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人間誰しも死は訪れるモノでえすが
私が子供の時、または学生時代に手も届かない存在の人達が
どんどん天に召される時代になってしまいました。
昨年、猪木が亡くなり
同時代に活躍した元NWA世界ヘビー級チャンピオン
テリーファンクが遂に亡くなってしまいました。
長い間、認知症を患っていたと、多方面で聞いていましたが
WWEが最後の姿としてテリーの寝ている(遺体?)のベッドが
病院内で運ばれる映像が流れてましたな。
年齢的にも頭は分かっていても、やはりテリーファンクは
ここ日本でスーパースターでした。
ミルマスカラスと二分するアイドルレスラーで
テリーを応援するチアガールチームが何グループも会場に現れたり。
私が初めてプロレス観戦したのは「テリーファンクさよならシリーズ」
最終戦の後楽園ホール大会だった事も有り、確か塾を休んで
観に行ったなぁ。
そして、皆が涙した日本での引退試合。
ホント、ココでカムバックせず引退したら
伝説の人だったのになぁ、と思います。
しかしカムバックしてからのテリーは老いても
色んな事にチャレンジし、それはそれでカッコ良かったです。
ザ・ファンクス、兄のドリーファンクJr.はテキサスを離れフロリダに移住しましたが
テリーはずっとテキサスに居たのでしょうね。
父、ドリーファンクシニアの威光が有ったとしても
ドリーは4年以上、テリーは2年弱かな?兄弟で世界最高峰NWA世界チャンピオンでいれるという事は
どう考えても偉業ですし、それだけ凄いレスラーであった事は間違いないです。
私がプロレスを見始めた頃、ザ・ファンクスは全日本プロレスの
メインイベンターで正義の味方でした。
スタンハンセンが新日本から移籍してきた頃は
実際引き抜きに貢献した師匠テリーと弟子のハンセンの抗争は
血で血を洗う程の凄惨な試合が多かったので、より興奮しました。
大仁田を初め、多くのレスラーが影響を受けたでしょう。
メンズテイオーは以前「テリーボーイ」と名乗っていましたしね。
正直、言いたく無い、躊躇してしまう言葉ですが
‥ご冥福をお祈りします。
私が子供の時、または学生時代に手も届かない存在の人達が
どんどん天に召される時代になってしまいました。
昨年、猪木が亡くなり
同時代に活躍した元NWA世界ヘビー級チャンピオン
テリーファンクが遂に亡くなってしまいました。
長い間、認知症を患っていたと、多方面で聞いていましたが
WWEが最後の姿としてテリーの寝ている(遺体?)のベッドが
病院内で運ばれる映像が流れてましたな。
年齢的にも頭は分かっていても、やはりテリーファンクは
ここ日本でスーパースターでした。
ミルマスカラスと二分するアイドルレスラーで
テリーを応援するチアガールチームが何グループも会場に現れたり。
私が初めてプロレス観戦したのは「テリーファンクさよならシリーズ」
最終戦の後楽園ホール大会だった事も有り、確か塾を休んで
観に行ったなぁ。
そして、皆が涙した日本での引退試合。
ホント、ココでカムバックせず引退したら
伝説の人だったのになぁ、と思います。
しかしカムバックしてからのテリーは老いても
色んな事にチャレンジし、それはそれでカッコ良かったです。
ザ・ファンクス、兄のドリーファンクJr.はテキサスを離れフロリダに移住しましたが
テリーはずっとテキサスに居たのでしょうね。
父、ドリーファンクシニアの威光が有ったとしても
ドリーは4年以上、テリーは2年弱かな?兄弟で世界最高峰NWA世界チャンピオンでいれるという事は
どう考えても偉業ですし、それだけ凄いレスラーであった事は間違いないです。
私がプロレスを見始めた頃、ザ・ファンクスは全日本プロレスの
メインイベンターで正義の味方でした。
スタンハンセンが新日本から移籍してきた頃は
実際引き抜きに貢献した師匠テリーと弟子のハンセンの抗争は
血で血を洗う程の凄惨な試合が多かったので、より興奮しました。
大仁田を初め、多くのレスラーが影響を受けたでしょう。
メンズテイオーは以前「テリーボーイ」と名乗っていましたしね。
正直、言いたく無い、躊躇してしまう言葉ですが
‥ご冥福をお祈りします。
スピニング・トーホールドよ、永遠に!
