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最近ネットに入れていないので1日遅れで知りました。
国際プロレスから活躍したマイティー井上が75歳で亡くなったと。
マイティーというレスラーの素晴らしさって
プロレスの大まかな仕組みを把握してくると、凄かったなぁと思います。
本人は望んでいなかったのにビリーグラハムを破りIWA世界王者としてエース路線となったり
全日本に移籍してからは、渕がチャボゲレロを破り
NWAインターJrヘビー級王者になると思っていたら何故か王者はマイティー。
チャボとの連戦を見て馬場は渕では、まだまだと思ったのかな?とか。
私が観ていた頃はメインイベント張る事は少なく脇役が多かったですが
(初めてミルマスカラスをTVで見た時対戦相手は鶴田、井上。
私も初めてマイティー井上を観た)
あの奇声を発し手をブンブン回すサマーソルトドロップより
後で見た小技、固め技の多さとか。
オースイスープレックスとかがそうでした。
(あの技をスープレックスというのかな?)
飛びつき腕十字固め、思わぬタイミングでショルダータックルで天龍に勝つとか。
タブレット純がマイティー井上にハマるキッカケとなったこの試合を。
後、マイティーのトークの持ちネタも凄いですね。
ノリの良い言葉数も。
そして日本に入場テーマ曲を持ち込んだ立役者。
アンドレザジャイアントとの友情。
徹底的な新日本プロレス嫌い。
NOAHをリストラされた後は宮崎県(延岡?)へ。
大阪じゃなかったんだ。
ホントは色々、長々と書きたいのですが、また今度。
いやぁ、ショックです。
残念ながら、マイティー井上の試合を生で観れる事は無かった。
トークショーは行きたかったな。
国際プロレスを頑張り盛り上げてきた人が、また亡くなってしまいました。
ご冥福をお祈りします。
国際プロレスから活躍したマイティー井上が75歳で亡くなったと。
マイティーというレスラーの素晴らしさって
プロレスの大まかな仕組みを把握してくると、凄かったなぁと思います。
本人は望んでいなかったのにビリーグラハムを破りIWA世界王者としてエース路線となったり
全日本に移籍してからは、渕がチャボゲレロを破り
NWAインターJrヘビー級王者になると思っていたら何故か王者はマイティー。
チャボとの連戦を見て馬場は渕では、まだまだと思ったのかな?とか。
私が観ていた頃はメインイベント張る事は少なく脇役が多かったですが
(初めてミルマスカラスをTVで見た時対戦相手は鶴田、井上。
私も初めてマイティー井上を観た)
あの奇声を発し手をブンブン回すサマーソルトドロップより
後で見た小技、固め技の多さとか。
オースイスープレックスとかがそうでした。
(あの技をスープレックスというのかな?)
飛びつき腕十字固め、思わぬタイミングでショルダータックルで天龍に勝つとか。
タブレット純がマイティー井上にハマるキッカケとなったこの試合を。
後、マイティーのトークの持ちネタも凄いですね。
ノリの良い言葉数も。
そして日本に入場テーマ曲を持ち込んだ立役者。
アンドレザジャイアントとの友情。
徹底的な新日本プロレス嫌い。
NOAHをリストラされた後は宮崎県(延岡?)へ。
大阪じゃなかったんだ。
ホントは色々、長々と書きたいのですが、また今度。
いやぁ、ショックです。
残念ながら、マイティー井上の試合を生で観れる事は無かった。
トークショーは行きたかったな。
国際プロレスを頑張り盛り上げてきた人が、また亡くなってしまいました。
ご冥福をお祈りします。
大阪出身だけあって金銭にはシビアな面があり、経営難だった国際でもファイトマネーはしっかり貰っていたと聞きました。国際崩壊後には(吸収)合併されるとの話があった新日には馴染めないことから、自らの意思でいち早く全日本へ移籍を決め、主にジュニア戦線で全日若手の“壁”として存在感を示したと…。確か移籍後すぐにマスカラスのIWA世界タイトルに挑戦したのは何かの運命の皮肉のようなものを感じました。
この映像では全日オープン選手権での模様のようですが、国際時代にはエドワード・カーペンティアとの対戦のあったかと思います。その他B・グラハムやビル・ワット、バッションとの試合も観られましたが、体格的なハンデがなければもう少し長くトップを取れたのかと…??
国際とマスカラスのIWAベルトの中央の形が似ていた印象有りました。
闘病等有り兄の住む神戸に越したという事でしたが、ショックです。
国際IWAは勿論、当時日本でビッグタイトルのNWAインターJr王者になった事
コレも大きい実績に思います。IWA王者となり、というかさせられるのに
「何で俺が!?」と心の中で納得行かない所が有ったそうな。
この後カナダ等ラフファイト志向になる国際のエースには木村エースとなりましたが
本人は全くエースになる気が無かったそうで。
徹底的な新日嫌い、同期の小林の新日本への裏切りを後年ずっと言っていたと。
小林離脱が無ければ国際は今も続いていたと。(小林にはキツ過ぎたでしょうが)
山本小鉄のオッさんは勝手なヤツで喧嘩になり、あの気の強い星野さんが止めたんやで、と。
豊登から猪木批判を聞きつづけたようですが、新日本でプロレス出来るのは藤波くらいと。
国際の末期経営難の頃、大居山のギャラは月1万円で生活出来ないと引退したそうで。
井上が貰えたのは全額では無いでしょうけど当然多くは無かったでしょうね。
アンドレとの出会いで自分の海外修行の運命が大きく変わったようで
ヨーロッパ各国、レバノンとフランス領の色んな国に行き、そしてモントリオール
バション兄弟やカーペンティアと出会いサマーソルトを練習したと。
近年私が観た試合で印象深いのが浜口と組み永源、木村健悟とのIWAタッグ戦
イケイケで行きまくる新日組を制御するも浜口が骨折失神?した試合でした。
中々、刺激が強かったです。当時、国際ファンの人にとっては悪夢の様な試合でしょうけど。