☆札幌 ライブカメラ(今朝6:02)
☆8月の壁紙(ハワイの風景)
★8月に入っても、相変わらず厳しい暑さが続いている。今朝は曇り空で気温は、25℃だがとても蒸し暑く風も無い。富士山ライブカメラからは、何処の個所からも霧で富士山は見えない。
昨夜も寝苦しい夜で、一晩中エアコンを入れていた。この処の暑さで、夕方は家の廊下や柱までが熱くなっている。梅雨明け後、当地は雨らしい雨が全く降らない日が続いている。今日も降水確率は、30%と言うが雨は期待できそうにない。その暑い中、今日も自宅にまでセミの鳴声が盛んに聴こえている。
8月に入って各地から夏祭りの様子や、甲子園での練習風景などが報じられている。甲子園の開幕まで、まもなくで郷土代表の様子も気なる。
昨日は、孫息子の小6を朝食後広島まで送るった。県境付近の気温は25℃だったが、さすが広島市内に入ると35℃位でとても暑かった。次男宅では、昼食を皆でご馳走になりその後歓談。午後4時過ぎに次男宅を出発し、6時半頃に自宅に帰る。6日間も家を出ていたせいか、孫も自宅に帰れて安心した様に感じられた。こちらの方は孫と一緒で楽しかったが、急に寂しくなる。再度又来てくれると言っていたが?
北陸3日目最終日は、前夜の物凄かった雨も朝は上がっていたので朝食前に孫と卓球をしたりホテル近くを散歩する。朝食後8時頃の出発で、上高地に向かった。雨上がりで、久し振りの青空と山の緑が映え、川も綺麗な色を醸し出していた。大正池付近から河童橋まで約4kmを川沿いに散策。3000m級の飛騨山脈の険しい山々に、梓川沿いの絶景に感動し大自然を堪能。観光バスからは、大正池付近で降りバスは河童橋付近まで移動。まだ9時前後だったが、沢山の観光バスで多くの人が朝から訪れていた。避暑地としては昨年この時期に訪れた軽井沢も良いが、個人的には上高地の方が好きだ。上高地は観る所が多く、自然がいっぱいで綺麗な川の流れと山が素敵だ。
7/25の新聞コラムで、童話作家のアンデルセンが「旅は精神を若返らせる泉」との言葉を残した事を知る。今回はツアーだったので、決められたコースを旅行社任せだった。ツアーは楽な部分も有るが、自分で計画を立てて行くのが本当の旅と言えよう。
色々と大変な事も有るが、その分喜びも大きい様に感じる。まだまだ訪れて見たいところが沢山ある。それは、今後の楽しみとしたい。では、その最終日の画像の中から一部を!
☆北陸の旅(三日目)は、
ホテル8:00⇒上高地8:30(大正池より河童橋まで散策)10:30⇒高山市内11:30(飛騨そば郷土膳の昼食とお買いもの)12:20⇒高山西IC⇒東海北陸道・名神・山陽道・広島道・中国道・浜田道)浜田道・浜田IC21:15⇒R9⇒自宅着22:10
☆朝食前の6時頃から、ホテル近くを約40分位散歩する。
☆お寺の前にて
・ほほえみは
いつでも
どこでも
だれにでも
拈華微笑(ねんげみしょう)
☆朝食(朝からお刺身付きに名物の朴葉みそ鍋)
・上高地(かみこうち)とは、長野県西部の飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地で、標高約1,500m。松本市域に含まれ、中部山岳国立公園の一部ともなっており、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されている。「かみこうち」の名称は本来「神垣内」の漢字表記だが、後に現在の「上高地」の漢字表記が一般的となった。「神垣内」とは、穂高神社の祭神、穂高見命(ほたかみのみこと)が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮と明神池)で祀られていることに由来する。 温泉があり、穂高連峰や槍ヶ岳の登山基地ともなっている。
・地形・自然
上高地は、北アルプスの谷間にある、大正池から横尾までの前後約10km、幅最大約1kmの堆積平野である。かつて岐阜県側に流れていた梓川が焼岳火山群の白谷山の噴火活動によってせき止められ池が生じ、そこに土砂が堆積して生まれたと考えられている。狭義にはこの平野のうち、観光名所として知られる河童橋の周辺だけを指す場合もある。この高度でこれほどの広さの平坦地は、日本では他に例が少ない。
気候的に山地帯(落葉広葉樹林帯)と亜高山帯針葉樹林の境界線付近の高度に位置しているため、ブナ・ミズナラ・シナノキ・ウラジロモミ・シラビソ・トウヒなど、両者の森林の要素が混在し、更にヤナギ類やカラマツを中心とする河川林や湿原が広がるなど、豊かな植生で知られている。最終氷期(ウルム氷期)には、上高地の上部に位置する槍沢と涸沢には山岳氷河が発達し、もっとも拡大した時期には氷河の末端が上高地最深部の横尾にまで達していたと考えられている。現在も氷河によって形成されたカール地形が残っている。気候は亜寒帯湿潤気候である。1月の平均気温は-7.7度、最低気温は-20度を下回り非常に寒さが厳しい。一方、8月の平均気温は19.7℃で日中でも22℃ほどにしかならず夏季はかなり涼しい。
