★暦の上では、立冬と言うのに今朝は14度Cと非常に暖かい。天気予報では、今日は20度を超えると言う。ほんの4~5日前には、5度を下回ってとても寒かったのだが?先日広島にに向かう時には、県境を越えたスキー場付近は一面雪景色だった。しかし帰りの昨日には、全て溶けていた。
今朝のニュースでは、昨日通った北広島町の臥龍(がりゅう)山で若い女性の頭部が見つかった。当たりの山々は、丁度紅葉が進んで見ごろを迎えていた。島根、広島両県警は7日、DNA鑑定の結果、女性は10月26日夜から行方がわからなくなっていた島根県立大総合政策学部1年、平岡都(みやこ)さん(19)(島根県浜田市原井町)と断定したという。理由は、ともあれとても許せない犯罪である。徹底捜査を望みたいと思う。今日は、田舎に行き久しぶりの畑仕事をと思っている。で、終番に近づいた8日目の旅日記を・・・
東北の旅(8日目・10/29)
蔵王の遠刈田温泉:ゆと森倶楽部⇒磊々峡(らいらいきょう)⇒日本三大滝・秋保大滝⇒仙台フェリーターミナル⇒日本三景・松島⇒ホテル東横イン仙台泊
・ゆと森倶楽部は蔵王の雄大な自然のなかで、
湯治や宿泊を楽しんでいただける施設です。
ここでは日常の忙しさを少しだけ忘れて、
ゆっくり、じっくり、心とからだの充電をしていただきたい。
そう願っております。宿泊した蔵王ハイツは、2009年4月25日より、 森の遊学「ゆと森倶楽部」として、リニューアルオープンした宿である。これまで宿泊した宿で、レベル的には最も高い宿だった。旅も終盤に入っていたので少々奮発する。夕食・朝食メニューも豪華で、高原野菜をふんだんに用意されていた。またデザートには、こだわりのアイスクリームも選ばれ、暖炉のあるスペースで楽しめた。お風呂も沢山あり、特に露天風呂は気に入る。当然朝晩の二回の入浴をする。近くの森を30分余り朝散策。何処か軽井沢や奥入瀬渓を思わせる様な場所が各箇所にあった。家族連れやグループで訪れる人が多かった。さすがに外国からの、観光客は見ることは出来なかった。その後日本三大滝の一つ、秋保大滝に行く途中磊々峡(らいらいきょう)に立ち寄る。厳美渓(げんびけい)(岩手県一関市)の岩の渓谷も凄かったが、こちらの磊々峡(らいらいきょう)の方がより凄かった。ただただ感心するばかり・・・
その後は、目指す秋保大滝へ。駐車場にも沢山の車が止まり、お土産店等もあった。神社のそばを歩いて数分で滝に到着する。展望所には沢山の人で、中国からの観光客も見られた。神社の銀杏(いちよう)の木から、ギンナンが落ちていて拾っている人もいた。又このギンナンの臭いこと、遠くまで匂っていた。そろそろ帰りのフエリーが気になり、予約を入れる。丁度空室が有り、今日中に予約の手続きをすれば、21%引きになるとの事。松島に向かう途中に、仙台フェリーターミナルに寄る。さすが東北の物流拠点だけ有って、仙台港は大きかった。仙台の街も県庁所在地だけ有って賑やかだった。町には街路樹が多く、森の都とかけや木通りの愛称が付いている。中心街を通りぬけて、日本三景の一つ松島に行く。さすが海に浮かぶ島々が絶景で、沢山の島々を巡る遊覧船も出ていた。又瑞巌寺も境内には、「臥龍梅」と呼ばれる紅白二本の梅の木があり、伊達政宗お手植えと伝えられている。ここも沢山の観光客で賑っていて、土産物店も人が多かった。ゆっくりしたかったのだが、ホテルの駐車場の平面に限りが有るので16時前にチェックインする。早めにホテルに入り、ゆっくりする。最後の宿は、ビジネスでガマン!(一日走行キロ121Km)
☆蔵王の遠刈田温泉:ゆと森倶楽部の食堂入り口
☆夕食は、豚肉のしゃぶ鍋を中心としたメニュー
☆周辺で栽培されている高原の野菜と果物
☆和室の部屋からの景色
☆窓越しに庭を見ながら、朝食バイキング!新鮮な高原野菜が美味しかった
☆ホテル近くを30分ばかり散歩する。近くには、渓流が流れていて紅葉も見ごろだった。
☆秋保大滝に向っている途中に、磊々峡(らいらいきょう)に立ち寄る。
