ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

大熊元司vsスタンハンセン

2024年08月22日 | プロレス
YouTubeのホーム画面に出てきた動画でしたが
大熊元司の健闘、やられっぷりも見事で
少し感動してしまいました。
普通に良い試合じゃないか!と。




私が子供の頃、グレート小鹿との極道コンビは
アジアタッグチャンピオンでもなく、TVに映る事も減り
観れる試合は大抵スタンハンセンのやられ役で。
小鹿は受け身取らないのでヨロヨロ倒れるし
足元おぼつかない、弱っ!て思ったり
大熊は大抵フォールされる役。
大熊が買った試合って観た記憶が有るかな?
(頑丈な大熊は大抵、小鹿に負け役押しつけられた?)
でも馬場が大熊を可愛がったのはこういう所もあるのかな?
男前です。

長州率いるジャパンプロレス勢が全日本にやってきた時
全面的に対決する天龍よりカッコいい闘いを魅せた大熊。
ヤラれる所はジョバーとしてしっかりやられる。
ハンセンは大熊の事を高く評価していた様で。
大ベテランが若いハンセンの良さを引出してくれるし
ダイナミックに受けてくれますもんね。

極道コンビが海外遠征に出たのは67年だそうで、
大熊がホームシックで帰国する迄、ヒールタッグコンビとして
色々チャンスを得た様ですね。
英語が全く解らないから和田京平が言うには
相当、頓珍漢な事もしてたそうで笑いました。

後楽園ホールでのプロレス初観戦の時、あそこって
トイレが少ないのですよね。
シン&上田にビビり散らかした後、トイレでおしっこしてたら
大熊が横でおしっこし始め、私のシモの方を見て
ニヤっと笑った事、良い思い出です。
特に大熊の素晴しさを理解した今では。






