ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

第一次UWFを観に行った時

2021年02月12日 | プロレス
新日本プロレスクーデター事件という言葉は当時、
耳には入っていましたが、雑誌買うお小遣いも辛いので
よく分からなかったです。
実際面で、社債を選手、社員に買わせても
新日本プロレスからアントンハイセルへお金が流れていない
そういう話は関係者達からも出てますね。
ただ色んな面でかなり経理面で金曜8時OA、全盛期を誇った
新日本プロレスの経営はどうなってたんだ?と。
色んな利権が絡み、会社内での信頼関係は滅茶苦茶だったでしょうな。
地元の会場に新日本が来た時、体育館の二回席も完全に埋まる集客力だったのに。

と、訳分からないままUWFだ、ジャパンプロレスだ‥と。
今は色々プロレス書籍で謎の究明本が沢山出ていて読むのが楽しいのですが。

第一次UWF、当時の私の認識が
新間寿が新日本に反旗を翻し、前田を連れ架空のWWFインターナショナル王座に就かせ
裏切り者の前田を藤原が成敗しにいった、というような
アングルが私の頭に描かれていました。
ラッシャー木村、剛竜馬、マッハ隼人、グラン浜田等、
事実上、新日本にお払い箱請け負いになった団体?とか。
そしてカールゴッチの命で地味な木戸修がUWFに移籍という驚き。

よーく分からないまま、何故か大会当日
手に入った4枚のUWF後楽園ホール大会、特別リングサイドのチケット。
地元の大きな農家の息子から来た話で回り回り私の手元に来るも
間に説明不足の大人の意向で行けなくなった人間が出て
気まずい人間関係の雰囲気で人生初の特別リングサイド観戦となりました。
プロレスに関心の無い2人にプロレスヲタの2人。

試合前にルールの説明が有りました。
指がピストルマークをしたら、なんやらかんやらと
純プロレス脳の私にはもう、ちんぷんかんぷん。
二試合目に出てる空中っておっさん選手&レフリーは誰だ?と。
そんなちんぷんかんぷんなので、今になっても
前田や高田が出ていたとかのハッキリした記憶が無いんですよね。
前田は出てたかな?

記憶にあるのがミスター空中、レイスチールという外国人選手、
ザタイガー、マッハ隼人vs誰かでマッハ隼人の引退試合、
若手の山崎一夫がメインイベント、山崎に女性ファンの黄色い声援が飛ぶ‥
合計6試合、コレ位なんです。
唯一、純プロレスに近い試合がタイガー、マッハ隼人vs誰か?
リアルタイム、会場で初代タイガーマスクを観れなかったんです。
引退した直後だったかな?初新日本プロレス観戦は。
しかし、皆が熱狂したタイガーマスクのムーブ、面影は無い上、
タイガーは素顔の佐山聡。
場外に落ちた対戦相手に佐山が「マッハさん!飛んで!」との指示で
目の前でマッハ隼人がトップロープからのプランチャー。
で、引退で勝利後マスクを自分で脱ごうとすると
観客席から悲鳴が飛び、脱ぐの止め
マッハを肩車し、南側の座席をパレード?
コレしか試合の記憶がないんです。
ここに、その時の映像が一部写っておりますな。

マッハ隼人、戦い続けた男 昭和プロレス人物伝


突然マッハ隼人の引退試合に立会い?
他の選手は分かりにくいファイトをしている。
関節技ばかりで当時の私には味気なく映るも
会場は盛り上がってる。
当時の純プロレス脳では全く理解出来ず乗れず
中途半端な気持ちで会場を後にした記憶でした。

しかし、このUWFが一部熱狂的ブームを呼び
短期間でゴダゴダ過ぎて新日本に戻る事になるのですが
後々、この観戦が伝説のUWF観戦となる
貴重な体験と気づくのでした。
私、第一次、第二次UWFと全く付いて行かなかったので
伝説となるUWFの貴重な体験でした。


