ヤンディーズ

現在闘病中で「病んでいる」ボーカル&ギタリスト、「太郎」の独り言

新日本プロレス 全日本プロレス引き抜き外国人レスラーの扱い

2021年08月13日 | プロレス
新日本、全日本プロレスで外国人レスラー引き抜き合戦が始まった1981年から
猪木、馬場がリングに上がっていた時のレスラー達の光り方に
大きな違いが有ると思ってしまいました。

その前を辿れば、カールゴッチ、ストロング小林、アンドレザジャイアント(モンスターロシモフ)
ビルロビンソン、ダイナマイトキッドが国際から新日本に抜かれたり。
アンドレに関してはWWFと新日本との提携も有りますが。
国際、新日本両団体に上がれど、優先権は新日本ですし。

高額なギャラを確約し外国人レスラーを厚遇し
適材適所で活躍させた全日本プロレス。
全日本への対抗心で新日本が引き抜き始めたものの、
立ち位置が微妙なレスラーが。

具体的に引き抜き始めたのが、やはり
ブッチャー⇄タイガージェットシンですよね。
新日本が手始めにディックマードック、そして馬場のライバル、ブッチャーの引き抜きに成功したら
全日本にシン、そして新日本プロレスにとって1番痛いスタンハンセンを引き抜かれた事。
スタンハンセンは事実上、全日本プロレス所属と言っていい立場で
ブルーザーブロディーとのコンビで大旋風を巻き起こし
新日本のハンセンでは無く「全日本プロレスのスタンハンセン」と
インプットされている人が多いですよね。
私も1年プロレスを観始めるのが遅ければ、新日本のハンセンは知らなかったです。
現に、猪木vsシンをリアルタイムで観て居ないので。

そしてアメリカやカナダのプロモーター、ブッカーとの関係性により
団体が変わったレスラー達も。
ケビン、ケリーのエリック兄弟が新日本へ。
ダイナマイトキッド、デービーボーイスミスが全日本プロレスへ。

大きいレスラーが好きな馬場がキッド、スミスに対してイマイチな反応でも
マレンコブラザーズと闘えばファンがまた観たいカードNo1に。
ハンセン達にキッド、スミスを当たらせたらこれまた面白く、
逆にそこで頭を悩ませた馬場だったそうですが。
一方、元NWA世界ヘビー級チャンピオンとしても全日本に来日し猛プッシュを受けた
ケリーフォンエリック。そして兄ケビン。
ホント、記憶に薄いんですよね、新日本時代。
前田、藤波、木村健吾、武藤との絡み辺りで
美味しい試合はほぼ記憶に無い。
猪木がケビンと組み木村健吾、武藤啓司と闘い
猪木が徹底的に武藤を血塗れに痛ぶったのに
ケビンが付き合わされ、最後に首固めで勝ちを譲る所。
ケリーは前田と噛み合わず困って受けまくり、最後に意地でアイアンクローで
両者リングアウトとか。
UWFと業務提携、ジャパンプロレスUターンで、居場所なくなったという感も。

そして引き抜いたものの、最大の問題児になる
ブルーザーブロディー。ロードウォリアーズ全日本参戦で
ヘソを曲げ、そのタイミングで人材不足に陥った新日本に口説かれ
結局、目玉カードがvs猪木位しか無い。
全日本に上がっていたものの、新日本で藤波とシングルで勝利を収めた
ジミスヌーカとのタッグでタッグリーグ決勝へ行くも決勝を放棄。
レスラーを下に見るプライドの高さが問題ですが
色んな思惑、事情が重なり、対戦が流れた前田戦。
(憶測的事情を最近聞きましたが忘れました(-.-;))
度重なるボイコットに2度の永久追放。

80年代に勃発した引き抜き戦争、どちらが勝者か?と聞かれたら
私は全日本!と答えてしまいますな。
新日本に夢はあるのですが、実の方を取ると全日本プロレス。
新日本のプロレスのカテゴリーにアメリカンスタイルレスラーをはめ込んでも
エキサイト感が減ってしまったというか。
あくまでも、私の感覚ですが。
何といっても子供の頃、1番怖いレスラーは
新日本に上がった頃のブッチャーでしたから。

