たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎萩~山口~津和野観光

2011-05-13 06:45:37 | 旅行

☆今朝の富士山ライブカメラから

★昨日までの雨も上がり、今朝は久し振りに陽射しが帰って来た。湿度も低くなり気温は、14℃とこの時期らしい気候になった。富士山ライブカメラからも、今朝は綺麗な富士山が眺められ嬉しい!
昨日の朝、急に次男が帰省したので萩~山口~津和野観光に出掛ける。一昨日の大雨のせいで、R191は須佐~萩間が通行止めになっていたので迂回する。その他萩~木戸山間や益田道路の角井~高津間などが通行止めになっていた。GW後のウイークデーと雨のせいか、何処も観光客の姿は疎らだった。しかし、雨が降ったせいか新緑も鮮やかに見え山々には霧がかかり変わった景色も楽しめた。
特に今回は、訪れた事の無かった大正洞を観光した。近くの秋芳洞には、これまで何回も言ったが大正洞も中々良かった。洞内には、沢山の洞くつが有り歴史と自然の凄さが感じられた。その後は、秋吉台に上がり石灰岩の台地、カルスト台地を観光。雨上がりで台地の景色や、山に掛かった霧が素晴らしかった。その後は、いつもの瑠璃光寺と津和野の稲荷神社を参拝し午後6時頃に帰宅する。では、昨日訪れた所の概要と画像の一部を!
☆太鼓谷稲成神社:日本五大稲荷:島根県鹿足郡津和野町
江戸時代から五穀豊穣、商売繁盛の神様として祀られてきた太鼓谷稲成神社は津和野にある稲荷神社だ。京都の伏見稲荷や茨城の笠間稲荷、宮城の竹駒神社そして九州佐賀の祐徳稲荷と並び日本五大稲荷と称される(三大稲荷や五大稲荷は地域によって異なる。このほか岡山の最上稲荷の名も挙がる)。稲荷神社の「稲荷」は、稲が生える稲生(いねなり)が転じてイナリとなり稲荷(いなり)の字を当てるようになったといわれるが、太鼓谷稲成神社に限り願望成就の「成る」をもって「稲成」としており、日本全国数万ある稲荷神社でもこのように書くのは太鼓谷稲成神社だけである。
近隣の人々のみならず日本全国の人々から特に商売繁盛の神様として信仰されており、それらの人々が奉納したその数実に千本といわれる「千本鳥居」がトンネルをなしていて通り抜けても外から見ても壮観だ
☆瑠璃光寺
・瑠璃光寺(るりこうじ)は、山口県山口市香山町にある曹洞宗の寺院。山号は保寧山、本尊は薬師如来。国宝の五重塔を中心として、境内は香山公園と呼ばれ、桜や梅の名所にもなっている。大内氏全盛期の大内文化を伝える寺院であり、「西の京・山口」を代表する観光名所となっている。香山墓所は「毛利家墓所」のうちの一つとして国の史跡に指定されている。
☆大正洞:山口県美祢市美東町
・秋吉台国定公園の東北端に位置する大正洞は、古来は「牛隠しの洞」と呼ばれ、戦乱や内乱のおりに里人が牛を奪われることをおそれてこの洞内に隠したと伝えられています。豪華な大理石の石柱で作られた藤棚の通路「ロマンロード」を通り洞入り口へ。洞内は「地獄の入り口」「よろめき通路」「獅子岩」などみどころたくさん。洞くつ探検の醍醐味を堪能できます。また、マグシーバーシステムにより音楽とおしゃべりで洞内をご案内
☆秋吉台
・秋吉台ははるか昔、遠い海でサンゴ礁として誕生しました。それから約3億5千万年、ドリーネや鍾乳洞が発達した石灰岩の台地、カルスト台地となりました。石灰岩の中にはサンゴ、ウミユリなどの地球と秋吉台の長い歴史を示す化石が見つかります。
秋吉台はかつては森林でした。中世、農業の発展にともなって日本各地で草原が誕生しました。秋吉台でも木は切られ一面の草原となりました。草は家畜の飼料や有機肥料などに、また、ススキは屋根の材料として大切にされ、良質の草原を維持するために山焼きが行われました。秋吉台の草原は人の営みによって生まれた自然なのです。
秋吉台の自然の楽しみ方は人それぞれ。四季おりおりに訪ね、自分の足で歩き、風を空を岩を生き物を探検してください。きっと、知れば知るほど好きになります。500~600m級の山脈に囲まれて盆地状の台地を形成しています。
☆萩の松陰神社
・吉田松陰を祭神とする神社で、明治23年(1890)に松陰の実家杉家の邸宅内に土蔵造りの小祠を建て、その中に祭神生前愛用の赤間硯を御霊代として祀ったのを始まりとする。
明治40年に萩城内にあった毛利家守護神宮崎八幡の拝殿を移築して本殿し、同時に県社に列した。北隣にある摂社松門神社は、松陰神社創建当時の土蔵造りの本殿であり、松下村塾出身の松陰門下生を祀っている。境内には国指定史跡の松下村塾、吉田松陰幽囚の旧宅などがある。

