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【加古爺のつれづれ一行詩集 第27回】

2023-01-17 20:37:00 | 日記

昨夜来からの雨が上がりました。朝から、この季節らしからぬ暖かさです。

第27回は、前回に引き続き、「阿弥陀如来坐像(八寸)」の制作工程の紹介です。

御身体が出来上がると、次に取り掛かるのは「蓮華座」(れんげざ)の制作です。

仏像や仏画に描かれている仏様は、多くの場合、蓮の花弁の台座の上にお立ちになったり、坐っておられます。

この台座を「蓮華台」「蓮華座」「蓮の台(はすのうてな)」と呼びます。「蓮」を「はちす」というのは、花托の部分が「蜂の巣」を逆

さまにした形に似ており、穴がいくつもあるからです。

蓮は汚れた泥の中から清らかな花を咲かせます。仏教の教えでは「泥中の蓮華」(でいちゅうのはす)と呼ばれることもある蓮。そんな蓮

という植物の特徴は、水中の泥に根づいて、水面より上に美しい花を咲かせることです。

このように、不浄である泥の中(「迷いの世界(この世)」)から芽を出し、真っ直ぐに茎を伸ばして優美な花(蓮華はよごれた泥に染ま

らない「悟りの世界」の例え)を咲かせる様子から、蓮は仏教の教えの象徴としてとらえられています。

つまり、「泥中の蓮華」とは 、 ” いくら汚れた環境に身を置いても、その汚さに染まらず、清く生きること ” 。蓮のように「煩悩の汚れの

中でも決して染まらず、清らかで純真な心や姿を保っている人」を例える言葉になります。仏様は悟りを開いて仏となった(成仏した)た

め、その「あかし」として蓮華台に乗っておられるのです。

また、蓮は極楽浄土に咲いている花としても信じられています。仏像では、台座に蓮のモチーフが取り入れられることがよくありますが、

蓮台に複数のパーツが合わさった豪華な台座は「蓮華座(れんげざ)」と呼ばれます

                        【蓮華座のパーツと名称】

「蓮華座(れんげざ)」のパーツは上の写真のように組み合わされます。蓮台の内側、蓮弁を貼り付ける部分を蓮肉(れんにく)と言い、

蓮の一枚一枚の花びらを蓮弁(れんべん)、蓮台の下部にあるのが敷茄子(しきなす)、その下が受座(うけざ)、受皿(うけざら)とも

言います。これらを反花(かえりばな)が受け止め、一番下に框(かまち)が配されます。

                                        【反花(かえりばな)の制作】

                                             

              【蓮台(蓮肉と蓮弁)の制作】

蓮弁は一枚一枚を元木から彫り取った後、全体のバランスを考え、外側に反り過ぎないように内側を細かく削り取りながら、蓮肉の側面の

カーブに合わせ、木工ボンドで固定していきます。

また、蓮弁のサイズは各段ごとに異なるため、二段目以降は、蓮肉の側面のカーブに合わせるとともに、一段目との重なり具合や隙間など

を確認しながら貼り付けていきます。三段目、四段目はこの繰り返しです。

                                         【受座(受皿)の制作】

受座(受皿)の制作もかなり神経を使う細かな作業でした。

敷茄子と框との制作を経て、全部のパーツを組み合わせると「蓮華座」の出来上がりです。

                 【出来上がった蓮華座】

【御身体と蓮華座との組合せ】(敷茄子と框は未完成状態)

今日はここまでとさせていただきます。

次回はいよいよ関門である光背の制作。悪戦苦闘はまだまだ続きます。

  〇 泥中(でいちゅう)に あし取られたるままの わたしである 

  〇 蓮の種 撒かねば咲かぬ 身と知れよ

  〇 我はさあ 何処(どこ)に座るや 針の上 

訪問感謝。最後までお読みいただき、ありがとうございました。              それではまた次回に!      合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第26回】

2023-01-07 20:56:04 | 日記

孫たちも帰り、慌ただしかったお正月が終わりました。

五日、六日とは、食事は専ら「おせち料理」の残り物をかたずけ、今日七日は「七草粥」をいただきました。

『せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ これぞ七草』(パック詰めをスーパーで購入しました)