しかし、WWFの本格的全米制覇が動く前、
外国人レスラーは基本的に個人事業主。
雇用の保証がある訳でも無く契約終われば、求められるテリトリーに移る
それが外国人レスラーの常。

新日本から全日本にトレード参戦したスティーブウィリアムスは
馬場が在命中は全日本に上がり続け、大会場でメインと取りまくりました。
後、引き抜きでは有りませんが全日本プロレスが来日させた
ロードウォリアーズ。
WWFルートでSWSに上がるも、後に新日本に移り
パワーウォリアー事、佐々木健介とヘルレイザーズを結成するホークウォリアー。
ヘルレイザーズ同等のパワー&実力がある相手、
またはウォリアーズ同様、対戦相手が上手くやられてくれる試合は爽快感。
それ以外はダルい試合も有ったな‥と思いますね。
特にパワーウォリアーの試合運びが‥。
アニマル、ホーク、パワーとトリオの試合も有りましたが
あまり噛み合ったイメージは残ってないのです。
というより、ウォリアーズのファイトスタイル的に
日本での名勝負という試合が思い浮かばない‥。

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4 コメント

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Unknown (Home In My Shoes)
2021-08-13 12:01:21
あくまで私見、というか全日派の私なので、新日の「猪木が光らないと駄目」みたいな体制では、どんな外人も駄目やろ、と思いながら見てました・・・。

私が新日見始めたのは、長州維新革命あたりからなので、新日のシンもハンセンも知らないし、既に猪木自身の全盛期も過ぎておりましたから、見てて苦しかったなー(´・ω・`)。

スティーブ・ウイリアムスと猪木のシングルマッチは、週刊ゴングで「昔の猪木はやられっぷり(受け具合、といったニュアンスでしょうか)が良かったけど、今はただやられているだけ」とすら書かれて。いや、実際ひどかったです。
馬場さんはメインをとっくにジャンボに譲ってたのに、猪木はできなくなってもメイン張りたがるんだと。まぁ、そのえげつなさは猪木の魅力でもありますが。

全日の良さは、週プロには「予定調和」と酷評されていた「受け合い」でしょうか。誰にでも見せ場がありましたもん。天龍革命でさえ、きちんと受けてましたし。天龍離脱後は見なくなったので知らないのですが。

パワー・ウォーリアー、しょぼかったんでしょうか。これも見なかったなぁ。健介はいい選手でしたが、アニマルの役をやるにはサイズがねぇと思ってたもんで。逆に、付け焼き刃っぽいSTFとかやるホークは見たくなかったです。

あ、今思い出しましたが、武藤と蝶野だったかがウォーリアーズとやる前に「レスラーとしての引き出しは俺たちが上」みたいなこと言ってて、「ウォーリアーズの良さを消そうとするかなー」とびっくりしました。試合もスイングしない凡戦で(´・ω・`)。