・上高地の生物 梓川や大正池には渡りをしないマガモが住んでおり、ほとんどの個体は人を恐れない。ニホンザルも通年住んでおり、冬季は下北半島のニホンザルよりも厳しい条件である当地で越冬する。
もともと梓川や大正池にはイワナが優占種として生息していたが、1925年以降カワマス、ブラウントラウトが放流された、現在ではイワナとカワマス、ブラウントラウトの純粋種の他に放流された3魚種の自然交雑種が生息しイワナは優占種では無くなった。自然交雑種のF1(一代目)は雑種強勢の特長が現れるが、戻し交配を含むF2は繁殖力が極端に弱く雑種崩壊を起こし、純粋種の減少が進んでいる。
・梓川(あずさがわ)は、長野県を流れる信濃川水系犀川の上流域を示す別称。
古来より上流部は上質の梓の産地であり、梓弓の材料として朝廷にも献上されていたが、このことが川の名前の由来になったと考えられている。
・大正池(たいしょういけ)は長野県松本市安曇にある景勝地で国の特別名勝・特別天然記念物に指定されている上高地にある池。
池は、活火山である焼岳が1915年に噴火し、泥流によって梓川が堰き止められて形成された。池にある立ち枯れの木々の景観は、1928年に「上高地」が史蹟名勝天然紀念物保存法による「名勝及ビ天然紀念物」に指定される際の理由の一つとなった。
大正池は年々、上流から流入する土砂が池底に堆積しているため、浅くなってきている。現在は上高地の観光資源であると同時に、下流に建設された東京電力の水力発電所、霞沢発電所の調整池としても利用されていることから、堆積した土砂の浚渫(しゅんせつ)作業が行われている。
・穂高岳(ほたかだけ)は、中部山岳国立公園の飛騨山脈(北アルプス)にある標高3,190mの山。日本第三位の高峰。日本百名山に選定されている。
奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳などの峰々からなる穂高連峰の総称。前穂高岳以外は主に長野県松本市と岐阜県高山市の境界に位置している。主峰は奥穂高岳であり、長野県(信州)と岐阜県(飛騨)の最高峰である。「北アルプスの盟主」と呼ばれる。
北は、大キレットの峻険な登降を経て、南岳、大喰岳の先の槍ヶ岳に連なっている。途中、涸沢岳から南岳の稜線の飛騨側には、谷川一の倉沢と並ぶ有数の岩場・滝谷を擁する(滝谷は急峻なだけでなく、崩れやすい岩も多く、岩の墓場と形容される)。南は、奥穂高岳より西穂高岳に至る痩せ尾根を経て、焼岳へと連なる。奥穂高岳より吊り尾根を経て、前穂高岳に至り、カール(圏谷)を下れば、上高地河童橋に至る。また、岐阜県側に穂高岳山荘から白出沢を下るか、あるいは西穂高岳からロープウェーかその下の道を下れば、新穂高温泉である。
穂高岳は、剱岳、谷川岳と共に日本三大岩場に数えられている。特に、涸沢岳から南岳の稜線の飛騨側には、谷川一の倉沢と並ぶ有数の岩場滝谷を擁する。また、前穂高岳の東側、奥又白谷の上部も角度の高い岩壁となっている(前穂東壁と呼ばれる)。井上靖の小説『氷壁』で魚津が遭難したのが前者で小坂が遭難したのが後者である。 穂高岳登山の拠点となる涸沢は、奥穂高岳と前穂高岳に挟まれた吊り尾根よりU字型にえぐられた圏谷で、夏でも雪渓が残る。
・河童橋(かっぱばし)とは、長野県松本市安曇の上高地にある橋。
1891年に初めて橋が架けられた。全長37m、幅3.1m、長さ36.6mの木で作られた吊り橋であり、梓川に架かる。この橋から奥穂高岳、焼岳、涸沢などの山々を望むことができる。
橋は過去に4回架け替えられており、それぞれ1代目、2代目、3代目、4代目、5代目(現在)とある。
名前の由来
河童橋という名前の由来には諸説あり、
昔ここに、河童が住みそうな深い淵があったため。
まだ橋のなかった時代、衣類を頭に乗せて川を渡った人々が河童に似ていたから。
などがある。
1927年、芥川龍之介が小説『河童』の中で、上高地と河童橋を登場させたこと(および芥川が同年に自殺したこと)でより有名になった。
☆河童橋から下流方面を臨む
☆河童橋近くの上高地観光センターにて買い物と休憩(午前10時頃から10時半ごろまで)
☆高山市内の山水庵総本店にて昼食(飛騨そば郷土膳)
☆山水庵総本店にて、一斗瓶を初めて目にする。(右前から一升・3升・左後ろは5升・一斗瓶)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【夢を実現する今日の一言】
