ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

ラジオ関東「ポートジョッキー」

2021年10月23日 | 音楽
ここ最近、ブログのテーマが通常より離れてますが
やはり音楽とプロレスが共通している今回の日記。

ロンドン産まれ、帰国後GHQでも働き
多くの同時通訳、それも政治、経済界のとても大ききな通訳仕事、
アポロが月に到着しそれを通訳するのに他局は
フィートで伝えるのにTBSでは日本人のフィートでは伝わらないと
ケン田島氏が機転を利かせメートル法に換算し実況
ラジオDJ、カーレースの実況、そして‥
猪木vsモハメドアリ戦交渉等のアメリカでの通訳
喧々諤々、怒気が舞うルール交渉で猪木が縛られまくった伝説の試合、
新日本プロレスの象徴IWGP王座の名付け親。
そして昭和33年から56年迄続いたラジオ関東事
現ラジオ日本でOAされていた「ポートジョッキー」で
長年、ディスクジョッキーをしていたケン田島氏。
そのケン田島氏が90歳で亡くなられた時、
ラジオ「真夜中のハーリー&レイス」でケン田島氏追悼の
ケン田島氏が出演した回を再配信した回、素晴らしい内容でした。当時80歳。

ラジオ日本の前身、ラジオ関東で長年ディスクジョッキーをしていた番組
「ポートジョッキー」昭和の港、横浜を本当に感じさせる
素晴らしい番組だったんですね。
函館や神戸では無く、横浜の外人墓地辺りから山下公園、
旧横浜球場辺りまでの当時の横浜街並みを思い出され
ノスタルジックな気分になります。

ビリーヴォーンオーケストラのBGMに世間の雰囲気を語る女性アナウンサー
そこに日本一英語が上手いと称する人も居たケン田島氏の
英語の掛け合いが何とも魅力的なラジオ「ポートジョッキー」
船の汽笛から始まる何て昭和らしい素晴らしいラジオ番組なんでしょう。
コロナ等で暫く行けていない横浜へ行きたくなってしまいます。
今の赤レンガ街では無く、本当の赤レンガ倉庫街だった横浜を
思い出してしまいます。
この番組で60、70年代の素敵な曲を聴かれた人が多いでしょう。
何てシックでお洒落な番組。
北海道での受信で地元の他局の番組と混線してますが
貴重な動画投稿でありがたいです。

懐かしのラヂオ館・1 ラジオ関東「ポートジョッキー」


昔は深夜ラジオを聴かれていた世代の方々はとても多いと思います。
私も中学迄はラジオ少年でしたし、
ラジオの影響で音楽を演奏する身にもなったのですから。
私でもロマンを感じ素敵だと思う番組、
リアルタイムの方々は思い入れ深い番組だった事でしょう。

80歳の時、真夜中のハーリー&レイスに出演した時の
ケン田島氏の声は本当にダンディーで話しの内容も面白く興味深く
その回を録音し、今でもしょっ中聴いております。
90歳で亡くなられたケン田島氏。
新日本プロレスでは嘱託のスタッフになっていた事で
英語圏というか英語が通用する国へはパキスタンで有っても
同行したと。そして嘱託だった為、IWGP名付け親として
ボーナスも出なかったそうな。
猪木をセコい手で疲弊させ技を受けない、選手生命を奪うローランボック迄の
ヨーロッパ遠征時、ケン田島氏はボックが経営するホテルに招待され
ドイツ料理を振る舞ってくれた、私には良い人でしたよ、
という話しも面白く。

しかし、素晴らしい話し声に、素晴らしい番組のポートジョッキー。
こんな昭和のロマンを感じさせる素敵なラジオ番組が有ったんですね。
フルバージョンのテープがもしも有ったら
是非とも聴きたいです。

この番組を聴こうと、全国の人が東京に工夫しアンテナを伸ばしたのですからねぇ。


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2 コメント

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懐かしく聴いていました。 (凸椪)
2021-10-23 16:44:29
ケン田島さんはFMラジオの番組で聴いたのが最初でした。(当然ですが、)英語が堪能で、番組内でDJとして曲紹介の時には本格的な発音でMCを務めていましたが、後年、新日の猪木アリ戦に登場された時には単に通訳として務められていたのかと思いました。まさか新日の嘱託だったとは存じませんでしたが、普通に放送タレントとしても有能な仕事が果たせた人材…という印象があります(年代的には、戦後、駐留軍の通訳から出発していた人かと、勝手に考えていました)。
「ポートジョッキー」も薄々聴いたこともありますが、ラジオ関東は関東エリアのメガ局と比較して、出力も小さい横浜地元の地方局という印象で、他局ではあまり聴かれないローカルな番組が流れていたので、結構、好くダイアルを合せていたと思います。特に大好きなカントリー音楽の番組が(深夜時間帯でしたが…)多い時には3つもありましたし、そこから提供される公開収録にも足を運んだことがあります。NTVの傘下に入って局の名称も「ラジオ日本」となりましたが、それ以前はいかにも港町横浜のローカル色豊かな雰囲気で、ビリー・ヴォーン楽団による『波路はるかに』がまさに同局のテーマソングといった位置づけのように感じられました。
数年前まではやはり生粋の“浜っ子”の故・ミッキー安川氏の番組が金曜日昼と深夜に流されていた頃までは、よく同局を聴きましたが、最近はあまり聴く機会はなくなりました。理由はわかりませんが…。
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凸樫さん (太郎)
2021-10-24 21:50:10
私はやはりアリとの間の通訳のイメージでしたが
真夜中のハーリー&レイスに出演した時に多種経歴を知り凄いなぁ、と。
いつの頃のGHQだったのかしら?とも。昭和5年生まれの様ですしで。
政治経済の同時通訳にカーレースの実況やラジオディスクジョッキー等。
新日本の嘱託はIWGPの頃だと思います。アリ戦後は英語圏以外は同行したそうですが
その頃は嘱託ではなかったでしょうし。ヨーロッパやパキスタン、北朝鮮は行ったそうです。
後、NWA総会で新日本が加入出来た時、アリ戦の評判がとにかく悪く「イノキは腹を斬れ」
そう言われた通訳もした事を語ってました。
ラジオ日本は私はそんなに縁が深く無く、今でも私の寝室のステレオは
入らないんです。都内の昼間はよく入りましたが。今聴く時はradikoアプリで聴きます。
私が営業職の時は圧倒的に午後で越路吹雪とかがずっとかかってまして。
ケン田島氏が真夜中の〜に出演した回は本当に良くて録画しお気に入りリストに入れてますが
この時、ポートジョッキーでかけていたビリーヴォーンオーケストラの「波路はるかに」では無く
ケン田島氏が持ち込んだジュディーガーランドが歌う同曲の
好き過ぎて擦り切れる程聴いたLP盤を流した様です。
80歳のダンディーな声と英語による曲紹介が凄くカッコ良かったです。
ジュディガーランドの音をyoutubeで探したのですがHITしませんでした。
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