たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎旅日記(四日目)

2010-11-04 09:09:00 | 旅行
☆富士山ライブカメラ・三ツ峠(1785m)山頂付近(今朝7:51)

☆富士山ライブカメラ(忍野カメラ) 今朝7:52

★今朝は昨日よりもさらに冷え込み、気温は4℃だった。しかし晴れているので、陽が昇ると太陽の温もりが感じられる。
やはり11月に入ると急に気温が下がってきた。まだ、我が家では暖房器具は出してはないがその内出さなくてはと思っている。昨日セルフのGSでは、灯油を買い求める沢山の客が見られた。寒くなったので、早めに床に付き昨夜はラジオで日本シリーズを聴く。
3回、ロッテは、1番の西岡選手のタイムリーツーベースで先制し、3番の井口選手にもツーランホームランが出て、3対0とリードしました。しかし、4回、中日が、4番の和田選手のタイムリーツーベースなどで2点を返し、さらに5回にも、ノーアウト満塁から井端選手のセカンドゴロがダブルプレーとなる間に三塁ランナーがかえって、3対3の同点に追いつきました。試合はこのまま延長に入り、延長11回、中日が、ツーアウト二塁から9番の大島選手のタイムリーヒットで決勝点をあげ、4対3でロッテに勝ちました。(NHK)
延長戦に入ったので、午後11時近くまで試合が有った。途中聴きながら寝た時も有ったが、ロッテの延長十回に1死満塁のサヨナラ機が有ったのだが、三直併殺で危なかった。今夜も続いて、中日に声援を送りたい。
東北の旅4日目は、敦賀から福井に向かい越前岬や、永平寺を中心に観光する。この日も、永平寺付近から雨だった。しかし、ここ永平寺は沢山の観光客で賑わっていた。では、その4日目を
・東北の旅4日目は
敦賀のホテル(9:10発)⇒R8経由で越前がにミュウジアム(10:25)⇒越前岬(11:10)⇒R417経由で道の駅 パークイン丹生ヶ丘(11:40)⇒永平寺(12:15~15:00)⇒福井駅前のホテル(15:30着):初日からの延べ走行距離は810Km
☆越前がにミュージアム

☆越前岬近くまでは、漁師町で漁港が続く

☆越前岬
・越前岬(えちぜんみさき)は、福井県丹生郡越前町血ヶ平に位置し、日本海(若狭湾東端)に面する岬。北緯35度58分54秒、東経135度57分27秒。越前海岸が緩く突出する地点で、越前加賀海岸国定公園に含まれる。





☆曹洞宗 大本山 永平寺
・今から約750年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開創された「日本曹洞宗」の第一道場で出家参禅の道場です。
 境内は約10万坪(33万平米)、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。
 永平寺の開祖道元禅師は、鎌倉時代の正治2年(1200)京都に誕生され、父は鎌倉幕府の左大臣久我道親、母は藤原基房の娘といわれています。
 8歳で母の他界に逢い世の無常を観じて比延山横川に出家されました。 その後、京都の建仁寺に入られ、24歳の春、師明全とともに中国に渡り天童山の如浄禅師について修行し、悟りを開かれて釈迦牟尼仏より51代目の法灯を継ぎ、28歳のときに帰朝されました。帰朝後京都の建仁寺に入られ、その後宇治の興聖寺を開創されました。
 寛元元年(1243)鎌倉幕府の六波羅探題波多野義重公のすすめにより、越前国志比の庄吉峰寺に弟子懐弉禅師(永平寺2世)等とともに移られました。
 翌2年、大仏寺を建立、これを永平寺と改称し、のちに山号を吉祥山に改めて、ここに真実の仏弟子を育てる道場が開かれました。
 以来、御開山道元禅師が説き示された禅の仏法は脈々と相承護持され、今では全国に1万5千の末寺、檀信徒は800万人といわれております。(永平寺HP)
・曹洞宗大本山永平寺は、今から約750年前の寛元2年(1244年)、道元禅師によって開創建された出家参禅の道場です。
室町時代には天皇から「曹洞宗第1道場」の勅額を贈られ、日本の禅修行の場として歴史を刻んできました。33万平方メートルにも及ぶ広大な敷地には、山門・仏殿・法堂・僧堂・大庫院・浴室・東司などの 修行の中心となる「七堂伽藍」 など、70余棟の建物が、樹齢600年を越える老杉の巨木に囲まれながら 静かにたたずんでいます。150名の雲水たちによって、荘厳な雰囲気の中、 今も750年前に道元によって定められた厳しい作法に従って禅の修行が営まれています。(永平寺町旅ガイド)







☆もう少し経ったら、こんな景色になるのだろう



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
【夢を実現する今日の一言】

・人生は、何を信じるかで、

 その意味が変わる

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
過去の出来事・トピックス
・明治の平民宰相、原敬が東京駅で刺殺される(1921)
・イラン学生が米大使館占拠(1979)
・広島、初の日本一に(1979)
・米大統領選でレーガン当選(1980)
・巨人軍の王貞治が引退、助監督に(1980)


b>記念日・年中行事・お祭り
・ユネスコ憲章記念日(日本ユネスコ協会連盟 tel.03-5424-1121)
 ユネスコ憲章が発効された日を記念し設けられた。ユネスコ(国連教育科学文化機関)発足は、1946年11月4日。

☆本日の誕生日
・泉鏡花(作家・1873)、森瑤子(作家・1940)、西田敏行(俳優・1947)

☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・イヌタデ(タデ科)
・「あなたのために役立ちたい」

☆「きょうの一句」

・足もとの赤のまま見て立話  高木晴子

~心に響く366の寸言~

【文化と文明】

文化とは民族の創造力をいい、
文明とはその施設外観をいう。

文明が文化の重荷になって来ると、
その文明は永遠の生命から云(い)えば
危険だといわねばならぬ。

    『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd

☆11月4日 松下幸之助[一日一話]
<職種と適性>
文化が進むと職種が増え、自分の好む職種というものが、だんだんと選びやすくなってきます。そしてそこに生きがい、働きがいが求めやすくなってくるだろうと思います。しかし、今日のところは、まだ十分でなく、この仕事はあまり自分には適していないが、まあこれで甘んじていようかという場合もあると思います。けれども昔からみると、非常に恵まれています。
 そう考えてみると、今日に生きるわれわれは、非常に幸せだと思います。自分の好む仕事を求めやすい時代です。こういう時代に生まれながら、もしも仕事に生きがい、喜びを感じないというのであれば、それは原則として許されないことになると思うのです。

☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 467日
・昨日、11月3日のアクセス数 閲覧数:266,訪問者数:124,トータル閲覧数(PV):96035,トータル訪問者数(IP):42607,


タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