☆織りなす石畳と清流の渓谷美・磊々峡(らいらいきょう)
・「磊々峡」は、名取川の流れがひときわ狭くなる秋保温泉湯元付近にある渓谷です。秋保温泉街の入口にある「覗橋」が磊々峡のほぼ真ん中に位置し、この橋を挟んで上下約1kmの長さにわたり、深さが20mにも達する渓谷美が続いています。
覗橋の両側には、岩を削る急流と迫力ある岩々が眼下に広がっています。また、下流側に向かって渓谷沿いに約700mの遊歩道が続き、「八間巌」「鳴合底」「鬼面巌」などの奇勝や「時雨滝」「三筋滝」などの滝が織りなす美しさを堪能することができます。
渓谷沿いの木々の葉が鮮やかな新緑の頃や紅葉に染まる頃は水面に映え、一段と美しい景観を見せてくれます。(仙台市HPより)
☆磊々峡(らいらいきょう)の川に削られた岩
☆秋保大滝入口付近
☆滝へは、この神社を通って行く
☆大きな銀杏の木があり、その下には銀なんの実が沢山落ちていた。
☆知らない観光客の人に、シャッターを押して戴く。(秋保大滝展望所前にて)
☆日本三大名瀑(那智の滝・華厳の滝・秋保大滝)の一つ。秋保(あきう)大滝の紅葉も見ごろだった。
この滝は、高さ55m、幅6mの大型の滝で、仙台市太白区の温泉地で有名な秋保温泉郷から更に山奥に約15キロ程入った所に有ります。
☆仙台市内に入る。仙台市の概要
仙台市都心部周囲には広瀬川や青葉山などの自然があり、また都心部にも街路樹などの緑が多いことから、「杜の都」との異名をもつ。市は「学都仙台」「楽都仙台」などのキャッチコピーも用いている。中国では、魯迅が留学した都市として著名。産業は第三次産業の占める割合が高く、物販面では隣県に及ぶ仙台経済圏を形成している。仙台都市圏では人口・物販・職場の郊外化が進行し、市も泉中央副都心と長町副都心の2つの副都心を設定しているが、現在はコンパクトシティを志向した都市計画を進めている。
仙台がある仙台平野(狭義)は、西を奥羽山脈、北を松島丘陵、東を太平洋の仙台湾に囲まれる。ここは、畿内に端を発する山道(後に東山道に再編)と海道(後に東海道に再編→浜通り)とが合一する唯一の地(尾張国と武蔵国で近接はする)であり、その合一した街道が通る長町-利府活断層沿いが歴史的に交通や軍事面での要地とされ、古墳(遠見塚古墳など)が連なり、陸奥国の重要施設(郡山遺跡・陸奥国分寺・陸奥国分尼寺、多賀城市の多賀城など)も置かれてきた。伊達政宗が、伝統的な当地の中心地である長町-利府活断層沿いから内陸に入った河岸段丘上に仙台城および仙台城下町を建設し、現在の都心部の基盤となった。政宗が長町-利府活断層沿いに築いた若林城および若林城下町は、死後に廃城および仙台城下町と合一している。
明治になると、東京と青森のほぼ中間(双方からともに約350km)に位置する当地に、東北地方を統括する中央省庁の出先機関や陸軍施設が集まり、鉄道の結節点である仙台駅が設置されて商業・流通も発達し、人口も増加した。仙台区を経て1889年(明治22年)4月1日に市制施行。東北帝国大学を初めとする教育機関も集積した。戦中、仙台空襲で中心部は廃墟となり、戦後の占領期には進駐軍の米兵に経済を握られたが、高度経済成長で企業の支店が多く進出し、「支店経済都市」(札仙広福)となった。1989年(平成元年)4月1日に全国で11番目となる政令指定都市となり、1999年(平成11年)5月11日に推計人口が100万人を突破した。現在の常住人口は約103万人で宮城県の総人口の44%以上を占め、東北地方の中で最も人口の多い市となっている。昼間人口は約115万人。
☆仙台フェリーターミナルに寄り、名古屋港行きの予約手続きを行う。
☆日本三景・松島に到着
[地形・自然]松島は、仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来た沈降地形である。溺れ谷に海水が入り込み、山頂が島として残っている。全体として松島湾(広義)を形成し、湾内の水深は10m以浅である。尚、260余りの島、すべてに名前がつけられている。