・まわりが暗いほど、星は輝く
世の中が暗いほど、夢は輝く
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
◆過去の出来事・トピックス
・トンキン湾事件(1964)
・銀座・新宿などで歩行者天国(1970)
・パーソナル電卓カシオミニを発売(1972)
・千葉県でトラ脱走事件(1979)
・イラク軍がクウェートに侵攻(1990)
・ビートたけし、バイクで重傷(1994)
・「来た、見た、勝った」のシーザの手紙(BC47)
ローマの政治家シーザー(カエサル) は、世界史上最も有名な武将だが、『ガリア戦記』など文筆家としても知られている。 BC47年8月2日、ゼラという町からローマに宛てて書いた「来た、見た、勝った」( Veni,Vidi,Vici.)は、戦闘の勝利を伝える手紙の文句。また、重大な決断をするときの「骰子(さい) は投げられた。余はルビコン(川) を渡る」や、部下に裏切られた時に使う「ブルータスよ、おまえもか」も、シーザーの有名な句。ただし、後者は「わが子よ、おまえもか! 」がもともとの言葉とか。
>☆記念日・年中行事・お祭り
・青森ねぶた(青森県・~7日)
東北4大祭りの1つ。歌舞伎役者風の武者人形灯籠は、夜空に勇壮な造形美を映し出す。ハネト(跳人)が「ラッセラー」のかけ声とともに踊り跳ねる姿も有名。
・パンツの日(イソカイ tel.07443-3-1133)
トランクスのメーカーであるイソカイが1985年に制定。
☆本日の誕生日
・ 中上健次(作家・1946)
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・サギソウ(ラン科)
・「心の強さ」
☆「きょうの一句」
・鷺草(さぎそう)のそよげば翔(た)つと思ひけり 河野南畦(なんけい)
~心に響く366の寸言~
【生命力を鍛える】
生命力はいかにして強くなるか。
それはあくまでも根気のある
辛抱強い日常の自律自修に由(よ)る。
鍛錬陶冶(たんれんとうや)に依(よ)る。
意志と知能と筋骨との意識的努力、
心臓・血管・内分泌腺(ないぶんぴせん)
その他生理的全体系の無意識的努力、自己に規律を課し、
自己を支配する修練を積んで始めて発達する。
安逸(あんいつ)と放縦(ほうじゅう)とは
生命の害毒であり、敵である。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd
☆8月2日 松下幸之助[一日一話]
<人間は初めから人間である>
人間はその歴史において、さまざまな知識を養い、道具をつくり出して生活を向上させてきました。しかし私は、人間の本質そのものは初めから変わっていないと思います。人間はもともと人間であって、人間そのものとして向上してきたと思うのです。私は人間が猿から進歩したというような考え方に対しては、疑問を持っています。猿はやはり最初から猿であり、虎は最初から虎であり、人間は最初から人間であると思うのです。
人間は初めから人間としての素質、性質を与えられ、みずからの努力によって知識を進め、道具をこしらえて、みずからの生活を高めてきた、それが人間の歴史だと思うのです。
☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 373日
・昨日、8月1日のアクセス数 閲覧数:260訪問者数:110
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8。
☆8月の壁紙(ハワイの風景)
★8月に入っても、相変わらず厳しい暑さが続いている。今朝は曇り空で気温は、25℃だがとても蒸し暑く風も無い。富士山ライブカメラからは、何処の個所からも霧で富士山は見えない。
昨夜も寝苦しい夜で、一晩中エアコンを入れていた。この処の暑さで、夕方は家の廊下や柱までが熱くなっている。梅雨明け後、当地は雨らしい雨が全く降らない日が続いている。今日も降水確率は、30%と言うが雨は期待できそうにない。その暑い中、今日も自宅にまでセミの鳴声が盛んに聴こえている。
8月に入って各地から夏祭りの様子や、甲子園での練習風景などが報じられている。甲子園の開幕まで、まもなくで郷土代表の様子も気なる。
昨日は、孫息子の小6を朝食後広島まで送るった。県境付近の気温は25℃だったが、さすが広島市内に入ると35℃位でとても暑かった。次男宅では、昼食を皆でご馳走になりその後歓談。午後4時過ぎに次男宅を出発し、6時半頃に自宅に帰る。6日間も家を出ていたせいか、孫も自宅に帰れて安心した様に感じられた。こちらの方は孫と一緒で楽しかったが、急に寂しくなる。再度又来てくれると言っていたが?
