幼いころから
旅客機に乗る機会が多かった息子は
中でも 国産旅客機YS-11が大好きでした✈
中でも 国産旅客機YS-11が大好きでした✈
将来の夢は
航空業界=飛行機に関われる仕事に就くこと
と 早くから
漠然と しかし一貫して念願してきました✈
誰もが 第一にイメージするのは
パイロット でしょうけれど..
息子は
息子は
操縦 や 接客的な業務ではなく
機体そのものに関わる業務を好んでいました
では? 整備の専門になるか?
などなど..
エアライン社か?
メーカーか?
空港管理会社か?
研究者か?
と さまざまに熟考した結果、
現企業=メーカーの社員になりました
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ところで
日本初の国産ジェット(プロペラ)機 YS-11は
2006年9月30日にラストフライトを迎え、引退
2006年9月30日にラストフライトを迎え、引退
2002年ごろから、
三菱重工が
YS-11機の後継となるべく国産ジェット旅客機の事業化をめざして
プロジェクトを掲げ、
2015年11月11日に
MRJ(のちにMitsubishi SpaceJetと改称)が初飛行をして話題になり..
是非とも そのプロジェクトに関われる企業に入りたい
などと 気張っていた時期もありましたけれど
残念なことに
三菱重工が
Mitsubishi SpaceJet (旧称MRJ)の開発取りやめを決定しました
国産ジェット旅客機の復興を夢見ていた人たちにとっては
切ない思いであるでしょう..
けっきょく 息子は
就活の際 三菱重工は受けていませんでした..
が、一貫して思い続けた「航空機と関わる仕事」は
現企業内の業務に於いて
その一端に携われていることは間違いない
実は、以前YS-11にも乗務した経験があって
懐かしくなりました。
息子さんの夢・・・応援していたご家族もそうですが、夢が叶って(で、いいんですよね)
良かったですね。
>夢が叶って(で、いいんですよね)
↑ ↑
高校卒業⇒大学院を卒業するまで
同輩よりも多く歳月を費やしましたけれども
就職に関しては当人の目当て通りの業界入社ができました!
まだまだ本来の『夢』への途上でありますが..
少しずつ近づいて行っているのかな?と感じたりはします
ひろさん CAさんだったのですよね
その後ご自分でお店も経営されていらっしゃった?
一端だけ 読ませていただき感じとっていましたけれど..
ひろさんのご家庭食卓が といつも素敵なのは
そういう背景があったからなのだなぁ..と理解できました
大前提として、一人の女性として
ご主人様への優しい愛情に溢れていますけれど
そのまた前提には 長く身に着けていらっしゃった
人に対するきめ細かい配慮ができる心があってこそ!
すてきな経緯をお持ちでいらっしゃることに
感銘です
私も..見習ってまいります(^^;
ご家族の方々の静かな見守りもあったのでしょうね。
三菱MRJが遂に開発中止に追い込まれました。
長い時間と労力を費やした事業だっただけに、本当に残念です。
実は私の友人も、この航空機の開発に深く携わっていました。
家族でワシントン州に拠点を置いて頑張っていた彼は、今どんな思いでいるのか気になります。
>実は私の友人も..
↑ ↑
そうでしたか~..
携わってきた方々の胸中は
「残念」などという一言では 諦めきれないものがあることでしょう
>長い時間と労力を費やした事業だっただけに
↑ ↑
本当に そう..!
話題少し離れますが..
先日
理化学研究所が計画する、2023年3月末で有期雇用が
通算10年(2013年4月1日が起算日)になる研究者の
大量雇い止め期限が迫ってきている
という問題について報道していました
[研究職]の方々も
将来役に立つであろう成果を信じて
地味な努力を重ねられていらっしゃるのに
とても理不尽な理由で 研究を断念させられる..
なんだかMRJのプロジェクトスタッフの気持ちと
通じるものがあるように思いました