この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩、砂岩、礫岩などで出来ており、波に洗われる部分はやや容易に侵食され、白から灰白色の岩肌を見せている。特に小島では、松が生えている島の頂部よりも、海水面近くが波に洗われてえぐれており、ややキノコに似た形になっているものもある。また、侵食による奇岩や日本三大渓に数えられる「嵯峨渓」のような海蝕崖も見られる。
このように侵食、風化作用を受け易い地層の上に松島は成り立っているため、長い間に風景も少しずつ変化してきたと考えられ、過去の松島と、現在のそれとは微妙な違いがあると考えられている。五大堂が設置されている島も海水面近くが侵食されており、将来が危ぶまれている。
☆さすが
日本三景だけ有って、沢山の観光客で賑わい外国からの観光客も多かった。観光船も出ていたが、時間の都合で乗らなかった。
☆瑞巌寺入口付近。松島の瑞巌寺、平泉の毛越寺と中尊寺 、山寺の立石寺は、いずれも平安時代に慈覚大師円仁が開いた古刹です。今回の旅では、何れの寺にも訪れる。瑞巌寺(ずいがんじ)は、宮城県宮城郡松島町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。古くは松島寺とも通称された。
毎年、11月第2日曜日には芭蕉祭が行われる。また、大晦日の火防鎮護祈祷である「火鈴巡行」と一般も撞ける除夜の鐘が有名である。 境内には、「臥龍梅」と呼ばれる紅白二本の梅の木があり、伊達政宗お手植えと伝えられている。
☆参道のお土産店前にて
☆瑞巌寺にあるお墓
瑞巌寺は、1600年に伊達政宗が仙台城下の経営を始めるとともに改めて重要視しされ、桃山文化の粋を集めた伽藍が1609年に再興、伊達家の菩提寺となりました。海岸にも五太堂や観瀾亭が造られ、”日本三景”と言われた松島の中心となり、更に和歌や俳句、漢詩、絵画など、紀行アートのメッカになりました。
☆国通院の庭の紅葉も又素晴らしかった!
今朝のニュースでは、昨日通った北広島町の臥龍(がりゅう)山で若い女性の頭部が見つかった。当たりの山々は、丁度紅葉が進んで見ごろを迎えていた。島根、広島両県警は7日、DNA鑑定の結果、女性は10月26日夜から行方がわからなくなっていた島根県立大総合政策学部1年、平岡都(みやこ)さん(19)(島根県浜田市原井町)と断定したという。理由は、ともあれとても許せない犯罪である。徹底捜査を望みたいと思う。今日は、田舎に行き久しぶりの畑仕事をと思っている。で、終番に近づいた8日目の旅日記を・・・
東北の旅(8日目・10/29)
蔵王の遠刈田温泉:ゆと森倶楽部⇒磊々峡(らいらいきょう)⇒日本三大滝・秋保大滝⇒仙台フェリーターミナル⇒日本三景・松島⇒ホテル東横イン仙台泊
・ゆと森倶楽部は蔵王の雄大な自然のなかで、
湯治や宿泊を楽しんでいただける施設です。
ここでは日常の忙しさを少しだけ忘れて、
ゆっくり、じっくり、心とからだの充電をしていただきたい。
そう願っております。宿泊した蔵王ハイツは、2009年4月25日より、 森の遊学「ゆと森倶楽部」として、リニューアルオープンした宿である。これまで宿泊した宿で、レベル的には最も高い宿だった。旅も終盤に入っていたので少々奮発する。夕食・朝食メニューも豪華で、高原野菜をふんだんに用意されていた。またデザートには、こだわりのアイスクリームも選ばれ、暖炉のあるスペースで楽しめた。お風呂も沢山あり、特に露天風呂は気に入る。当然朝晩の二回の入浴をする。近くの森を30分余り朝散策。何処か軽井沢や奥入瀬渓を思わせる様な場所が各箇所にあった。家族連れやグループで訪れる人が多かった。さすがに外国からの、観光客は見ることは出来なかった。その後日本三大滝の一つ、秋保大滝に行く途中磊々峡(らいらいきょう)に立ち寄る。厳美渓(げんびけい)(岩手県一関市)の岩の渓谷も凄かったが、こちらの磊々峡(らいらいきょう)の方がより凄かった。ただただ感心するばかり・・・
