明治大学柔道部卒の元、柔道全日本チャンピオン。
打倒アントンヘーシンクに燃えた日本柔道界は
坂口を含めたメンバーで金メダル取りたかったのでしょうね。
柔道界を去るゴダゴダの中で日本プロレス入り。
そして坂口が馬場の全日本では無く新日本を選ばなければ
新日本プロレスは間違いなく潰れていたでしょう。
テレビ朝日のテレビ中継を持って来てくれたのですからね。
エースだけど、過激に事を荒立てたまんまのアイデアマン、猪木の尻を拭き
後々に会社として堅実経営体制を作り上げる
土台となったのは坂口が社長を務めた事が大きいでしょう。
前田日明やキラーカーンをはじめ坂口を批判する発言をする人も居ますが
猪木が幾ら国会議員になっても借金を増やした意味不な北朝鮮興行等のツケの
借金返済をした最終責任者は坂口が社長の時ですし。
自宅の権利書で新日本プロレスを維持しようとしたり
Uインターとの抗争を成功させた長州のプロデュースで
2人でアタッシュケースを持ち銀行に借金全額返済に行ったり
人徳、世間的信用は猪木では無く坂口ですね。
CEOとなり買収されたブシロード体制の新日本プロレスでも
現在でも80歳で相談役という役職で居る訳ですし。
第一回IWGP決勝戦、猪木vsホーガンの猪木の自作自演KO劇で裏切られ
「人間不信」と書置きし、無断欠勤しハワイに行っていた話も
今では半分、面白おいしい話題に‥。
本当は坂口が猪木に勝った試合か前田のと荒い試合を探しましたが
やはり新日本プロレスに狩られてましたので
まとめ?動画を。
世界の荒鷲 坂口征二最強説に迫る!昭和プロレス人物伝
坂口最強説も有りますが、ガチンコの強豪異種格闘技戦とかでは
良い結果は出なかった様に個人的に感じます。
キラーカーンはあの人はプロレスを解ってない!と毛嫌いですね。
(闘病中のキラーカーンへは賛否両論有りますがアメリカでTOP張ったカーンの主張も分かる)
猪木の補佐役で外国人が猪木との決戦前にナンバー2の坂口が負けるという
アングルは結構有り、当時「坂口程の男が何で?」とか思ったりしていました。
柔道のオリンピック強化選手だったかな?天才、武藤啓司は「坂口さんや長州さんみたいに
アスリートとしてトップに行った人はプロレスで格闘技路線をやりたいとは思わなくなるんだよ」
という様な事を言っておりましたが、正にそうだろうな、とも思います。
柔道会のいざこざから馬場の配慮でハワイに行き、その後1シリーズ帰国を繰り返すという形で
その後は通算3年半アメリカをサーキットし柔道会のイザコザから
自由なアメリカでテリトリーを回ったら、水が合いすぎて帰国したく無かった、
そう語ってましたね。
坂口がラジオ「真夜中のハーリー&レイス」に出演した回は声が聴き取りづらい事は別とし
凄く面白く興味深い話が出てました。
以前TV番組で息子で俳優の坂口憲二と一緒にフロリダのカールゴッチの家を訪ね
坂口憲二と西村修が年老いたゴッチとトレーニングする映像が流れましたが
本当は新日本の若手をゴッチの元で修行させゴッチイズムに洗脳されるのを
嫌ったと言われる坂口。ゴッチ道場へ行かなくなった話は諸説飛びますが
長州力。ゴッチの元に居たら俺のプロレスは駄目になるという気持ちだったとも
長州本に書かれてはおりますが。(アメリカマットで長州力は全く売れない商品でしたが)
ゴッチが本人の前で言葉を発しておりましたがナンバーワンになれなかった事を
「彼は優しすぎた」と坂口憲二とTVカメラに向かい話してましたな。
柔道がオリンピック競技から除外された時期で無ければ
坂口がオリンピック重量級、又は無差別級の代表だった可能性も有りますよね。
坂口は堅実な社会的常識人として信用が高く統率力が有り
自ら危ない橋は渡らない。その姿勢の中
会社では色々有り、柔道界に筋を通しスカウトした明治大学の後輩、小川直也に
当時とんでもない不義理をされたりと(小川が当時、猪木や佐山の洗脳状態という事も有る)
筋を通さず、破天荒な所が魅力だった猪木に対して
ある意味正反対で、頼り甲斐が有るとベテランマスコミにも言われていた
坂口。どちらの人生が正解か?なんて、それに答えは有りませんが
レスラーとしては、元々持っていたスーパーナチュラルパワー&鋼の肉体を
あまり披露せず、日プロ末期のエース期は除き
ナンバー2で、フロント組でも副社長で責任ある職だった坂口。
同じく役員だった山本小鉄とは犬猿の仲?とも本で読んだ事も有りますが‥
キラーカーンのWWFの坂口はお金は抜いていたのかな?