ちょっとあれこれ書きすぎましたね。なんか、すみません。
返信する
Home In My Shoesさん (太郎)
2021-08-14 02:55:17
今、10年前に購入したPRIDEの本を読んでますが、まあどこ行っても結局猪木ですね。
アメリカでは無名の猪木、アメリカで成功した馬場。
日本人選手のサイズの事も有りますが、クーデター未遂事件の様にTV局も猪木ナシなら放送しない!でしたし。
猪木を超える存在は闘魂三銃士の時代が来るまで厳しかったのかも?
流石に40を超えた頃は厳しいモノは有りましたね。しかも糖尿病で。
放送時間が土曜日夕方四時になり、私は部活の練習で見れず暫く新日本はブランク有りました。
ウイリアムスにこっぴどくやられたのは偶然立読みで知ったのですが
アレはウイリアムスが下手だったんでしょうねぇ。昔のハンセンみたいに。
そのハンセンと言えば、馬場はTOP退いたのに鶴田を抑え全日TOPに立つファンクスに
本当に怒りが有った様で、引き抜いた恩師テリーファンクをガチで超える気持ちで
死闘を繰り広げたそうです。自伝によると。
今、改めて知る猪木の予定調和嫌い。客を満腹にさせる馬場と真逆でしたね。
長州革命は猪木が長州焚きつけた説も有りますね。
欲が無いといのも有りますがマードックが脇役的存在でしたし
NWA、AWAと密接な全日本は豪華外国人レスラー呼びまくりで
日本人のギャラ上げようと奮闘した天龍革命は後で聞くとホント報われないなぁと思います。
チト、脱線しました。
佐々木健介は‥後々に若手の虐待と人望の無さがプロレスファンが知る事となりますが
良い選手相手だと光る、しかし自分より力量が下のレスラーと闘うにはどうにもつまらない
武藤に「あんなしょっ‥奴」と言われてしまうのもうなづけます。
それ、小橋にも同じ事言える感じがするんですよね。
グリーンボーイの小川にプロレスさせた橋本や三銃士と大きな違いが有ると思うんです。
それは若かりし日の長州も然りなんですが。
返信する
引き抜き合戦は数年にわたり…。 (凸椪)
2021-08-14 19:25:34
場所と日時は忘れましたが、当時、新日の営業本部長で「過激な仕掛け人」の異名のあった新間寿氏が、メインかセミの始まる前のリング上で自信タップリに全日よりT戸口とDマードック(?)だったかを引き抜いたことをマイクで発表していた場面を覚えています。確か第一回のIWGPが開催される直前だったかと思います。それ以前より新日は他団体に触手を延ばしていたかと思いますが、全日よりも前に彼らの"過激な引き抜き"でワリを喰ったのが、S小林や剛竜馬を持って行かれた国際プロレスだったかと…。まして少しでも高く買ってくれる方へ動く外人レスラーが、義理を欠いても簡単に移籍するのは自明の理かと思います。ただ日本人的な感覚からは割り切れない印象があって、結局、移籍先でトラブると日本マット界からは消えて行ったり、元の団体に出戻るのは避けられないのかと。ブロディやブッチャーのように"元の鞘に治まる"ことができる例は幸運な方かと思いました。
新日では新間氏が去って、坂口氏が社長となってからは馬場氏との"紳士協定"があり、引き抜き合戦は一段落したものの、アメリカではWWF(現WWE)によりマット界が席巻されて、来日する外人レスラーが限られて、半ば、固定化しマンネリとなった印象があったのは残念なことでした。一時、SWSなる金満なるも短命だった団体にホーガン始めWWF選手が上がっていましたが、ギャランティ面でも負担が過酷だったようで…。
ところで後年、ブロック・レスナーなどが新日に上がっていたようですが、その時期にはWWEと新日との関係は修復されていたのでしょうか?私はその頃にはプロレスから"卒業"してテレビ番組も視なくなってしまったので…??
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凸樫さん (太郎)
2021-08-14 21:20:57
ホント、国際は見事に踏台の様な扱いで気の毒になります。
隅田川決戦での大失態が国際の行く末を示していたのか?相当頑張ったと思うのですが。
高橋本で伝説の猪木、ロビンソン戦で伝説になった所、
全日本に移籍したロビンソンが馬場にアッサリ負けたのに怒ったと書いてましたな。
新日本はハイセルの失敗が無ければ金銭的のもドッシリ居れたたかも?ですが
まああの猪木と新間がじっとしている訳無いですし、オールスター戦の2年後には
激しい引き抜き合戦でしたね。私がプロレス見始めた81年に戸口もマードックも
新日本にやってきたと思います。戸口に電話した新間が間違って鶴田の部屋に電話し
鶴田が戸口になりきり演技し、全部馬場に漏れてた移籍というのは面白かったです。
馬場も自分の団体の選手を海外島流しっきり、それでもお前は全日本だ!と
冷たいのに占有するのはおかしいとも思いますが
日本人と外国人の扱いは大違いですし。義理人情も消えるというか。
ブッチャー、ブロディーは使用価値が有るから戻れましたが、それ以外は徹底的に拒否でしたね。
レスナーは既にWWEを退団しフットボーラーへの道に失敗して新日本に上がるには
何ら問題は無かった筈です。ただ、新日本のオーナーが猪木からユークスと変わった事で
ユークス体制が徹底的にコストカットした事でレスナー側とトラブったとも聞きますね。
ハンセンがAWAのベルトを滅茶苦茶にした例がありますが
新日本に上がらない以上IWGPのベルトは早めに変換して欲しいとは思いました。
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