このメタリカの86年作「メタルマスター」はメタリカがスラッシュメタルだけでは無く
「メタル」を極めた作品と思います。
1st、2ndとスラッシュメタル全開の作品をリリースし、スラッシュメタルの
TOPになっていた存在ですが、アイアンメイデンの超大作主義をふんだんに
組み込んで、ストーリー性と過激さ、両方を併せ持った作品ですね。
当時、ラジオのニッポン放送OAのSHOW-YAの寺田恵子のオールナイトニッポンで
Dパープルの「BURN」が流れ、HR/HMに目覚めたのですが、
寺田姉さんがメタリカにハマっており、「メタリカより速いの!?」とか言いながら
超B級スラッシュメタルバンド、エージェントスティールとか流していました。
やはり、このアルバムはスラッシュメタル嫌いな人でも聞きやすいアルバムですよね。
そして、疾走感、ガンズのスラッシュが「No1リズムギタリスト」と絶賛した
ジェームスのキレ味凄いリフにリズムギター、カークハメットのワウペダルを駆使した
リードギター。(カークはジョーサトリアーニにギター習っていたそうですね)
御存知の方も多いと思いますが、メガデスのデイブムステインはメタリカのリードギタリストで
あの性格が災いして、ある夜のギグに間に合うように用意周到にカークを呼び寄せ、
デイブはクビになり、復讐心に燃え帰りのバスでメガデス結成を決意したと。
それから、20数年経っても、デイブはメタリカに激しいコンプレックスを持っています。
(私はメガデスの方が好きかも)
この「メタルマスター」迄、メタリカは如何にもスラッシュメタルバンドでした。
その次の作品、「メタルジャスティス」ではグラミー賞のステージに立ち、
新設された「メタル部門賞」当確と言われたのに、頭の固い審査員が
イギーポップに「メタル賞」を授与し、シラケかえったという・・・。
この頃、「スラッシュ四天王」と言われた、メタリカ、アンスラックス、メガデス、
スレーヤーと括られた時代でした。後続組がテスタメント、オーバーキル、デスエンジェルと。
(エクソダスは・・米ベイエリアの先輩なのにハジかれて)
メタルジャスティスの頃から、疾走感のある曲が減ってきましたが、
続く、「ブラックアルバム」と言われるアルバム「メタリカ」で頂点に立ちました。
一般リスナーも「このアルバムなら持っている」という人も多かったでしょう。
(特にアメリカ)
しかし、このブラックアルバムが、全く持ってメタルファンが受け付けられないという人が
増えた作品となりました。私もキツかったですね・・・。
疾走感ゼロ・・・。内容は濃いのは良く分る。でも、ラウドロックに近づいていく
作品でしたね。日本のメタリカと言われた、同世代の名古屋のアウトレイジの方が
「マイファイナルデイ」という凄い作品を出して、溜飲を下げた位です。
少し遅れて、メガデスも「破滅のカウントダウン」という、世間では名作扱いの作品で
米チャートでもBIGになりましたが、私はこの時、「メタリカもメガデスも終わった」と
落ち込みました。メロディーがメインになり、あのキレ味鋭い楽曲は影を潜めたのですね。
メタリカもメガデスも。
メタリカの続く、「ロード」「リロード」は、正直、今でも聴きたくない作品です。
なんだか、ダラダラとメロディーを重苦しく歌うバンドになって。
(メガデスも「リスク」なんか特にそうですね)
この頃はハードロック、ヘビーメタル、第二暗黒時代(しかも10年という長期間)で
だら~っとしたロックが受ける時代となっていき。
そのメタリカもボーカル&リズムギター&コンポーザーのジェイムスが
アルコール依存症になってしまい、メタリカの方向性に嫌気をさした
メタルジャスティスからのベーシスト、ジェイソンが脱退し、VOIVODに加入。
そして、カウンセラー等入れて、バンドカウンセリングを長期間行い、バンド破滅の危機を
迎え、まあ、特に、ジェームスのアル中のストレス症状をドラマーのラーズが
理解するのに時間がかかり、そして、プロデューサーボブロックが
「新しいモノにチャレンジする気が無いなら俺は降りる」という決意の中、
カークのギターソロは無し、初のリズムギターレコーディング、そしてラーズは
スネアのスプリングを外した音で疾走感のある曲を叩きまくった「Stアンガー」を
リリース。この作品も賛否両論ありますが、私はメタリカが、メタリカに
戻りかけた作品として捉え、日本公演でも、凄まじいパフォーマンスを披露したそうです。
(私は持病の悪化&金欠・・・働けないから当然収入ナシ・・・で観に行けませんでした)
やはり、メタリカが一番メタリカらしかったと、私個人が思うのは、この
最高傑作と呼ばれる「メタルマスター」迄ですね。
次の「メタルジャスティス」も、まあ、ギリギリと。「ONE」のPVは凄かった!!!