猪木と新間は間違いなく抜いていたでしょうが。
話はズレますがメキシコで活躍したグラン浜田も新日本に抜かれまくったそうで。
ココは坂口の話ではないですが。
後、誰のYouTubeチャンネルか?坂口の長身を活かした
ジャンピングニーパットはジャンプ力が足りず不恰好だったと。
同じく長身のホーガンもそうでしたな。
197cmのジャンボ鶴田という、天性の恵まれた身体能力が繰り出す
ジャンピンニーパットとの対比‥鶴田と比べるのは酷かな?
世の中の企業でもよく有った事ですが
プロレスや多々格闘技興行には不明瞭なお金の動きは
平成迄、より常識化していたでしょうが、会社の体制は坂口時代に
頑丈にした、というイメージがあります。
この記事だけでは不足している坂口情報も多いと思います。
あれこれ有り過ぎた波乱の新日本プロレスですし。
短文で〆ようとしていたのに長文となってしまいました。
打倒アントンヘーシンクに燃えた日本柔道界は
坂口を含めたメンバーで金メダル取りたかったのでしょうね。
柔道界を去るゴダゴダの中で日本プロレス入り。
そして坂口が馬場の全日本では無く新日本を選ばなければ
新日本プロレスは間違いなく潰れていたでしょう。
テレビ朝日のテレビ中継を持って来てくれたのですからね。
エースだけど、過激に事を荒立てたまんまのアイデアマン、猪木の尻を拭き
後々に会社として堅実経営体制を作り上げる
土台となったのは坂口が社長を務めた事が大きいでしょう。
前田日明やキラーカーンをはじめ坂口を批判する発言をする人も居ますが
猪木が幾ら国会議員になっても借金を増やした意味不な北朝鮮興行等のツケの
借金返済をした最終責任者は坂口が社長の時ですし。
自宅の権利書で新日本プロレスを維持しようとしたり
Uインターとの抗争を成功させた長州のプロデュースで
2人でアタッシュケースを持ち銀行に借金全額返済に行ったり
人徳、世間的信用は猪木では無く坂口ですね。
CEOとなり買収されたブシロード体制の新日本プロレスでも
現在でも80歳で相談役という役職で居る訳ですし。
第一回IWGP決勝戦、猪木vsホーガンの猪木の自作自演KO劇で裏切られ
「人間不信」と書置きし、無断欠勤しハワイに行っていた話も
今では半分、面白おいしい話題に‥。
本当は坂口が猪木に勝った試合か前田のと荒い試合を探しましたが
やはり新日本プロレスに狩られてましたので
まとめ?動画を。
世界の荒鷲 坂口征二最強説に迫る!昭和プロレス人物伝
坂口最強説も有りますが、ガチンコの強豪異種格闘技戦とかでは
良い結果は出なかった様に個人的に感じます。
キラーカーンはあの人はプロレスを解ってない!と毛嫌いですね。
(闘病中のキラーカーンへは賛否両論有りますがアメリカでTOP張ったカーンの主張も分かる)
猪木の補佐役で外国人が猪木との決戦前にナンバー2の坂口が負けるという
アングルは結構有り、当時「坂口程の男が何で?」とか思ったりしていました。
柔道のオリンピック強化選手だったかな?天才、武藤啓司は「坂口さんや長州さんみたいに
アスリートとしてトップに行った人はプロレスで格闘技路線をやりたいとは思わなくなるんだよ」
という様な事を言っておりましたが、正にそうだろうな、とも思います。
柔道会のいざこざから馬場の配慮でハワイに行き、その後1シリーズ帰国を繰り返すという形で
その後は通算3年半アメリカをサーキットし柔道会のイザコザから
自由なアメリカでテリトリーを回ったら、水が合いすぎて帰国したく無かった、
そう語ってましたね。
坂口がラジオ「真夜中のハーリー&レイス」に出演した回は声が聴き取りづらい事は別とし
凄く面白く興味深い話が出てました。
以前TV番組で息子で俳優の坂口憲二と一緒にフロリダのカールゴッチの家を訪ね
坂口憲二と西村修が年老いたゴッチとトレーニングする映像が流れましたが
本当は新日本の若手をゴッチの元で修行させゴッチイズムに洗脳されるのを
嫌ったと言われる坂口。ゴッチ道場へ行かなくなった話は諸説飛びますが
長州力。ゴッチの元に居たら俺のプロレスは駄目になるという気持ちだったとも
長州本に書かれてはおりますが。(アメリカマットで長州力は全く売れない商品でしたが)
