ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

マッドドッグバション&ジプシージョー

2022年01月20日 | プロレス
国際プロレスのカタログを見ると、中々凄いメンツの外国人レスラーが
来日していますよね。
どれだけ常連になっていたか?は分からないですが
国際のスタートはグレート東郷の大物アメリカンルート、
ヨーロッパルート、AWAルート、そしてカナダルートと。

北米での仕事の量にもよるかも知れませんが
後々、全日本プロレスで多く見る機会の有ったのは
キラーブルックス、アレックススミルノフ、そしてジプシージョー。
体が大きいスター外国人レスラーが多い中、国際常連外人達は
泥臭く、中堅の扱い。
私がプロレス見始めた頃、国際プロレスは北海道の羅臼で
終焉を迎えてしまいましたので、選手の技量は
決して新日本、全日本に劣らない国際プロレスをリアルタイムで観れた方々を
羨ましく思ったりします。

私の国際プロレスのエース外国人レスラーのイメージは
ビルロビンソンでは無く、ジプシージョーなんですよね。
ジプシージョーはカナダルートのプロモーター、マッドドッグバションが国際に連れてきた
大当り外国人選手に思えます。無名の救世主を得たというか。

そしてマッドドッグバション。
かなり多い外国人スキンヘッド&ヒゲ面系悪役レスラーの1人と
子供の頃からインプットされておりますが実績は凄くトップレスラー。
シュート、喧嘩の強さでは、アンドレは別として、その頃のレスラー、
日本でもよく知れているルーテーズ、ダニーホッジ、ワフーマクダニエル、
ハーリーレイス、ディックマードック、バットニュースアレン等
「喧嘩最強、特S級」にランキングされるレスラーである事。
私は残念ながらリアルタイムのプロレス中継で見る事が出来ませんでしたが
まあ、凄いですね。特に北米では喧嘩の強さは半端ないと。
売れているレスラーでは、レイスやマクダニエル等と同格で「特S級」と。

そして、アングルであるでしょうが
自分の子飼いレスラーとの仲間割れ、大喧嘩マッチと。
ガツンガツンとマジパンチを打ち合っておりますね!
今では見れない喧嘩モードのタフな肉体。
コレは凄い。


東京12チャンネル期の国際プロレス最強外人タッグチームとは?マッドドッグ・バション&ジプシー・ジョー組を特集してみた【企画物】


此方のyoutubeチャンネルが出来てから
沢山、国際の試合に触れる事が出来ました。
今の地上波プロレスでは有り得ない喧嘩マッチに流血ファイト。

そう言えば、全日本に上がる様になったジョーと対戦した馬場が
チョップした手を抱え「おーっ!硬い、硬い!」と
ジプシージョーの頑丈さに驚いたそうで。

話はズレますが、国際本欲しいのモノ有りますが
15年の歴史、分厚い本で。
全く信用していない新日本プロレスと対抗戦する程
国際は追い詰められていたのでしょうね。
新日本は国際を潰すつもりでいたそうですし。
国際崩壊後、国際はぐれ狼軍への酷い仕打ち‥。
ハートが良いというジプシージョーと金網デスマッチでも戦った
マイティー井上の新日本拒絶反応は徹底してましたな。

