が眼鏡をかけハンカチで口を押さえ
不安で心配している姿。
(今思えばマジなのか?女優ならではの演技なのか?)
このミステリーは後に20年以上語られる事件で猪木の一人芝居が
新日本内部もぐちゃぐちゃにし
確か当時はまだ藤波のWWFインターナショナルヘビー級
WWFインターナショナルタッグやNWA、WWFジュニアタイトルも
防衛戦で使われていましたね。
(85年、WWFとの提携終了)
後に歴史を作り上げる日本を代表するベルトとなりましたが
誰がチャンピオンになるか?以外は
未だに思い入れが無いです。二台目IWGPヘビー級ベルトや
現在のIWGP世界ヘビー級ベルトは私のセンスに全く合いません。
今あまりに多くのIWGPが元のベルト、タイトルが多過ぎて‥。
というか、いつからIWGPタイトルが通常のタイトルマッチとして
防衛戦を繰り広げているのか?
UWF勢はヘビー級王座には絡んでいなかったよな?
金曜8時のゴールデンタイムから「ギブアップまで待てない」で新日本に対する
プロレス熱は落ちてしまい、知らぬ間に、巌流島決戦、たけしプロレス軍団が話題になり
観た位でしたし。何で今更、マサ斉藤との因縁の試合?とか。
土曜4時放送となった頃は部活の練習で見れなくなり
闘魂三銃士が台頭しておりました。
イメージでは藤波がベルト巻いている姿でした。私には猪木では無かった。
すっかりIWGPタイトルをdisる内容になってしまいましたが
折角のタイトルが好みのデザインでは無かった事と
猪木失神KO事件のインパクトでベルトが頭から消えた、コレが一番大きいです。
全日本プロレスのベルトは追っていたのですがね。
知らぬ間にブロディーが全日本に戻り鶴田からインタータイトルを奪還し
ハンセン、天龍と三冠統一戦が行われていた頃は
「凄え事だ!」と思っておりましたから。
子供の時に夢のシロモノ
「覆面欲しい!」「チャンピオンベルト欲しい!」と
紙袋裏返し、マジックで絵を描きくり抜き、マスカラスの紙マスク造ったり
ボール紙で丁寧に鉛筆でトレースしベルト造って喜んでいた
子供ならではの工夫工作、ファンタジーが
IWGPの頃にベルトへの熱が冷めてしまったキッカケでもあったのでした。
紙の工作マスクやベルト、夏休みの宿題工作に出せば良かったかも‥。
第一回のリーグ戦の出場者でも、前田日明が欧州ヘビー級王者、北米代表だったディノ・ブラボーが「家庭の事情」を理由に出場を辞退。R木村が代打出場。最初にエントリーを期待(?)されたブッチャーやマードック等は不出場だったと思います。
決勝で猪木がホーガンに“失神KO”の憂き目に遭い、期待された晴れの第一代王者とはならなかったのは、最初から猪木の一人芝居というより、大方の期待を裏切って、ファンの気持ちを以降に持ち越す猪木一流のアングルで、旗揚げ戦で中年の神様カール・ゴッチに敗れるというハプニングと同様かと思いました。
現在ではIWGPもヘビーだけでなく、タッグやジュニア、ジュニアタッグ、インターと“粗製乱造”的に凡百のタイトル化され、当初の構想とは懸け離れたものとなってしまったのは残念ですが、当時の猪木の頭の中には手の届かないNWAや、力道山由来のインター王座への対抗心が根強かったのかとも想像します。まぁリーグ戦が実現に漕ぎ着ける前には、糖尿に罹患して体力的に下り座となった不運もあったかと…。
猪木、若いですねぇ(*´ω`*)。ギラギラした感じも残ってて、いい写真です。
上田馬之助の本で「猪木はNWF王座か(もう「世界」じゃなくなったけどな)」みたいな記述があり、そのときはどういうことかわかっていなかったのですが、海外のパイプに悩まされていたことを随分あとに知った次第です。
私は全日派でしたので、IWGPは新日ローカルタイトルというか「NWA世界が最高権威」って思ってたクチなのですが、初代タイガーマスクがNWAジュニア王座っていうのが不思議でした。
実はさっきウィキで調べて初めてその経緯を知ったのですが、なんで新日にNWAがあるんだろってずっと思っていましたもので。全日にはNWAインターナショナルジュニア王座ってのがありましたし(*´ω`*)。
当時の新日はたしか自民党の二階堂幹事長がコミッショナーで、タイトルマッチ宣言とかリングでやってましたよね。
やっぱ権威って大事ですね。世界と名乗れなくても、イメージ的に世界一っぽいIWGPって名前、よくできてたと思います。「世界一強いアントニオ猪木」って、赤い幟もはためいていましたし(*´ω`*)。
自分は、あまり気にならなかったです。
ベルトのデザイン、見た目の良さでは、IWGPのタッグベルトが良かったです。
ただ、今ではベルトが本当に増えすぎましたね。
一体、ひとつの団体にチャンピオンが何人いるんだと思います。
おまけに危険なことをやり過ぎで、もっと違った魅せ方があるだろうに…と思います。
しかし、そのなかでNEVER無差別級は、第2,第3のベルトなのでしょうけど、この無差別級というのが、何かカッコ良く感じました。
身体が小さくても真っ向勝負を信条とする石井選手が巻いてた時、特に良かったです。