昔興奮したテキサスブロンコの試合を観て追悼しようと思います。
スピニングトーホールド、弾きたくなってきます。
シニアが亡くなった後にも、NWA王者に君臨したことのあった両兄弟は全日に上がっていましたが、最も印象的な試合は最強タッグの決勝でブッチャー&シーク組との伝説的流血戦(この頃には自宅テレビもカラーになっていて…)と、この感動的なテリー引退試合でしたが、数年を経ずして“カムバック”したのは何か割り切れない印象を持ちました。まぁカムバック後は目立った活躍もなしに、ファンクスはいつの間にか全日からフェイドアウト。逆にハンセンやゴディの方がレギュラー外人として定着していたという何とも皮肉な成り行きでしたが、数年前に来日したドリーの試合の映像を視て、随分と老成していたのには唖然としました。テリーも79才という高年齢で身罷ったのは隔世の感がありますが、アップされた40年前の引退試合の頃には、私自身の熱心なプロレスファンで、彼らの入場テーマ「スピンニング・トーホールド」のEP盤を購入したり、今でもパンフレットを捨てないで持っています。ただ会場にいたチアガール達は全日かTV局による“仕込み”じゃないかと思っていましたね…。
現在YouTube等で観れますが、初めて観て且つ記憶にインプットされたのが
上のテリーファンク引退試合興行でのダイジェスト動画でした。
この間、初めてvsブッチャー、シーク戦のノーカット版を観ました。
エルサムライはこの試合観てプロレスラーに関心持ったそうです。
テリーの早い復帰は全く心に響きませんでしたね。どこかシラけておりました。
ただインディーでハードコア、WCWでもムーンサルトと元NWAチャンピオンが
時流を汲んでその土俵で輝いたのはカッコいいな、と思いました。
大仁田のFMWでの本格復帰を知り、何で今更大仁田?と驚き当時はシラけていました。
ハンセンが全日本に移籍した時は本気でハンセン、鶴田と世代交代する為に
引きづり降ろす心でマジな闘いだったそうです。
ドリーは老いても、やはりルーテーズの様に基本と理論をシッカリ見せれば
完全に成り立つんだな、逆に凄いなと思いました。
カバー専門バンドで今度「スピニングトーホールド」をやろう、というアイデアを出してみました。
私がプロレスにハマったのは、ファンクス対ブッチャー・シーク組で伝説的大流血試合からでした(*´ω`*)。先日見たYou Tubeであのアングルを語ってたのですが、いや本当にすごかったですもん。さすが昭和(*´ω`*)。ブッチャーが本当に悪くて、シークはものすごくセコくて(*´ω`*)。
そこへ片手を包帯でぐるぐる巻きのまさかのテリー復活からの大逆襲ですよ(*´ω`*)。いやー、本当に素晴らしいTVマッチでした。偶然ですが、リアルタイムで見られた幸運に感謝です。
ハンセン・ゴディ組との引退マッチ、まさに誰もが予想通りの展開で、これぞ安全・安心の全日マットならではでした(*´ω`*)。いや、本当にそう思います。私が愛した当時の全日ならではの「絶対期待値を下回らない予定調和」ですよ。
初来日のゴディってだけで、彼がテリーに負けることは誰でもわかるじゃないですか(*´ω`*)。それがこのゴディとやらが強い強い。ハンセンに匹敵するかと思うほどの馬力と、試合を壊しかねない危うさもあって、毎週全日見てる私(ハル園田や石川がきっちり時間内に負けて、メインのビッグマッチでジョー樋口が失神してしてくれる信頼感)でさえハラハラの展開。
いや、テリーは本当にベビーでしたもん(*´ω`*)。私はファンではなかったけど、代わりがいない存在だったことは今もリスペクトしてます(*´ω`*)。
キン肉マンのメインキャラですよ!ドリーはなれませんでしたから。
ただ、ドリーがロブ・ハルフォードにそっくりな点では、さすがのテリーも及ばなかったかな、と(*´ω`*)。
アレでテリー母性本能をくすぶるアイドルレスラーになったのですし。
そういえばハンセンもテリーに凄い影響を受けていると。
子供心には何でハンセン、ブロディーじゃないんだ!?この二人を倒して引退だろ!
ずっとそう思ってました。しかしゴディーが本当に良い仕事をするのですよね。
こういう所が上手い!と言われる名レスラーに名を刻む所だったのに‥。
東京ドームでホーガンと闘うのは元々はハンセンでは無くゴディーでしたものね。
でもテリーがフォール勝ちした時は歓喜乱舞でした。そしてテリーがこんな空中殺法を使うんだ、と驚いたり。
しかし、石川はつくづくヤラれ役の中堅イメージですよね。
ヴィジュアルが良く華が有れば原みたいに天龍と競えたのに。
キン肉マンとは。凄い所に目を付けられ(笑)
ホント、ドリーマンは居なかったですもんね。
そしてロブとドリーの対比は知る人ぞ知るで面白いですよね。
そこに目を付けられるHomeさん、流石です!