(当然コピーし、今でも、直ぐ弾けます・・・歌えないけど)
「メタル」を極めた作品と思います。
1st、2ndとスラッシュメタル全開の作品をリリースし、スラッシュメタルの
TOPになっていた存在ですが、アイアンメイデンの超大作主義をふんだんに
組み込んで、ストーリー性と過激さ、両方を併せ持った作品ですね。
当時、ラジオのニッポン放送OAのSHOW-YAの寺田恵子のオールナイトニッポンで
Dパープルの「BURN」が流れ、HR/HMに目覚めたのですが、
寺田姉さんがメタリカにハマっており、「メタリカより速いの!?」とか言いながら
超B級スラッシュメタルバンド、エージェントスティールとか流していました。
やはり、このアルバムはスラッシュメタル嫌いな人でも聞きやすいアルバムですよね。
そして、疾走感、ガンズのスラッシュが「No1リズムギタリスト」と絶賛した
ジェームスのキレ味凄いリフにリズムギター、カークハメットのワウペダルを駆使した
リードギター。(カークはジョーサトリアーニにギター習っていたそうですね)
御存知の方も多いと思いますが、メガデスのデイブムステインはメタリカのリードギタリストで
あの性格が災いして、ある夜のギグに間に合うように用意周到にカークを呼び寄せ、
デイブはクビになり、復讐心に燃え帰りのバスでメガデス結成を決意したと。
それから、20数年経っても、デイブはメタリカに激しいコンプレックスを持っています。
(私はメガデスの方が好きかも)
この「メタルマスター」迄、メタリカは如何にもスラッシュメタルバンドでした。
その次の作品、「メタルジャスティス」ではグラミー賞のステージに立ち、
新設された「メタル部門賞」当確と言われたのに、頭の固い審査員が
イギーポップに「メタル賞」を授与し、シラケかえったという・・・。
この頃、「スラッシュ四天王」と言われた、メタリカ、アンスラックス、メガデス、
スレーヤーと括られた時代でした。後続組がテスタメント、オーバーキル、デスエンジェルと。
(エクソダスは・・米ベイエリアの先輩なのにハジかれて)
メタルジャスティスの頃から、疾走感のある曲が減ってきましたが、
続く、「ブラックアルバム」と言われるアルバム「メタリカ」で頂点に立ちました。
一般リスナーも「このアルバムなら持っている」という人も多かったでしょう。
(特にアメリカ)
しかし、このブラックアルバムが、全く持ってメタルファンが受け付けられないという人が
増えた作品となりました。私もキツかったですね・・・。
疾走感ゼロ・・・。内容は濃いのは良く分る。でも、ラウドロックに近づいていく
作品でしたね。日本のメタリカと言われた、同世代の名古屋のアウトレイジの方が
「マイファイナルデイ」という凄い作品を出して、溜飲を下げた位です。
少し遅れて、メガデスも「破滅のカウントダウン」という、世間では名作扱いの作品で
米チャートでもBIGになりましたが、私はこの時、「メタリカもメガデスも終わった」と
落ち込みました。メロディーがメインになり、あのキレ味鋭い楽曲は影を潜めたのですね。
メタリカもメガデスも。
メタリカの続く、「ロード」「リロード」は、正直、今でも聴きたくない作品です。
なんだか、ダラダラとメロディーを重苦しく歌うバンドになって。
(メガデスも「リスク」なんか特にそうですね)
この頃はハードロック、ヘビーメタル、第二暗黒時代(しかも10年という長期間)で
だら~っとしたロックが受ける時代となっていき。
そのメタリカもボーカル&リズムギター&コンポーザーのジェイムスが
アルコール依存症になってしまい、メタリカの方向性に嫌気をさした
メタルジャスティスからのベーシスト、ジェイソンが脱退し、VOIVODに加入。
そして、カウンセラー等入れて、バンドカウンセリングを長期間行い、バンド破滅の危機を
迎え、まあ、特に、ジェームスのアル中のストレス症状をドラマーのラーズが
理解するのに時間がかかり、そして、プロデューサーボブロックが
「新しいモノにチャレンジする気が無いなら俺は降りる」という決意の中、
カークのギターソロは無し、初のリズムギターレコーディング、そしてラーズは
スネアのスプリングを外した音で疾走感のある曲を叩きまくった「Stアンガー」を
リリース。この作品も賛否両論ありますが、私はメタリカが、メタリカに
戻りかけた作品として捉え、日本公演でも、凄まじいパフォーマンスを披露したそうです。
(私は持病の悪化&金欠・・・働けないから当然収入ナシ・・・で観に行けませんでした)
やはり、メタリカが一番メタリカらしかったと、私個人が思うのは、この
最高傑作と呼ばれる「メタルマスター」迄ですね。
次の「メタルジャスティス」も、まあ、ギリギリと。「ONE」のPVは凄かった!!!