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4 コメント

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ビッグネイムのヤラレ役。 (凸椪)
2024-08-23 18:55:56
最初に大熊元司をテレビで視たのは、最初のアメリカ遠征から帰ってきた頃で、その時も実況アナは通常通り“凱旋帰国”と言っていたようです。ただ凱旋したレスラーは以前に増して「強豪」となって日本側の戦力となるのが定番なのに、なぜか対戦相手(外人)を叩き潰すのではなくリングアウト勝だったと記憶しています。米遠征中はグレート小鹿がパートナーだったそうですが、ロスアンゼルス地区でトップとしてマスカラスと抗争を繰り広げ、ベルトを取ったというニュースを聞いたことありましたが、大熊の方は凱旋したわりにはあまりパッとせず中堅クラスに甘んじていたように思います。日プロのワールドリーグ戦にも出場した時にも、前哨戦でザ・コンビクト(のちのWWF専属のアンクル・エルマー)にこっ酷く流血戦で伸ばされた。余談ながらコンビクトは横縞の囚人服を纏った巨漢で、アメリカ国内の刑務所を脱走して来日したという触れ込み(そんな悪人がよく飛行機で入管も通過したと感じたのは、だいぶ後日のこと)リーグ戦以外では若手とのハンディキャップマッチにも出場していました。大熊さんはリーグ戦々績は、期待されたわりには外人への白星配給係で、その後、日プロ⇒全日プロになってからも鳴かず飛ばずといった印象で、唯一、小鹿と組んでアジアタッグ王座に何度か君臨した程度でしたが、シングルとしては元力士上がりだけあって頭突きを得意技にパワー&ラフでインサイドワークに長けたマット捌きは、やはりG小鹿との極道コンビでタッグ戦に本領を発揮していたと思います。長州のジャパン軍団が全日に乗り込んで来た際にもジョバーとして見事なヤラレっぷりでしたね!?
極道コンビの小鹿・大熊というのは上手く命名したリングネームくらいに思っていたら「姓」だけは本モノで、渡米前には「大熊熊五郎」と名乗っていたこともあったらしいです。実生活では相当な酒豪らしくソレが早逝される原因らしいですが、確か生前には全日の所属の傍ら、東急東横沿線で居酒屋を経営されていたのを聞いたこともありました。
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凸樫さん (太郎)
2024-08-23 19:28:49
馬之助、牛之助、猿吉、熊五郎、雷三、勘太郎、忠治、小鉄‥
酷いリングネームが付いていましたね。カブキは豊登に名前付けられるよりマシだったと。
大熊がホームシックにかからなければ、まだまだ海外で活躍出来たかも。
小鹿はマスカラスやテリーファンク破りチャンピオンになってきましたが
苦労しながら得た世渡りの上手さなんでしょうね。
日プロは選手層厚いですし、BI砲、大木、吉村達がTOPでしたから
体系的にも白星配給係が多かったのでしょう。が、当時の日プロ、全日は
特に自分のポジションを全うしていた人が多いのでしょうね。
私の頃は負け役だらけでしたが、時に意地を見せる大熊を応援しました。
本当にタフだったようで頭突きが強いのは勿論、背中は畳みたいだそうで。
和田京平は極道コンビや高千穂にレスリング鍛えられたそうで面白エピソードばかりです。
評判が微妙な小鹿とは別にお酒を除いたら大熊は人に好かれたようで。
川田はラジオで大熊は自分の事は自分でやるしお洒落で好きだったと。
コンビクトで思い出しましたが、マミーはプエルトリカンだったそうな。
(ジプシージョー弁)
ハンセン、ブロディーに当てても負け決まってるじゃん!と思いつつ
特に長州には意地を見せた事が強く印象に残っています。
保永昇男は子供の頃「ヤングプロレス」が大好きだったそうで
全日本参戦した時には、カブキ、極道コンビと憧れた人ばかりで夢の様だったと。
小鹿、大熊のインサイドワークは本当に巧みだった事を
和田京平のトークで色々知りました。
ケンドーナガサキが語っていましたが「あの頃は選手が良かった」と。
ハンディーキャップマッチ、そういえば若い頃の猪木もグレートアントニオの
ジョバーとして試合した事を思い出しました。
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何故に…ニヤッと… (喜一)
2024-09-11 21:17:33
このシングルマッチは、客の期待をかなり上回った試合だっと思います。
太郎さんが記事にしたくなったのが解かるような気がします。
大熊さんと、トイレで横になったんですね。
良い思い出ですか…

僕は、対戦相手のハンセンのサイン色紙を持っています。中学生のときに、
同級生2人と自分の3人で、全日生観戦をしました。大会終了後に
レフェリーが話しかけてきて、
「リングの片付けを手伝ってくれたら、好きな選手のサインをもらってきてあげるよ」と言われました。
3人とも「スタンハンセン」と答えました。
もうその試合会場の体育館はありません。
昔話です。
僕は、80年代の頃がプロレスファンとして
一番熱心だったと思います。
週プロに付いてきたピンナップも
部屋の壁に貼っていました。
ハンセン大人気でしたね~~♪
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喜一さん (太郎)
2024-09-11 23:46:51
はい、良い試合だったので記事にしてみました。
クマさん、カッコいいじゃない!?と。
この頃は維新軍が参戦し長州に意地を見せたので
セミファイナル抜擢だったのかも?
メインに繋がる良い仕事に思えます。

そう、以前和田京平に言われリング仕事しハンセンのサイン貰った、
そう書かれていましたもんね。ハンセンのサイン&リングかたずけ
両方とも良い思い出になったのでは無いでしょうか?
地元の体育館に全女が来た時、まだ若手で可愛いブル中野が声かけあいながら
笑顔で仕事していた事を思い出しました。
私は部活無断欠席し観に行ったので翌日バレ、罰として
大きな先輩のフルスイングのケツ竹刀を10発喰らい
翌日から暫くアダ名が「女子プロ」になりました。
あの頃、ハンセンのポスター多かったですね。プロレス雑誌は
高くて滅多に買えないんで高校生で1人部屋貰った時、初めてハンセンのポスター貼りました。
私、生ハンセン見たこと無いです。羨ましい‥。
当時の体育館がドンドン無くなるのは寂しいですねぇ。
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