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2 コメント

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国際プロレスには郷愁のような… (凸椪)
2022-01-20 18:23:46
国際プロレスの創始者・吉原功氏は日本マット界では良識ある人物として知れ渡っていたそうで、当時は早稲田大学出のアマレス選手として鳴らし、日本プロレス入りした時には、あの力道山も道場ではレスリング技術で教えを請うたほどの実力でありながら、リング上では前座クラスに甘んじ、現役引退後は営業部長として辣腕を振るい、社内や業界では絶大な信頼を得ていたと聞きます。ただ幹部であった遠藤幸吉と業務上の折り合いが悪く、日プロを退社後に“理想のプロレス”を実現すべく、ヒロ・マツダと語らって国際プロレスを設立したものの、スター選手不在のまま、老舗の日プロからの締め付けや営業妨害のため、猪木・豊登が旗揚げした東京プロレスと合同興業を行ったり、猪木の離脱(日プロ復帰)後には“尻拭い”のように東プロの残留選手を引き取ったりと、テレビ放映までの期間は常に団体存続危機に遭ったようで、ようやく安定期に入ったと思った時点でもグレート東郷との金銭トラブルに見舞われ、吉原氏の恩師・八田一郎アマレス会長の伝手で欧州路線にシフトを強いられたことで、ロビンソンやアンドレといった逸材を発掘したところまでが順風に与かったと言えるかと思いました。
私個人では初めて電波に載った「草津対テーズ」から、毎週、テレビ観戦していましたが、スター揃いの日プロとの差は埋まらず、一時、AWAと提携してガニアの初来日もありましたが、米マット界からの招聘が可能となっても、二線級の選手だったり、日プロからお呼びの掛からなくなった古参レスラーが多かったように思います。バッションは日プロではメインで暴れていましたが、弟のB・バッションと兄弟タッグで国際に、妹も全女へ来日していたのも視ました。(日プロでは馬場や猪木と抗争を繰り広げていた)ターザン・タイラーやボブ・エリスなんかも来たことがありましたが、やはり過日の迫力は感じられませんでした(ガニアやビル・ワットは別格としても…)。国際が崩壊後に、G・ジョーが、米マット界では格上の桜田一男(ケンドー・ナガサキ)よりもあらゆる面で全日では数段扱いが良かったのを、のちに桜田本人が某誌面で告白していたのを覚えていますが、確かに一部の例外はあっても、国際でメインを務めた外人は、必ずしもアメリカではトップとなったレスラーは少なかったと思います。
色々な内部事情からS・小林や剛竜馬が脱退したり、苦し紛れに(?)デスマッチ路線に走ったりと、当初の“理想の”レスリングを標榜する方針とは離れてしまった感はありますが、吉原氏ご自身は馬場や百田家など団体内外からの信用は厚かったことで、15年間、国際が継続していたものと感じます。私が国際をナマで観戦したのは、最末期の幾興行でしたが、合宿所が全焼するなどの不運も影響していたのかと…。試合会場で購入したパンフレットは、今でも持っています。
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凸樫さん (太郎)
2022-01-20 19:20:29
吉原氏は早稲田でしたかね。日プロ興行がスタートする頃には入団していたのですね。
と、遠藤幸吉は多くのトラブルの場に名を連ねているというか。
人間が良すぎた事で国際が選手一同、会社の為に!とギャラ遅配でも頑張ったんでしょうし
国際での苦労が命を短くさせたのでしょうね。
テーズvs草津という伝説?の一戦をTV観戦されたのは正直羨ましいです。
娯楽が少ない当時、全国民の前で大恥をかいた国際がそのプロレスの裏で
TBSと超過激な争いをしていたかも知れない?という意見も有る頃の。
豊登から、北澤氏はマサ斎藤とラッシャー木村は必ず引き抜け!と命を受けていた様で
2人に遠回りさせ悪い事をした‥と言ってましたな。
米国へ行ってもフットボール活動をしていた草津や杉山に峠は過ぎてもテーズを当てるとは‥で。
そういえば鶴見五郎が入団した頃は、東京プロレス上がりの人間で半端なく性格の悪い人間が
多かったなんて鶴見が言ってましたな。大◯とか。
記事にも書いたのですが北米で仕事の量が多くないレスラーがエースを取れたと思っております。
私も知らなかったレスラーをパンフレットで全面にプッシュしていたり。
ガニアは別としてブルーザーやリソワスキー、を上げたり
これから羽ばたくビリーグラハムやダイナマイトキッドも先駆けて招聘したり
多々、先見の明は凄いのですが時代が早すぎたり、日本人大型選手が少なかったりと。
馬場に冷遇されていたナガサキが与えられたチャンスはドリームマシーンの仮面を被った時に
ジョーと組んでアジアタッグだけだったと言ってましたね。(ナガサキのフォール負け)
アレックススミルノフはジプシージョーの事を
「俺は全米でトップ取っているのにあんな無名な奴をエースにしないでくれ」と
嘆いたというのがある意味おかしかったです。日本の、末期国際の泥臭さに
ジョーがマッチしていたのでしょうね。本人は語らずともかなり苦労した人だそうで。
その親分のバションとの顔面殴り合いは、ブルーザー&リソワスキーの胸のどつき合いでは無く
頭部ですから、コレはど迫力でしょう。昨夜改めて観ても驚く位にお互い殴ってますし。
私もかなりコンディションの良いサイン入り国際カタログが何冊も有り
どうしようか‥と思っております。お宝と思っていてもニーズが無さそうで。
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