たかきの独りごとパートⅡ

近況報告(感謝・感動・感心をテーマとし、今年度は家庭菜園が中心予定です。尚、不定期更新とさせていただきます。)

◎祝興南・春夏連覇!

2010-08-22 07:29:15 | 報道・ニュース
☆富士山ライブカメラ(三ッ峠山頂カメラ) 今朝6:13.

☆自宅前のアサガオ(今朝6時過ぎ)

★今朝も青空で、日中は暑くなりそうである。自宅前のアサガオも調べて見ると、6/27に初めて咲いた。この猛暑の中連日咲き続き、今朝も11輪が咲いている。何時まで咲くのか分からないが、朝晩の水やりだけは続けたい。今日の早朝気温は、25℃でやや涼しさを感じる。4時頃目が覚めNHKラジオの〔明日へのことば〕を聴き、JR駅裏方面を約40分ばかり散歩。午前4時台 の〔明日へのことば〕 は、「終わりよければ、全てよし」との題で
「ゲゲゲの女房」著者 武良布枝さん(水木しげる婦人)が出演される。朝ドラの「ゲゲゲの女房」は、毎日楽しみにし夫婦で観ている。昨夜は、NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」でヒロインを演じる松下奈緒さんが19:30からのNHKテレビ「思い出のメロデー」に司会役で登場。「ゲゲゲの女房」は、報道によれば視聴率も20%を超えて人気と言う。又境港の水木しげるロードも、観光客が増加しているそうである。
お見合い結婚当初は、ドラマの中にも有った様にお金が無くて大変だったらしい。戦争直後の家庭は、物が無く当時何処もそうだったのだろう。
最後に夫婦に大切な事は、「信じ合う事と信頼」とお話しされていた。
昨日は、「夏の甲子園」で、興南(沖縄)が東海大相模(神奈川)を下し、初優勝するとともに、史上6校目の「春夏連覇」を達成。試合開始から閉会式までの全てをテレビ観戦する。入場券も9時から10時前まで全て売り切れ、スタンドの観衆も満員の4万7000人との発表。試合結果は、、興南(沖縄)が13―1の大差で東海大相模(神奈川)を下した。前日の準決勝は、ハラハラ・ドキオキの連続だったが少し安心して観られた。今朝は興南高校関連の記事には、全て目を通し昨日の余韻を楽しむ。これまでのインタビューを通じ、我喜屋監督さんや選手の言葉が凄いと感じていた。決して大柄の選手と言えないチームが、春夏連覇するのにはそれなりの何かが有るのだと感じた。その一部の記事を!

・悲願の優勝「県民みんなで勝ち取った」興南・我如古主将
(21日、興南13―1東海大相模) 「県民みんなで勝ち取った優勝です」。沸き上がるスタンドに何度も目をやり、歓声に応えた。それまで沖縄勢が体験したことのなかった歓喜の渦の中で、興南の我如古盛次(がねこ・もりつぐ)主将(3年)は深紅の優勝旗をがっちりと握りしめた。春夏連覇という大きな期待は重圧にもなったが、それを力に変え、130人の部員を引っ張ってきた。 「あまり口に出して言うタイプじゃない。自分の行動、背中を見せるんです」。決勝前に語ったことを大舞台で体現した。甲子園での最後の試合を3点本塁打など3安打4打点で締めくくった。
「努力があるから夢がある」「目標は、夢で終わってはいけない」。小学校の卒業文集にそう記した。小学4年で野球を始め、中学2年のころ、父の盛正(もりまさ)(43)さんらが自宅敷地内に照明や屋根のついた練習場を造ると、近所に住む銘苅(めかる)圭介右翼手(3年)ら仲間と汗を流した。
「野球のスコアボードじゃなく、人生のスコアボードにいい記録を残しなさい」という我喜屋(がきや)優監督(60)を慕って興南に進んだ。記録員の大湾圭人(おおわん・よしと)君(3年)は「選手の中の監督みたいな存在。とても責任感がある」。対戦校の分析などを担当する射矢(いるや)翔太君(3年)も「言葉でもプレーでも引っ張るところがすごい」と我如古主将を評する。(この続きは http://www.asahi.com/sports/update/0822/SEB201008210052.html  朝日新聞へ)

・興南・我喜屋監督、モットーは「逆境を友達に」
 1968年の夏。興南高の主将として甲子園大会に出場し、沖縄県勢で初めて4強入りした。沖縄はまだ本土に復帰していない。バッグの中にはパスポートが入っていた。あれから40年を越える月日を経て今、母校を初優勝に導いた。
高校を卒業後は社会人野球の大昭和製紙北海道でプレーし、74年の都市対抗大会で優勝した。現役を退いた後は監督も務めた。2007年の春、母校の監督に。「出来上がった社会人を教えるのと違って、多種多様な責任を持たないといけない」。そう覚悟した3年前の春を感慨深げに振り返った。
北海道ではグラウンドに雪が積もる。沖縄では雨期にも似た梅雨がある。日本列島の北と南でハンディを乗り越えてきた。だからこそ「逆境を友達に」がモットーとなった。雨の日の練習では、長靴と雨がっぱ姿で白球を追わせる。「選手たちは水遊び心を持ってやり始める」といたずらっぽく笑った。ただし、踏ん張りがきかない分、足腰の鍛錬になるのだから、理にはかなっている。
野球部の合言葉「魂・知・和」(こんちわ)が指導の根底にある。魂を込め、知識を広め、仲間との和を大切に―。部員に毎月、野球ノートを提出させる。丁寧に目を通し、練習中にさりげなく助言する。ある選手は「部員がたくさんいるのに、一人一人の個性を、見ていないようでよく見ている」と、うれしそうに打ち明けた。
家族は寮母を務める夫人と、2女。沖縄県出身。59歳。(スポニチ: 2010年04月03日 16:51 )