その後は、目指す秋保大滝へ。駐車場にも沢山の車が止まり、お土産店等もあった。神社のそばを歩いて数分で滝に到着する。展望所には沢山の人で、中国からの観光客も見られた。神社の銀杏(いちよう)の木から、ギンナンが落ちていて拾っている人もいた。又このギンナンの臭いこと、遠くまで匂っていた。そろそろ帰りのフエリーが気になり、予約を入れる。丁度空室が有り、今日中に予約の手続きをすれば、21%引きになるとの事。松島に向かう途中に、仙台フェリーターミナルに寄る。さすが東北の物流拠点だけ有って、仙台港は大きかった。仙台の街も県庁所在地だけ有って賑やかだった。町には街路樹が多く、森の都とかけや木通りの愛称が付いている。中心街を通りぬけて、日本三景の一つ松島に行く。さすが海に浮かぶ島々が絶景で、沢山の島々を巡る遊覧船も出ていた。又瑞巌寺も境内には、「臥龍梅」と呼ばれる紅白二本の梅の木があり、伊達政宗お手植えと伝えられている。ここも沢山の観光客で賑っていて、土産物店も人が多かった。ゆっくりしたかったのだが、ホテルの駐車場の平面に限りが有るので16時前にチェックインする。早めにホテルに入り、ゆっくりする。最後の宿は、ビジネスでガマン!(一日走行キロ121Km)
☆蔵王の遠刈田温泉:ゆと森倶楽部の食堂入り口
☆夕食は、豚肉のしゃぶ鍋を中心としたメニュー
☆周辺で栽培されている高原の野菜と果物
☆和室の部屋からの景色
☆窓越しに庭を見ながら、朝食バイキング!新鮮な高原野菜が美味しかった
☆ホテル近くを30分ばかり散歩する。近くには、渓流が流れていて紅葉も見ごろだった。
☆秋保大滝に向っている途中に、磊々峡(らいらいきょう)に立ち寄る。
☆織りなす石畳と清流の渓谷美・磊々峡(らいらいきょう)
・「磊々峡」は、名取川の流れがひときわ狭くなる秋保温泉湯元付近にある渓谷です。秋保温泉街の入口にある「覗橋」が磊々峡のほぼ真ん中に位置し、この橋を挟んで上下約1kmの長さにわたり、深さが20mにも達する渓谷美が続いています。
覗橋の両側には、岩を削る急流と迫力ある岩々が眼下に広がっています。また、下流側に向かって渓谷沿いに約700mの遊歩道が続き、「八間巌」「鳴合底」「鬼面巌」などの奇勝や「時雨滝」「三筋滝」などの滝が織りなす美しさを堪能することができます。
渓谷沿いの木々の葉が鮮やかな新緑の頃や紅葉に染まる頃は水面に映え、一段と美しい景観を見せてくれます。(仙台市HPより)
☆磊々峡(らいらいきょう)の川に削られた岩
☆秋保大滝入口付近
☆滝へは、この神社を通って行く
☆大きな銀杏の木があり、その下には銀なんの実が沢山落ちていた。
☆知らない観光客の人に、シャッターを押して戴く。(秋保大滝展望所前にて)
☆日本三大名瀑(那智の滝・華厳の滝・秋保大滝)の一つ。秋保(あきう)大滝の紅葉も見ごろだった。
この滝は、高さ55m、幅6mの大型の滝で、仙台市太白区の温泉地で有名な秋保温泉郷から更に山奥に約15キロ程入った所に有ります。
☆仙台市内に入る。仙台市の概要
仙台市都心部周囲には広瀬川や青葉山などの自然があり、また都心部にも街路樹などの緑が多いことから、「杜の都」との異名をもつ。市は「学都仙台」「楽都仙台」などのキャッチコピーも用いている。中国では、魯迅が留学した都市として著名。産業は第三次産業の占める割合が高く、物販面では隣県に及ぶ仙台経済圏を形成している。仙台都市圏では人口・物販・職場の郊外化が進行し、市も泉中央副都心と長町副都心の2つの副都心を設定しているが、現在はコンパクトシティを志向した都市計画を進めている。