北陸3日目最終日は、前夜の物凄かった雨も朝は上がっていたので朝食前に孫と卓球をしたりホテル近くを散歩する。朝食後8時頃の出発で、上高地に向かった。雨上がりで、久し振りの青空と山の緑が映え、川も綺麗な色を醸し出していた。大正池付近から河童橋まで約4kmを川沿いに散策。3000m級の飛騨山脈の険しい山々に、梓川沿いの絶景に感動し大自然を堪能。観光バスからは、大正池付近で降りバスは河童橋付近まで移動。まだ9時前後だったが、沢山の観光バスで多くの人が朝から訪れていた。避暑地としては昨年この時期に訪れた軽井沢も良いが、個人的には上高地の方が好きだ。上高地は観る所が多く、自然がいっぱいで綺麗な川の流れと山が素敵だ。
7/25の新聞コラムで、童話作家のアンデルセンが「旅は精神を若返らせる泉」との言葉を残した事を知る。今回はツアーだったので、決められたコースを旅行社任せだった。ツアーは楽な部分も有るが、自分で計画を立てて行くのが本当の旅と言えよう。
色々と大変な事も有るが、その分喜びも大きい様に感じる。まだまだ訪れて見たいところが沢山ある。それは、今後の楽しみとしたい。では、その最終日の画像の中から一部を!
☆北陸の旅(三日目)は、
ホテル8:00⇒上高地8:30(大正池より河童橋まで散策)10:30⇒高山市内11:30(飛騨そば郷土膳の昼食とお買いもの)12:20⇒高山西IC⇒東海北陸道・名神・山陽道・広島道・中国道・浜田道)浜田道・浜田IC21:15⇒R9⇒自宅着22:10
☆朝食前の6時頃から、ホテル近くを約40分位散歩する。
☆お寺の前にて
・ほほえみは
いつでも
どこでも
だれにでも
拈華微笑(ねんげみしょう)
☆朝食(朝からお刺身付きに名物の朴葉みそ鍋)
・上高地(かみこうち)とは、長野県西部の飛騨山脈南部の梓川上流の景勝地で、標高約1,500m。松本市域に含まれ、中部山岳国立公園の一部ともなっており、国の文化財(特別名勝・特別天然記念物)に指定されている。「かみこうち」の名称は本来「神垣内」の漢字表記だが、後に現在の「上高地」の漢字表記が一般的となった。「神垣内」とは、穂高神社の祭神、穂高見命(ほたかみのみこと)が穂高岳に降臨し、この地(穂高神社奥宮と明神池)で祀られていることに由来する。 温泉があり、穂高連峰や槍ヶ岳の登山基地ともなっている。
・地形・自然
上高地は、北アルプスの谷間にある、大正池から横尾までの前後約10km、幅最大約1kmの堆積平野である。かつて岐阜県側に流れていた梓川が焼岳火山群の白谷山の噴火活動によってせき止められ池が生じ、そこに土砂が堆積して生まれたと考えられている。狭義にはこの平野のうち、観光名所として知られる河童橋の周辺だけを指す場合もある。この高度でこれほどの広さの平坦地は、日本では他に例が少ない。
気候的に山地帯(落葉広葉樹林帯)と亜高山帯針葉樹林の境界線付近の高度に位置しているため、ブナ・ミズナラ・シナノキ・ウラジロモミ・シラビソ・トウヒなど、両者の森林の要素が混在し、更にヤナギ類やカラマツを中心とする河川林や湿原が広がるなど、豊かな植生で知られている。最終氷期(ウルム氷期)には、上高地の上部に位置する槍沢と涸沢には山岳氷河が発達し、もっとも拡大した時期には氷河の末端が上高地最深部の横尾にまで達していたと考えられている。現在も氷河によって形成されたカール地形が残っている。気候は亜寒帯湿潤気候である。1月の平均気温は-7.7度、最低気温は-20度を下回り非常に寒さが厳しい。一方、8月の平均気温は19.7℃で日中でも22℃ほどにしかならず夏季はかなり涼しい。
・上高地の生物 梓川や大正池には渡りをしないマガモが住んでおり、ほとんどの個体は人を恐れない。ニホンザルも通年住んでおり、冬季は下北半島のニホンザルよりも厳しい条件である当地で越冬する。
