ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

「あの頃のように」障子久美

2021年12月31日 | 音楽
今週月曜日に祖母が亡くなりまして。後5日体調が維持出来たら
満102歳を迎えられたのに。同日が母の誕生日でお祝い買いに出たら連絡有りまして。
放心状態のまま、今回の事でアルツハイマー病が悪化した様に感じる父連れ
翌朝早く大阪へ向い、20年近く介護してくれていた叔母の家で涙の対面。
他人様から見たら大往生でも、大切に思っている人間からしたら年齢は関係無いというか。
人によって其々ですね。喪主の父がどうにもならないので私が喪主代行し
お寺や葬儀の段取りや支払いを叔父が一通りやってくれたのですが
心身共に疲弊している叔母夫婦の家に厄介になるのは出来ないので
年末の割高料金の阪急ホテルに宿泊していました。
ホテル代だけで、中古のギブソン買えますな。
通夜、葬式は家族葬で無事終わり、手続き諸々の打合せは大まかに話合い
コロナや父の状況次第で再び大阪、または兵庫但馬に改めて向かいますが
この1週間の記憶が曖昧でホテルに帰って来たら目が回るというか‥。
(おまけにホテルの隣部屋からは夜中にメス声響くし(怒))
未だ何やって過ごしていたのだろう?と、20年ぶりに出てきた
持病の症状も有り。(離人症。自分が自分で無い幽体離脱した様な症状)

前置きが長いのですが、クタクタにホテルに帰って来て
整理やお風呂済ませひと息付いた後
この曲を毎日、何回も何回もリピートして再生し聴いていました。
とても救われる様な曲と歌でした。

障子久美 /あの頃のように (1991) 【PV-歌詞付】


母が最近深夜ラジオをかけながら寝るのにトランジスタラジオだと音が痛いというので
iPhoneに「radiko」アプリをインストールしてあげたら
スッカリ今ではradikoユーザーで。
毎週日曜日の朝7時から放送されているイルカさんがDJを務めるラジオ番組で
この曲が流れていたのですな。訃報が入る前日の朝です。
「アレ?この曲は何だか聴いた事あるなぁ」と。
伸びやかに歌う障子久美さんの歌唱に心に沁みるメロディーやアレンジ。
ドラマの主題歌だったそうなんですが91年のこの頃、
私はこのドラマを知らないんですな。
昭和が終わりバブル期も終盤。音楽シーンはビーイング系アーティストが流行り
一部を除いた多くの邦楽を毛嫌いしていました。
(勿論、好きな曲も有ります)
学生時代、朝〜夕方は平日ほぼサンリオの商品管理センターでアルバイト。
夜はカラオケも有るBAR、パブ。
センターでは一日中有線放送が流れていて沢山居るバイトの女の子達が
TELしリクエストしていました。
恐らく、有線で流れていて耳に残っていたのだと思います。
そしてBARで歌っていた女性客。
いやぁ、素晴らしい曲です。30年経っても全く色あせない。
伸びやか声で所々切なさを見せる歌い回し、
シンセサイザー、コーラス、ホーン、ギターアレンジ、そして演奏も凄く良く。

この数日、ある意味心の支えになってくれた曲です。
とにかく一般的休日の日曜日の8時頃に気持ち良くradikoから
この曲が流れ、そしてとてもその日曜朝に合っていたのでした。

話しはイルカさんに移りますが
イルカさんは伊勢正三の「なごり雪」が今でも名曲として語り継がれています。
私が音楽学校に通っていた夏、学校の単位の1つとして
今は閉館している日比谷公会堂で「消しゴムコンサート」という
何だか、不明なイベントが有ったのです。学生は必須単位行事。
名前だけの副校長、湯川れい子氏が司会進行でパネラーとしてイルカさんが。
なんやら湯川れい子氏が講釈垂れていた、いやもっともな事を話していたのですが
無関心な他の学生達は此方から見ても恥ずかしい程、
あちこちで皆くっちゃべっていたのです。
私ですら不快なのですから、司会の湯川れい子氏は遂に勘忍袋の紐が切れ
壇上から、ごもっともなお説教をしました。
その中で「この後、決してタダでは聴けない様なイルカさんの凄いコンサートが有るんだからね!!!」
と、怒られておりました。(いや‥高額な学費から出ている筈ですが‥)
私、その雰囲気が嫌になり、出欠有ったかな?だけ済ませ帰ってしまいました。
(そういう私もアカンな)そういう訳でタダでは聴けない様なイルカさんの
コンサートを観れません(観ません)でした。後になって勿体ない事をした‥
そう思うのでした。その数ヶ月後、私は鍵盤やギターで「なごり雪」を
沢山弾く事になるのですから。