【第1次UWF】「無限大記念日」ザ・タイガー、高田伸彦 vs 前田日明、藤原喜明 1984年7月23日 東京・後楽園ホール 格闘技プロレス

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6 コメント

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ルチャドール(?) マッハ隼人…。 (凸椪)
2021-02-12 15:13:20
マッハ隼人というレスラーを初めて観たのは、末期の国際プロレスのリングでした。ある日突然!…といった具合に、国際マットに登場したJr.ヘビー級の覆面レスラーといった感じでしたが、初戦は鶴見五郎に一蹴され、その後は(TV観戦でしたが…)、当時、新日で藤波やタイガーの活躍によるジュニアクラスに脚光が当たっていたこともあってか、(テレビ放映にも挿入されるくらい)国際や全日でもメキシコから選手を招聘し、結構、上の方でカードを組んでいたと思います。国際にも寺西やM井上、デビュー間もなかった阿修羅原なんかもおりましたが、やはり本場のルチャドール相手ではマッハ隼人の試合ぶりが際立っていたように思います。ただあまり勝ち試合は少なく、何となく員数レスラー(いわゆる Jobber)といった印象で、本場メキシコのリングでもタイトルには縁がなかったのかと想像してしまいました。プログラムには柔道・空手共に二段を取得しているとありましたが、不合格だった新日の入門テストの前には、日野自動車でセールスマンも務めていたと雑誌で読んだことがあります。アップされた映像にあったように真面目な人間だったのでしょう。
彼の引退試合は、当時、月刊か隔週刊だった格闘技通信で読んだ覚えがありますが、強さとスター性の面でも佐山タイガーには遠く及ばなかったことを、本人でも自覚していたのでしょう、とても潔い引き際だったかと思います。その後、マッハはプロレス界から離れてアメリカで生活すると雑誌にはありましたが、現在はどうされているのでしょう??
ちなみに佐山は、新日での待遇面の不満や不信感に加えて、作者の梶原一騎氏と新日側との版権を巡るトラブル等から、「タイガーマスク」を名乗れなくなり、それに代わって公募で「ザ・タイガー」として復帰したのも束の間、新日を退団する顛末となり、タイガージムの経営の傍ら、第一次UWFへ参戦することになったのかと思いました。新日若手時代には素顔の佐山聡として、後年には、プロレス界にカムバックした「スーパータイガー」として全日のリングで観ましたが、だいぶ恰幅も増した体型になっておりました。確かシューティングを離れた後に、武道団体を主宰していた時に、雑誌上で稽古着姿となって門下生を指導している写真を見たことがありましたが、現在は体調を崩して車椅子で移動する生活を続けているようにも聞きました。
返信する
凸樫さん (太郎)
2021-02-12 21:55:11
国際プロレスが崩壊した後にテレビ大阪が開局され
その後東京転勤になったので国際が見れなかった事が残念です。
国際崩壊後、鶴見、若松とカルガリーで活躍した頃
事故に遭って、若松以外は帰国したと
ラジオで若松が話しておりました。
格闘技路線のUWFにマッハ隼人だけはUスタイルに熱心に取り組んだという話は
有名でしたな。マッハを評価する逸話はチラホラと。

シモノセキキエタは梶原、格闘技、結婚、コンチャ、その他滅茶苦茶に重なって
コンチャが新間追放を条件にUWFに参加した流れと。
前田の田中や猪木等、取り巻きが金巻き上げたり、ある事ない事吹き込み
どの世界でも金のなる木にはどこの世界にも巣を食うモノですね。
イノキは自爆繰り返しですが。
先日昨年放送されたアナザーストーリーを観てました。
https://blog.goo.ne.jp/tadapyon_1971/e/8381e35f9b235032b8078d80eee5
返信する
Unknown (Home In My Shoes)
2021-02-13 00:15:52
これは興味深いですねぇ(*´ω`*)。

明日早いので、改めてコメント書かせていただきますね(*´ω`*)。
返信する
Home In My Shoesさん (太郎)
2021-02-14 00:20:05
純プロレス脳で観に行ったらチンプンカンプンでした。

コメントお待ちしております。
返信する
Unknown (Home In My Shoes)
2021-02-17 21:17:38
太郎さん、遅くなってすみません。

マッハの動画、愛情あふれるいい内容でしたね(*´ω`*)。

第一次UWFのことは東スポ、プロレス雑誌で知るくらいでした。今思うに、どの媒体も遠巻きに見てた感じですね。肩入れもできずに。

マッハ隼人って、そのこと初めて知りました。ちょっと場違いな感じで苦労してるみたいな取り上げられ方で。

私はUWF最強説を信じてたクチなのですが、実際に動いている姿を見たのは新日に上がってのTVマッチからなので、太郎さんが見られた頃のものは知らないのです。

たしかに戸惑いますよねぇ。しかし、ラッシャーや剛が初期メンバーだったこと、ものすご久しぶりに思い出しました(*´ω`*)。

なんかとりとめなくてすみません。今からギターの練習します。
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Home In My Shoesさん (太郎)
2021-02-18 23:06:11
いやいや、コメントありがとうございます。
ルチャやっていた人がUWFスタイルに変更するのは大変でしょうね。
高杉はSWSに声かけられた頃、クビになった北尾をUWF路線で再売り出しするSWSに
全日本解雇された国際血盟軍は起用される予定で高杉もUWFスタイルに乗り気だったそうです。
アポロ菅原はレスリングで国体優勝してますし。
マッハ隼人はUWFを吸収しようとした努力人として評価されていますね。
私が観に行ったUWFはホント、チンプンカンプンでした。
猪木の総合格闘技路線とはチト違いますしね。
そこに木村、剛、そしてグラン浜田まで居たのは‥流石に離脱しますよね。
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