ゴッチが本人の前で言葉を発しておりましたがナンバーワンになれなかった事を
「彼は優しすぎた」と坂口憲二とTVカメラに向かい話してましたな。
柔道がオリンピック競技から除外された時期で無ければ
坂口がオリンピック重量級、又は無差別級の代表だった可能性も有りますよね。
坂口は堅実な社会的常識人として信用が高く統率力が有り
自ら危ない橋は渡らない。その姿勢の中
会社では色々有り、柔道界に筋を通しスカウトした明治大学の後輩、小川直也に
当時とんでもない不義理をされたりと(小川が当時、猪木や佐山の洗脳状態という事も有る)
筋を通さず、破天荒な所が魅力だった猪木に対して
ある意味正反対で、頼り甲斐が有るとベテランマスコミにも言われていた
坂口。どちらの人生が正解か?なんて、それに答えは有りませんが
レスラーとしては、元々持っていたスーパーナチュラルパワー&鋼の肉体を
あまり披露せず、日プロ末期のエース期は除き
ナンバー2で、フロント組でも副社長で責任ある職だった坂口。
同じく役員だった山本小鉄とは犬猿の仲?とも本で読んだ事も有りますが‥
キラーカーンのWWFの坂口はお金は抜いていたのかな?
猪木と新間は間違いなく抜いていたでしょうが。
話はズレますがメキシコで活躍したグラン浜田も新日本に抜かれまくったそうで。
ココは坂口の話ではないですが。
後、誰のYouTubeチャンネルか?坂口の長身を活かした
ジャンピングニーパットはジャンプ力が足りず不恰好だったと。
同じく長身のホーガンもそうでしたな。
197cmのジャンボ鶴田という、天性の恵まれた身体能力が繰り出す
ジャンピンニーパットとの対比‥鶴田と比べるのは酷かな?
世の中の企業でもよく有った事ですが
プロレスや多々格闘技興行には不明瞭なお金の動きは
平成迄、より常識化していたでしょうが、会社の体制は坂口時代に
頑丈にした、というイメージがあります。
この記事だけでは不足している坂口情報も多いと思います。
あれこれ有り過ぎた波乱の新日本プロレスですし。
短文で〆ようとしていたのに長文となってしまいました。
カーンやG浜口の海外遠征中のファイトマネーが“ピンハネ”されていたことの実相は知りませんが、本当にメジャー団体になる以前の新日本プロレスだったら(経営陣の顔ぶれから判断すると)有り得る話だと思います。彼らも新日のブッキングで海外の団体を渡り歩いていたのでしょうから…。
猪木がハイセル事業に頓挫したのち、数年後に国会議員となってから新日の運営を任されてからの坂口の経営手腕は見事だったと感じました。“常識人”G馬場からの信頼もあったので、鶴田や天龍、三沢(タイガー)の貸し出しによる対抗戦も実現したし、SWSを立ち上げたメガネスーパーの田中八郎社長によれば、2年程でSWSが終幕したのちに、現場主体の感覚しか持てないレスラー達よりも坂口のような人材がいたら安心して団体運営を任せられたとのコメントを読んだこともありました(実際に田中氏が述べたものかは確認していませんが…)。
私事ですが職場とバンド音楽関係で明大卒の人がとても多かったりします。
柔道時代の腰痛原因でブリッジやスープレックスが出来ないとは書かれてましたな。
高橋本ででしたが、ブロディーが本来叩いてはいけない部分を
椅子で坂口が叩き続けるも頑丈な坂口の脚は怪我はしても欠場せず翌日の試合にも
出場したそうですしね。まあ、それがブロディーボイコット事件となるのですが。
長身も含め対峙した外国人レスラーが肌で感じる強さは馬場や坂口かもですね。
猪木は勝負師というか、暴動起きる国でセメントをしてしまう心の強さが有りますが。
プロレス界でのピンハネは慣例というか、平成でも使途不明金や利益から
スタッフや役員が抜いていた事話出てますね。坂口はどうか?存じませんが。
鶴見が言っていましたが「SWS良かったんだけど田中八郎、夢見過ぎて‥」
そう語っていたのが面白かったです。行き着く所寄せ集めの道場制でバラバラになったと。
坂口はプロレス界でしっかりバランス力を持っていた様に感じます。
本文に貼った動画は興味深く、全部見ました。
坂口がラジオに出演した時のYouTube貼っておきます。
https://m.youtube.com/watch?v=4Y0OY9MkPRE