もともと梓川や大正池にはイワナが優占種として生息していたが、1925年以降カワマス、ブラウントラウトが放流された、現在ではイワナとカワマス、ブラウントラウトの純粋種の他に放流された3魚種の自然交雑種が生息しイワナは優占種では無くなった。自然交雑種のF1(一代目)は雑種強勢の特長が現れるが、戻し交配を含むF2は繁殖力が極端に弱く雑種崩壊を起こし、純粋種の減少が進んでいる。
・梓川(あずさがわ)は、長野県を流れる信濃川水系犀川の上流域を示す別称。
古来より上流部は上質の梓の産地であり、梓弓の材料として朝廷にも献上されていたが、このことが川の名前の由来になったと考えられている。
・大正池(たいしょういけ)は長野県松本市安曇にある景勝地で国の特別名勝・特別天然記念物に指定されている上高地にある池。
池は、活火山である焼岳が1915年に噴火し、泥流によって梓川が堰き止められて形成された。池にある立ち枯れの木々の景観は、1928年に「上高地」が史蹟名勝天然紀念物保存法による「名勝及ビ天然紀念物」に指定される際の理由の一つとなった。
大正池は年々、上流から流入する土砂が池底に堆積しているため、浅くなってきている。現在は上高地の観光資源であると同時に、下流に建設された東京電力の水力発電所、霞沢発電所の調整池としても利用されていることから、堆積した土砂の浚渫(しゅんせつ)作業が行われている。
・穂高岳(ほたかだけ)は、中部山岳国立公園の飛騨山脈(北アルプス)にある標高3,190mの山。日本第三位の高峰。日本百名山に選定されている。
奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、前穂高岳、西穂高岳などの峰々からなる穂高連峰の総称。前穂高岳以外は主に長野県松本市と岐阜県高山市の境界に位置している。主峰は奥穂高岳であり、長野県(信州)と岐阜県(飛騨)の最高峰である。「北アルプスの盟主」と呼ばれる。
北は、大キレットの峻険な登降を経て、南岳、大喰岳の先の槍ヶ岳に連なっている。途中、涸沢岳から南岳の稜線の飛騨側には、谷川一の倉沢と並ぶ有数の岩場・滝谷を擁する(滝谷は急峻なだけでなく、崩れやすい岩も多く、岩の墓場と形容される)。南は、奥穂高岳より西穂高岳に至る痩せ尾根を経て、焼岳へと連なる。奥穂高岳より吊り尾根を経て、前穂高岳に至り、カール(圏谷)を下れば、上高地河童橋に至る。また、岐阜県側に穂高岳山荘から白出沢を下るか、あるいは西穂高岳からロープウェーかその下の道を下れば、新穂高温泉である。
穂高岳は、剱岳、谷川岳と共に日本三大岩場に数えられている。特に、涸沢岳から南岳の稜線の飛騨側には、谷川一の倉沢と並ぶ有数の岩場滝谷を擁する。また、前穂高岳の東側、奥又白谷の上部も角度の高い岩壁となっている(前穂東壁と呼ばれる)。井上靖の小説『氷壁』で魚津が遭難したのが前者で小坂が遭難したのが後者である。 穂高岳登山の拠点となる涸沢は、奥穂高岳と前穂高岳に挟まれた吊り尾根よりU字型にえぐられた圏谷で、夏でも雪渓が残る。
・河童橋(かっぱばし)とは、長野県松本市安曇の上高地にある橋。
1891年に初めて橋が架けられた。全長37m、幅3.1m、長さ36.6mの木で作られた吊り橋であり、梓川に架かる。この橋から奥穂高岳、焼岳、涸沢などの山々を望むことができる。
橋は過去に4回架け替えられており、それぞれ1代目、2代目、3代目、4代目、5代目(現在)とある。
名前の由来
河童橋という名前の由来には諸説あり、
昔ここに、河童が住みそうな深い淵があったため。
まだ橋のなかった時代、衣類を頭に乗せて川を渡った人々が河童に似ていたから。
などがある。
1927年、芥川龍之介が小説『河童』の中で、上高地と河童橋を登場させたこと(および芥川が同年に自殺したこと)でより有名になった。
☆河童橋から下流方面を臨む
☆河童橋近くの上高地観光センターにて買い物と休憩(午前10時頃から10時半ごろまで)
☆高山市内の山水庵総本店にて昼食(飛騨そば郷土膳)