日曜日の気持ちの良い(???)朝、ニッポン放送「イルカのミュージックハーモニー」
不幸の前日、日曜日に流れていた素晴らしい名曲「あの頃のように」
この曲のメロディー、歌声、アレンジが頭から消えない1週間でした。

今年、私は大晦日も正月も無いですが
この歌が暫く私のマイブームとなるでしょう。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« DEATH 「Individual Thought ... | トップ | 個人売買でヤラレた機材達 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ES335TDCさん (太郎)
2022-01-02 22:48:48
有難う御座います。
これまで6年位、冬に入った時期に危機を迎えていたのですが
遂にこの日が来てしまい。そして6年前に喪服新調したのですがウエストがキツくなるという(>_<)
この曲、90年代的でありながら、でも80年代のテイストを感じますよね。
素晴らしい曲に歌、アレンジです。この頃既にDTMが使われていましたが
この曲のドラムはどうでしょうかね?私はこの音が人間が叩いた音か?未だ判らないんです。
シンセのアレンジもやはりこの頃流行った音ですよね。しかし当時シンセも
かなり音色が使えるモノ増えていましたね。当時私EOS買おうか?と思いましたし。
ドラマ観られていたのですね。そうでしたか、紺野美沙子が。
労りのお言葉有難う御座います。自分も‥ですが父に手がかかる様になりますねぇ‥。
返信する
Home In My Shoesさん (太郎)
2022-01-02 22:38:34
ありがとうございます。
恐れていたのですが、父の病が今回の事で悪化してしまいまして。
曽祖母も後数日で満97を迎える所で亡くなった事も有り
しかし今回、祖母は酸素不足でかなり苦しそうだった様で楽になれて良かったとも思います。
何気無い大往生という言葉ですが、悪意は無くとも当事者達にとっては
受け止め方が其々なんで複雑なんですよね。
あまり他所様の不幸で此方側が言う言葉では無いなと思いました。
この曲、微かに聞き覚えある感じの曲ですが
やはり素晴らしい曲は何処か脳が覚え、そしてフとした機会に思い出すモノですね。
今日も‥毎日一日一回は聴いております(^_^)
本年も宜しくお願い申し上げます。
返信する
Unknown (ES335TDC)
2022-01-01 23:29:52
太郎 さん


そうでしたか…。こういう時、なんと言えば良いのか本当にわからないですね…。心よりお悔やみ申し上げます。

この曲懐かしいです。音作りには'80年代の残り香を感じると言うか。スネアの音色やシンセのアレンジはやはりこの時代特有の物ですね。
障子さんご自身の作詞/作曲のようですから、才能/実力共にかなりのポテンシャルをお持ちなのだろうと感じます。
「それでも家を買いました」、確か三上 博史さんや田中 美佐子さんの姿がなんとなく記憶に残っています。


心身共に大変お疲れだと思います。少しでもゆっくりご自身を労わって下さいね。
返信する
Unknown (Home In My Shoes)
2022-01-01 19:31:52
お祖母様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。

年末の慌ただしい時期に大変でしたね。また、お父様のお世話も重なって・・・。

傍目には大往生でも大切に思ってるひとには年齢関係ない、まったくそのとおりだと思います。きっと、そういった周りの優しい気持ちは届いていることと信じたいです。

 さてこの曲、ええ曲ですねぇ。私は初めて聴いたのですが、たしかにドラマの主題歌っぽいような気も。

 太郎さんには意外な感じも勝手にしたのですが、こうした曲も聴かれるのってヘルシーなことかとも思いました。

 お体、少しでも休まれますように・・・。本年もよろしくお願いいたします(*´ω`*)。
返信する

コメントを投稿

音楽」カテゴリの最新記事