全日本で、鶴田や三沢が争った三冠ヘビーも価値が高かったと思います。
2001年6月:日本武道館での武藤VS天龍は、武藤のベストバウトだと自分は想っています。
当時、新日所属であったのに、他団体の宝(=三冠ヘビー)を奪って、凄い事だと思いました。
フランケンシュタイナーを出した時に、自分は驚いたんですが、やはり武藤は天才なんだな…と。
そして、太郎さんが大好きだった天龍は本当に相手を輝かせるのが上手でした。
レプリカで欲しいベルトに、UNがしっかりと入っていますね。
練りに練ったIWGP構想は今になると規模が小さかったんだな、と思いました。
ただ当時は大新日本プロレスブームでしたから、毎日プロレスの事ばかり考えて
IWGPも楽しんでました。というより、あまり解っていなかったです。
何だか凄い事をやるんだな・・・というイメージと、やはりタイトルに関しては
NWAチャンピオンが来る全日本のタイトルの充実度を感じておりました。
新日本のタイトル戦の感覚は主にタイガーマスクのジュニアタイトル戦の方に
頭が行きましたし。そして負けないタイガーに絶対に信頼感を持っていたので。
第一回IWGPは、あまりよく覚えていないのですよね。決勝のインパクトが強すぎて。
ブッチャーはIWGP参加にあたり自身のトリトニードトバコ王座を封印したと
自伝に書かれておりましたな。結局参加していないでしょうね。アンドレと被るし
猪木は引き抜きながら嫌うしで。
第二回のIWGP決勝はコレはコレで良く覚えているのですがね。
プロレスファン的には大きな大事件の決勝戦でしたが猪木の
プロレス感が叶うのってアリ戦以降はイラク人質解放や北朝鮮だったのかな?
そういえば、WWEもUFCの親会社に身売りしてしまいましたね。
またリストラも行われて・・・・。
露出も多かったでしたしねぇ。NWFってジョニーパワーズが持っていた
NYバッファローのローカル団体でベルトは400万円?でパワーズに売り込まれたと
M高橋本に書かれていた時はショックでしたねぇ。
思えば、プロレス界って政治界のドンみたいな人と関わりが意外と有りますよね。
日プロ時代から。私もタイガーがほぼ二連戦でNWA世界王者になった時
ビックリしました。新日本にNWA世界ヘビー!?と。ダニーホッジのイメージ強いですが
当時あまりジュニアは重要では無かったのでしょうね、世界的に。
そしてベルトがチャンピオンベルトに思えずお花みたいで驚きました。
NWAインターはブレットハート、藤波、木村健悟、チャボゲレロの流れで
後に大仁田からの全日本ジュニアの象徴的ベルトとなったんでしょうね。
チャボから奪うまでのあのベルトの方がカッコ良かったかなぁ、
正式なタイトル名もNWAインターナショナルジュニア世界タイトルから
「世界」が抜けNWAインタータイトルとなりましたね。元々ルーテーズがNWAに不満を持ち
インタータイトルを造ったという流れも当時は権威的に大した事無かったそうなんですが
しっかり日本で歴史を築きましたね。
そういえばIWGPはアリ戦の通訳をしたケン田島氏の命名だったんですよね。
「インターナショナルレスリング」の英語に「グランプリ」と
フランス語が入ったハズしがハマリましたね。カーレースの場内アナウンスをしていた
アポロ着陸や政治経済界の大きな仕事もした田島氏ならではのアイデアですね。
DVD/Bluerayレコーダーが壊れ頭を抱えていた中に、そのプロレス芸人特集が入っていたんだ!
と思い出してしまいました・・・バックアップ取らなかった上に
今あまりに機械が高すぎて途方に暮れていた所でした・・・(泣)
あの札幌の「猪木問答」はYoutubeでは観れないんですよぇ。
頂いたブルーレイソフトに入っていたかな?としかし暫くソフトが再生出来なそうです。
と、すみません、私事で・・・m(__)m
今は新日本プロレス・・タイトルがあまりにも増え過ぎましたね。
ヘビーとジュニア、両方のタッグ、NEVER、NEVER6人タッグ、US、ストロング
そして女子と・・・・作り過ぎに思います。
NEVERは今の様にブレイクする直前のデスペラードが関心を持っていましたね。
最終的にヘビーvsジュニア王者対決が出来ましたが。
NEVERは泥臭く、一時前迄はIWGPの中で正直一番熱い試合を見せてくれた気がします。
石井、柴田、真壁、永田・・・個人的には2013年かな?
二度目の田中vs石井のNEVER戦がその年のベストバウトに思いました。
今の時代のプロレスと逆行する昭和、平成のプロレスが繰り広げられ
一時、本家IWGPより好きなタイトルでした。
今はIWGP、三冠、GHCを制したレスラーは結構いますが当時は凄い事でしたよね。
その武藤vs天龍は残念ながら憶えていないのですよ・・・
ただ両者共にIWGPと三冠ベルトを巻いていますよね。
今は永田ですよね。永田も三団体制しましたね。
ハイ、UNは個人的に鶴田のイメージが強いのですが、坂口が三冠のベルトを
手にした時、一番思い入れが深いのはUNだったそうです。
(和田京平弁)