☆萩~山口~津和野観光(松陰神社・大正洞・秋吉台・瑠璃光寺・津和野稲荷神社)

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【夢を実現する今日の一言】

・受け入れるとは、感謝すること

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~今日は何の日~
☆歴史上の出来事
▼シージャック事件犯人、広島港に戻った船上で射殺(1970),▼大阪・千日デパートビルの火事で118人死亡(1972),▼ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が狙撃され重傷(1981)
☆記念日・行事・お祭り

☆今日の誕生日
▼笠智衆(俳優・1904),▼鈴木光司(作家・1957),▼井上和香(タレント・1980)
☆クローズアップ!
●不死身の男アラビアのロレンス不慮の事故死
・「確実な成功にはなんらの栄誉もありえないが、確実な敗北からは多くの力がほじくり出されるはずだ」といったT・E・ロレンス。ベドウィンの白い衣をまとい、砂漠で勇壮に立ちふるまう姿は小説や映画でおなじみ。アラビア独立を願い、反乱を指導し、現地の人々に愛されたロレンスだったが、本国イギリス政府と対立し、失意のうちにアラビアを去った。帰国後の1935年5月13日、オートバイで転倒、意識不明のまま帰らぬ人となった。

☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・ドイツアヤメ(アヤメ科)
・(虹の使者・すばらしい出会い)

☆「きょうの一句」

・二滴一滴そして一滴新茶かな   鷹羽狩行(たかはしゅぎょう)

~心に響く366の寸言~
今日の言葉~「安岡正篤 一日一言」より(致知出版社刊)
【母】
 明治初期に、儒者としてもクリスチャンとしても、又教育家文学者として典型的な君子人、中村敬宇に「母」と題する名文がある。
「一母有り。四才児を携えて一牧師に問うて曰く、子を教うるは何才を以て始めと為すかと。牧師對えて曰く、汝の笑顔の光、小児を照せしより、子を教うるの機會始まると、鳴呼、世、固より此の母の機會を失う如き者多し。
 今世の人、口を開けば聊ち文明と曰い、而してその本原に昧し、余嘗って謂う、国政は家訓にもとづき、家訓の善悪は則ち、その母にかかわる。母の心情、意見、教法、礼儀は其の子他日の心情、意見、教法、礼儀なり。斯に知る、一国の文明は、その母の文明に本づくことを。」

☆5月13日(金): 松下幸之助[一日一話]
【プロの自覚】
 私は以前、寄席で短剣投げを見たことがある。それは、女の人を壁の前に立たせ、そのからだスレスレのところに次から次へと、二十本あまりの短剣を投げるのである。そのときに私は“これがプロだな”と感じた。わずかでも手もとが狂えば、人の命にかかわるのである。それを毎日毎日やり続けて一つの失敗もないというのは、実に大変なことである。しかし、それをやり遂げるのがプロである。
 考えてみれば、サラリーマンの仕事でも一緒である。こういう厳しい境地に立って、はじめて一人前として給料がもらえるということであろう。今日のサラリーマンに要求されるのは、アマチュアではない“プロ”の仕事である。

タイトル:「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 657日
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947

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