仙台がある仙台平野(狭義)は、西を奥羽山脈、北を松島丘陵、東を太平洋の仙台湾に囲まれる。ここは、畿内に端を発する山道(後に東山道に再編)と海道(後に東海道に再編→浜通り)とが合一する唯一の地(尾張国と武蔵国で近接はする)であり、その合一した街道が通る長町-利府活断層沿いが歴史的に交通や軍事面での要地とされ、古墳(遠見塚古墳など)が連なり、陸奥国の重要施設(郡山遺跡・陸奥国分寺・陸奥国分尼寺、多賀城市の多賀城など)も置かれてきた。伊達政宗が、伝統的な当地の中心地である長町-利府活断層沿いから内陸に入った河岸段丘上に仙台城および仙台城下町を建設し、現在の都心部の基盤となった。政宗が長町-利府活断層沿いに築いた若林城および若林城下町は、死後に廃城および仙台城下町と合一している。
明治になると、東京と青森のほぼ中間(双方からともに約350km)に位置する当地に、東北地方を統括する中央省庁の出先機関や陸軍施設が集まり、鉄道の結節点である仙台駅が設置されて商業・流通も発達し、人口も増加した。仙台区を経て1889年(明治22年)4月1日に市制施行。東北帝国大学を初めとする教育機関も集積した。戦中、仙台空襲で中心部は廃墟となり、戦後の占領期には進駐軍の米兵に経済を握られたが、高度経済成長で企業の支店が多く進出し、「支店経済都市」(札仙広福)となった。1989年(平成元年)4月1日に全国で11番目となる政令指定都市となり、1999年(平成11年)5月11日に推計人口が100万人を突破した。現在の常住人口は約103万人で宮城県の総人口の44%以上を占め、東北地方の中で最も人口の多い市となっている。昼間人口は約115万人。
☆仙台フェリーターミナルに寄り、名古屋港行きの予約手続きを行う。
☆日本三景・松島に到着
[地形・自然]松島は、仙台平野を南北に分ける松島丘陵の東端が海にまで達し、それが沈水して出来た沈降地形である。溺れ谷に海水が入り込み、山頂が島として残っている。全体として松島湾(広義)を形成し、湾内の水深は10m以浅である。尚、260余りの島、すべてに名前がつけられている。
この地域の大部分の地層は第三紀層の凝灰岩、砂岩、礫岩などで出来ており、波に洗われる部分はやや容易に侵食され、白から灰白色の岩肌を見せている。特に小島では、松が生えている島の頂部よりも、海水面近くが波に洗われてえぐれており、ややキノコに似た形になっているものもある。また、侵食による奇岩や日本三大渓に数えられる「嵯峨渓」のような海蝕崖も見られる。
このように侵食、風化作用を受け易い地層の上に松島は成り立っているため、長い間に風景も少しずつ変化してきたと考えられ、過去の松島と、現在のそれとは微妙な違いがあると考えられている。五大堂が設置されている島も海水面近くが侵食されており、将来が危ぶまれている。
☆さすが
日本三景だけ有って、沢山の観光客で賑わい外国からの観光客も多かった。観光船も出ていたが、時間の都合で乗らなかった。
☆瑞巌寺入口付近。松島の瑞巌寺、平泉の毛越寺と中尊寺 、山寺の立石寺は、いずれも平安時代に慈覚大師円仁が開いた古刹です。今回の旅では、何れの寺にも訪れる。瑞巌寺(ずいがんじ)は、宮城県宮城郡松島町にある臨済宗妙心寺派の寺院である。詳名は松島青龍山瑞巌円福禅寺(しょうとうせいりゅうざん ずいがんえんぷくぜんじ)。平安時代の創建で、宗派と寺号は天台宗延福寺、臨済宗建長寺派円福寺、現在の臨済宗妙心寺派瑞巌寺と変遷した。古くは松島寺とも通称された。
毎年、11月第2日曜日には芭蕉祭が行われる。また、大晦日の火防鎮護祈祷である「火鈴巡行」と一般も撞ける除夜の鐘が有名である。 境内には、「臥龍梅」と呼ばれる紅白二本の梅の木があり、伊達政宗お手植えと伝えられている。
☆参道のお土産店前にて
☆瑞巌寺にあるお墓
瑞巌寺は、1600年に伊達政宗が仙台城下の経営を始めるとともに改めて重要視しされ、桃山文化の粋を集めた伽藍が1609年に再興、伊達家の菩提寺となりました。海岸にも五太堂や観瀾亭が造られ、”日本三景”と言われた松島の中心となり、更に和歌や俳句、漢詩、絵画など、紀行アートのメッカになりました。
☆国通院の庭の紅葉も又素晴らしかった!
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