昨日は写真撮影に出掛けようと思っていましたが、天気が悪かったので中止し福山に行って来ました。
友人と夕飯を一緒に摂り、少し遊びに行っちゃいました。
その後、身内の様な寿司屋の親父の家に行き飲み直し、そのまま泊まりました。
朝起きると親父が朝食を食べに行こうと言いガストで朝食を摂り、親父の用事を手伝い帰路に着きました。
帰りながら、あちこちの御寺を見て廻り、途中で10月19日に友達が行ったという弘法寺を目指しました。
弘法寺は呉市の野呂山にある御寺で古い歴史のある御寺です。
今日は写真もかなり多くなりますが、弘法寺の事を詳しく書きます。
パンフレットには野呂山 伊音城・弘法寺と記されています。
その弘法寺には弘法大師空海が19歳49歳と2度にわたり登山され、岩屋で修行に専念された地として伝えられている霊山ですとあります。
伝えられるところにとると「川尻海上に魚人あり、毎夜野路山上に火光を認め、奇異の想をなして登り見れば弘法大師の像と梵鐘の破片散乱せり」
中切地区の住民が相はかりて岩窟に堂を建て弘法大師を祀り毎月21日の弘法大師の命日に御影供の法要をするようになり、現在に連綿として続けられおる地区の伝統的祭事です。
大師堂の堂宇の期限は、明徳年間(1492年~1500年)と思われ、村民2名が燈明供養する古例があり、その後、度々の補修・再建・改築を経て大指導は宗教法人「弘法寺」となり、現在に至っているそうです。
そんな弘法寺の駐車場を目指していると目に飛び込んで来たのが、、名水龍神水と書かれた建物でした。
中に入って見ると井戸と言えば良いのか?
横には地蔵堂がありました
百度石、水分地蔵菩薩、新弘法大師の文字が刻まれていました
もう一つ大きな石碑が、報恩謝徳と刻まれています
そして御寺の入り口と言えば良いのでしょうか?
西之高野山 野呂山弘法寺と
実はここからは入らなかったのです。
弘法寺の駐車場は、この奥にある為に写真だけ撮影しました。
駐車場に車を停めると、カメラを持った人に話し掛けられ「紅葉が全然紅くなってなかったので残念です」と。
少しの時間話をしましたが、私とは撮影の目的が違うので、聞くだけ聞いて「残念だったですね」と伝えて別れました。
駐車場から上を見ると広大な土地が見えたので、かなり大きい御寺だろうなと思いながら徐々に進みました
参道に入ると」、すぐに不動明王が祀られていました
白旗観音薬師如来
弘法大師
弘法大師像の下には、12体の神様と神言がありました
その横には、弘法大師が入定されて1500年に建立された碑が
水掛け地蔵尊
ここで撮影中に当番の小母さんが出て来て話し掛けられ、しばし話をしていると初老の夫婦が来て一緒に本堂の方へ向かいました。
本堂へ向かう途中でも撮影をしながら、話をしながら向かったので楽しかったと言えば良いのでしょうか、話がかなり弾みました。
阿弥陀堂
駐車場で出会った人が残念がっていた紅葉は、こんな感じでした
厄除け地蔵尊
あちらこちらに弘法大師像がありました
弘法寺の周りには大きな岩が沢山あるのにはびっくりでした
展望台からの風景ですが今日は霞んでいたのが残念でした
いよいよ御本堂です
イワガラミ
このイワガラミは1本の根から伸び岩を覆ってしまうほど育って年に1度、白い綺麗な花を咲かせるそうです
弘法大師の寝姿を言われている岩
御本堂に入る時に欄間を確認したら、やはり龍がいました
これで御本堂へと思ったら、当番の小母さんが裏を先にと言うので横へ回って見ました。
そこには弘法大師の坐像があり、その上にあったものが気になりました。
これが私には龍の顔に見えてならないのですが・・・・・
小母さんと初老夫婦に写真を見せると、本当だ龍に見えると!
それから今度は本当に御本堂に入ると、すぐに聞きました。
「写真は駄目ですよね?」と、すると住職は「ここはオールマイティ、写真も好きに撮って下さい」と!
ならばと御本尊
この奥の岩に篭って弘法大師は修行をされたそうです
弘法大師が御姿を現されていると言われている岩
この写真を撮影して一言
「下に達磨禅師が姿を表してる」と私が言うと、住職が「誰も気づかなかったので今まで黙っていたのに」と!
まだまだ撮影した写真はいっぱいあるのですが多くなり過ぎるので、これくらいにしておきます。
しかし今回は2時間位いましたが、弘法寺には他にもまだまだみて回る場所も多く、そして色々な行事も沢山あります。
次回は行事が行われる時を選んで行ってみようと想います。