・興南高校の我喜屋優監督、石垣で教育講演-あきらめない限り夢は続く
講演で我喜屋監督は、自らの野球人生や興南高校での指導について語った。その中で「小さな事に気付かない人は、大きな事も成し遂げられない」「嫌なものから逃げるな」とアドバイス。「毎日の体操やボール拾い、道端に落ちているゴミを拾うなど、誰でもできることを全力でやる選手は大きな事ができる」「嫌な事は逃げても、いつまでもついてくる。それよりも慣れて友達になる。すると嫌なことも後で宝物になる」と、ささいなことにも真剣に取り組む姿勢の大切さを強調した。
興南高校では雨の日でも雨合羽と長靴を履いて練習するが、「その原点は北海道での経験にある」と我喜屋監督。「どんな場所でも知恵を絞れば練習できる。個々のポジションの動きは室内でも十分。むしろ反復練習になる。できないと思うからできないのであって、やらないだけ。何とかできると最後までやることが成功の秘訣(ひけつ)」と話した。
選手とのきずなについても語った。昨年秋の九州大会で負け、「打てない興南」と批判された時には「他人の言うことを気にするな。足下を見つめ直し、自分たちがやるべきことを、目的をもって行い、反省して、明日の目安を考えながらやっていこう」、選抜大会優勝の翌日には満開の桜を見ながら「桜の花は枝が支えている、枝を支えているのは幹、でも本当に支えているのは根っこ。根っこは目に見えない。本当は見えないものが一番支えている。チームも一緒。活躍する裏で頑張っている人がいる。そこにも目を向け、光を届け、風通しのいいチーム作りをもう一回しよう」と選手たちに言ったという。
最後には、「八重山からも大きな仕事、大きな風を起こし八重山のために頑張る人が1人でも多く出てきてほしい。一緒に子育て、人間作りをしていこう」と会場に語りかけた。
講演を聞いた石垣中学校野球部主将の小林大隼君は「これまで考えてもいなかったことばかりだった。今日聞いたことを1つでも2つでも実践していきたいと思う」と話していた。(石垣経済新聞:(2010年06月18日))

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【夢を実現する今日の一言】

・自分に熱く!人に温かく!

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◆過去の出来事・トピックス
・東京で初の路面電車運行。新橋~品川間(1903)
・日韓協約調印(1904)
・作家・向田邦子らが乗った旅客機が台湾で墜落(1981)
・山陽相互銀行が「トマト銀行」と名称を変える(1988)

・“千人信心”……明治の美人歌人、松の門三草子(まつのとみさこ)没(1914)
 男性が千人の女性を征服することを“千人斬り”、逆に女性が千人の男性を征服することを“千人信心”という。この大願を達成したのが、明治初期に活躍した美貌の女流歌人、松の門三草子。深川の芸者として、山内容堂侯や安田善次郎など、手当たり次第に撫斬ったという。その歌の一首「永き世の夢のさめたる心地して今ぞ誠のうつつなりけり」。1914年(大正3)のこの日没した。83歳。

・『夜明け前』の小説家、島崎藤村没す(1943)
 1943年のこの日、近代詩、近代小説に大きな足跡を残した島崎藤村がこの世を去った。71歳。代表作は『若菜集』『破戒』『夜明け前』など。その作品の変遷は、わが国の近代文学の移りかわりと軌を一にしていた。

記念日・年中行事・お祭り

☆本日の誕生日
・ドビュッシー( 作曲家・1862) 、タモリ(タレント・1945)

☆今日の「誕生日の花と花言葉」
・ナツズイセン(ヒガンバナ科)
・「快い楽しさ」
☆「きょうの一句」

・みちのくにさらに奥ありいなびかり  神蔵器(かみくらうつわ)
   
~心に響く366の寸言~

【文より質】

人間は常に質が文よりも勝っていることが望ましい。
その人に奥深いものがどっしりとあって、
そこに若干の表現があればよい。



『安岡正篤 一日一言』より(致知出版社刊)
http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=746&category_cd

☆8月22日 松下幸之助[一日一話]
<国民を叱る>
 私は総理大臣というものは、新しく就任したならまず国民を叱らなければならないと思います。今は国民を叱る人が誰もいません。国民に対してご機嫌をとることはしても、国民を叱ることはありません。だから国民は甘え、他を頼るようになる。それが経済の上にも、政治の上にも行き詰まりが出てきた一つの大きな原因だと思います。かつて、ケネディ大統領が言ったように、日本の総理大臣も「私は総理大臣になりましたが、みなさんは私に求めてはいけません。国に対して求めるよりも、国のために何をなすべきかをお考えいただきたい。そうしないと日本はよくなりません」こういうことを言うべきだと思うのです。

☆「たかきの独りごとパートⅡ」はブログの開設から 393日
・昨日、8月21日のアクセス数 閲覧数:199訪問者数:98


タイトル:たかきの独りごとパートⅡ
URL:http://blog.goo.ne.jp/takaki_1947
☆来年五月まで目標とする言葉(浜田市三隅町:龍雲寺にて出会う:2010.5,8。


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