☆山水庵総本店にて、一斗瓶を初めて目にする。(右前から一升・3升・左後ろは5升・一斗瓶)
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【夢を実現する今日の一言】
・まわりが暗いほど、星は輝く
世の中が暗いほど、夢は輝く
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
◆過去の出来事・トピックス
・トンキン湾事件(1964)
・銀座・新宿などで歩行者天国(1970)
・パーソナル電卓カシオミニを発売(1972)
・千葉県でトラ脱走事件(1979)
・イラク軍がクウェートに侵攻(1990)
・ビートたけし、バイクで重傷(1994)
・「来た、見た、勝った」のシーザの手紙(BC47)
ローマの政治家シーザー(カエサル) は、世界史上最も有名な武将だが、『ガリア戦記』など文筆家としても知られている。 BC47年8月2日、ゼラという町からローマに宛てて書いた「来た、見た、勝った」( Veni,Vidi,Vici.)は、戦闘の勝利を伝える手紙の文句。また、重大な決断をするときの「骰子(さい) は投げられた。余はルビコン(川) を渡る」や、部下に裏切られた時に使う「ブルータスよ、おまえもか」も、シーザーの有名な句。ただし、後者は「わが子よ、おまえもか! 」がもともとの言葉とか。
>☆記念日・年中行事・お祭り
・青森ねぶた(青森県・~7日)
東北4大祭りの1つ。歌舞伎役者風の武者人形灯籠は、夜空に勇壮な造形美を映し出す。ハネト(跳人)が「ラッセラー」のかけ声とともに踊り跳ねる姿も有名。
・パンツの日(イソカイ tel.07443-3-1133)
トランクスのメーカーであるイソカイが1985年に制定。
☆本日の誕生日
・ 中上健次(作家・1946)
☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・サギソウ(ラン科)
・「心の強さ」
☆「きょうの一句」
・鷺草(さぎそう)のそよげば翔(た)つと思ひけり 河野南畦(なんけい)
~心に響く366の寸言~
【生命力を鍛える】
生命力はいかにして強くなるか。
それはあくまでも根気のある
辛抱強い日常の自律自修に由(よ)る。
鍛錬陶冶(たんれんとうや)に依(よ)る。
意志と知能と筋骨との意識的努力、
心臓・血管・内分泌腺(ないぶんぴせん)
その他生理的全体系の無意識的努力、自己に規律を課し、
自己を支配する修練を積んで始めて発達する。
安逸(あんいつ)と放縦(ほうじゅう)とは
生命の害毒であり、敵である。
『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd
☆8月2日 松下幸之助[一日一話]
<人間は初めから人間である>
人間はその歴史において、さまざまな知識を養い、道具をつくり出して生活を向上させてきました。しかし私は、人間の本質そのものは初めから変わっていないと思います。人間はもともと人間であって、人間そのものとして向上してきたと思うのです。私は人間が猿から進歩したというような考え方に対しては、疑問を持っています。猿はやはり最初から猿であり、虎は最初から虎であり、人間は最初から人間であると思うのです。
人間は初めから人間としての素質、性質を与えられ、みずからの努力によって知識を進め、道具をこしらえて、みずからの生活を高めてきた、それが人間の歴史だと思うのです。
☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 373日
・昨日、8月1日のアクセス数 閲覧数:260訪問者数:110
タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8。
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