(当然コピーし、今でも、直ぐ弾けます・・・歌えないけど)
86年ですね。訂正しました(汗)
クリスが居た時期も良かったし、
プレイも良かったですね。
これこそ、ベーシストのあるべき姿と思ったりです。
メタリカのボトムは皆強力なんで、一概に誰とは
決められないですが、クリフは良いですね。
メタリカはドラマーのラーズ・ウルリッヒが大好きですニャン !! 。
そんな関係でニャロメが愛用しているドラムもTAMAのアートスターですニャン。
ニャロメは野良猫だけにタマの愛用者ですニャン !! 。(笑)
何時だったかアメリカのTV番組でメタリカのモノマネ大会のTVを見た事があります。(笑)
最初に彼に遭遇したアルバムはメタル・ジャスティスでしたよん !! 。
それでは太郎さん、また遊びに来ます。
ニャンコロォ~ !!
実は私もそうあだ名を付けられた事あります(汗)
ラーズの人気も高いですね。
メタルジャスティスのドラムの音も
「ツッッッ」というか、
何と表現してよいか分らないですが、
印象的ですね。
(埃っぽい???)
2ndも好きだし、荒削りな1stも好きなんですけれど。
日本に来日するって決まって「やった~!」と喜んだのもつかの間、クリフの事故ですごいショックを受けたのを昨日ことのように覚えています。
初来日も観にいったのですが、やっぱりクリフの死は堪えきれず、泣いてしまいました。
st.angerは初期に戻ったと言われて期待して買ったんですが、やっぱり違うかなーって。
クリフがいたら、今のメタリカはどうなってたんだろうって思う事もよくあります。
ifなんですけれどね。
文句なしの名盤だと思います。
ジェームスの速くて重いリフに憧れたものです。
確かにこれ以降は失速ですよね…。
『ONE』のPVカッコイイですよね!
モノクロタッチの画像が楽曲とマッチしてて。
何よりジェームスの『凸』のポジションマークの
EXPが最高にカッコイイ!
当時、たまたまラジオから流れてきたタイトルチューンを耳にして、即購入を決めました(笑)
スラッシュの概念を覆した瞬間でもありました
ちなみに、
ブラックアルバムのUNFORGIVENとNOTHING ELES MATTERSがメタリカでは一番気に入っています♪
2→1→4→3作目という順番なんです。
寺田姉さんが褒めちぎった
2ndの「FIGHT、FIGHT、WITH FIRE」からメタリカに入ったので
初めて聴いた時は失望だったんですよ。
しかも、ジャケットが「電気椅子」って・・・
で、真にメタリカに目覚めたのは1stでした。
クリフバートンを意識した時には既にこの世に居なくてでした・・・。
メタリカ唯一のタトゥー入れたメンバー。
2ndの頃のブートが12年程前に恵比寿の駅構内で
ワゴンセールやっていまして、良く聴きました。
先日、鳥取で、クリーピングデスをJAMる予定で
練習したのですがねぇ・・中止となりました。
クリフが生存している時に来日の話あったのですか?
メタリカの初来日公演って何時でしたっけ・・・?
(何で、覚えていないのだろ)
クリフの人気は圧倒的ですね。
stアンガーは、完全に満足作ではないですが
ブラックアルバムから、リロードまでの流れは消えたので
嬉しかったというのが、正直な感想でした。
あのうるさい「BURRN!」誌でも年間最高アルバムに
位置されていましたね。
あの「バッテリー」「マスター~」が始まると
同じギターリフを弾きたくなってきますね。
(今でもです)
速い、重い、長い・・でも、作品自体、聴いていても
飽きないんですねぇ。
(メイデンの「パワースレイブ」だとLPのB面でダレてしまって)
「ONE」のPVを観た時の衝撃は・・・
怖くて、夜寝れず、翌日、学校遅刻しそうになりました(汗)
凄いPVでした。ただ、ベストヒットUSAでは対訳付きが流れましたが
「腕取れた!足取れた!」を直訳で聴いてしまうと
笑えてしまうのが悲しいですが。
今ではブランドイメージが落ちたあのメーカーのギターですが
あの凸のエクスプローラーはカッコ良かったです。
ジェイムスにはエクスプローラーが一番似合うと思っています。
(デカイしで)
私も想像付かないのですが(笑)
コレは芸術的な作品だと思いますよ。
そして、本文中にも書きましたが、
私ブラックアルバムを聴いた時の失望感は相当なモノでしたね。
相当売れたし、内容も濃いのですが、前のメタリカを
知っている人間には激しく辛いモノでした。
ので、あまり聴きこんでおらず、3曲目までしか今も
思い出せないんですよ。
後で久々に聴いてみますね