では今回から、内容を仏像彫刻に戻します。第24回からの続きで、「阿弥陀如来坐像(八寸)」の紹介になります。

先ずは本体を色々な方向から眺めて見ます。

荒彫りの段階とは言え、刀の研ぎ方がまずく、かなりの刀跡が目立っていて恥ずかしい限りです。

上部の写真二枚は、第23回紹介「釈迦誕生仏立像」の制作で練習した頭部「螺髪(らほつ)」の本格版制作ですが、ここで、暫し補

足説明をしておきます。

眉間のやや上にはめ込んでいる突起物を「白毫(びゃくごう)」といい、如来に限らず菩薩もこうした白毫を備えています。仏陀の三

十二相の一つ。眉間にある縮れたごく細い白毛で、右巻きに丸まっており、伸ばすと一丈五尺(約4.5m)あると言われています。

これが光明を放って、「三千世界」を照らすとされているのです。

彫像制作の場合、眉間に穴を穿って、白い顔料を塗った上から水晶などの貴石をはめ込んだり、小像の場合は白く塗った木片や真珠の

粒をはめ込むこともあります。

また、仏像の頭頂に一段高く隆起した部分のことを「肉髻(にっけい)」と言い、超人的なものの象徴として表されます。この肉髻の

根元の前面にある朱色の突起は「肉髻珠(にっけいしゅ,にっけいじゅ)」と言われ、仏の智恵の光を表わす珠(たま)とされており、

この肉髻朱からは、無数の化仏が現れ出されるとも言われています。一説には、肉髻珠は実は肉髻そのものを象徴するもので、肉髻は

朱色を帯びた地肌が頭部のまん中に盛り上がっていたとされており、それを象徴して「朱色の珠」に置き換えて表現しているとされて

います。

「阿弥陀如来坐像(八寸)」の制作は、2018年2月末に拝刀を開始し、2019年6月末に完成しましたので、都合、一年四か月

を要したことになります。いちいち記録に留めていませんが、本体の制作だけでも半年近くを要したと思います。

今後、制作工程は本体の仕上げ彫り(御顔、頭部の螺髪、袈裟衣の仕上げ彫り)、台座の制作、光背の制作と続いており、完成までの

道のりはなかなかに遠いのです。

  〇 正月を 終えて向き合う 阿弥陀仏

  〇 どれもかも 一体一体(ひとつひとつ)が 私のほとけ

  〇 現世(うつしよ)を 忘れひたすら ほとけ彫る 心の汚れ(けがれ)を 削(そ)ぐが如くに

  〇 初春(はつはる)の 満月雲に 見え隠れ

  〇 七草粥(ななくさ)や 満月の中に うさぎ見る

訪問感謝。最後までお読みいただき、ありがとうございました。  それではまた次回に!      合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第25回】

2023-01-05 22:53:00 | 日記

ご無沙汰しております。

 迎春 本年もよろしくお願いいたします。

年末年始 色んなことがありました。

  

                  【線が二本出ると「陽性」】

12月27日(火)。新型コロナ濃厚接触者になってしまいました。その日の夕方と29日(木)の午前とに、二回の

抗原検査を実施。二回とも「陰性」の結果を得ました。勿論、27日の夕方から29日の夕方までの丸二日は、念のた

め、パートナーとは家庭内別居で過ごしました。

30日(金)も発熱等の自覚症状はなく、予定通り、31日(土)に娘と孫とが帰省。明けて、1月2日(月)には、

息子夫婦と孫とが帰省、加えて、弟一家が亡き母のお参りに来訪しました。続けて、3日(火)には娘のパートナーが

帰省。4日(水)には妹一家が亡き母のお参りに訪れました。

その間、12月31日(土)が義母の「三七日法要」だったのですが、バタバタでお参り出来ず、1月2日(月)に息

子夫婦と娘とが孫を引き連れてお参りに。3日(火)には娘一家と私共夫婦とがお参りに行ってきました。

今年は、玄関に注連縄も無く、床の間にも鏡餅の無いひっそりとしたお正月になるはずだったのですが、あにはからん

や、二人の孫(一歳九か月の女児と一歳八か月の男児)が台風の如くに、家の中を、菜園の中を、そして庭先を走り回

り、暴れ回ってくれました。爺じは孫との遊びに連れ回され、婆ばはみんなの食事の準備等々でてんやわんや。

4日(水)夕方、最後まで残っていた息子一家が帰った後は、爺じと婆ばは、言わずと知れた「バタンキューの放心状

態」。ともあれ、我が家の「迎春」はこうして終わったのでした。

  〇 元旦や めでたさあずけて 年明ける

  〇 元旦や 孫のおかげで らしくなり

  〇 孫の来て 静けさ破る 台風となる

  〇 仏壇の 前に座りて リン鳴らす ひ孫のふたりを 母は微笑みて

  〇 仏壇に 供えし菓子を 取れよとて ふたりの孫が むずがり始め

 

次回からは、「阿弥陀如来坐像(八寸)」の紹介を続けさせていただきます。

訪問感謝。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

                                   それではまた次回に!      合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第24回】

2022-12-19 22:41:28 | 日記

今年はどういう年の回りなのでしょうか?10月15日(土)に母が99歳で亡くなったばかりというのに、12月12日

(月)には、妻の母(義母)が93歳で亡くなりました。二人とも、年齢からすれば大往生と言ってもいいのですが、こう

も立て続けとなると、さすがに寂寞に堪えない気がして、心を冷たい風が吹き過ぎる感じがします。

母の「四十九日法要」は終わりましたが、今後、来年の1月22日(日)が母の「百か日法要」、1月29日(日)が義母

の「四十九日法要」、さらに、3月21日(火)が義母の「百か日法要」と、種々の法要が続くことになります。その間、

七日毎に義母の「尽七法要」が加わります。

それにしても、「人の死」というものは本当に空しく、あっけないものです。通夜式、告別式(葬儀)を経て、ほんの一時

間半ほど後には「白骨の身」になってしまうのですから・・・。

「拾骨式」の際、遺骨を骨壷に収めながら、人の世の無常、はかなさを痛感しました。

  〇 人の世の 夢のやうなる 住処(すみか)にて 生きとし生ける 九十(くそじ)あまりを

  〇 紅顔(こうがん)の 在りし日思ひ 骨(こつ)拾う 迷わず行(ゆ)けよ 仏の御前(みまえ)

  〇 我も又 夢より覚めて 帰りなむ 仏のおわす いや彼の御国(かのみくに)

不幸が続いた訳からではありませんが、今回紹介する作品は「阿弥陀如来坐像(八寸)」です。2018年2月末に拝刀を

開始し、2019年六月末に完成しました。

第16回にも書きましたが、この作品は亡き愛娘の弔いのために仕上げたものです。 

『中でも、1990年7月7日に4歳7か月で亡くなった娘の死は、私にとって人生観を変えてしまうほどの大きな、大き

なショックでした。今年の7月に三十三回忌を済ませましたが、幾ら年月が過ぎようとも、親としての気持ちが癒されるこ

とはありません。暫く、私の趣味である仏像彫刻のお話をブログに載せたいと思っていますが、私をこの趣味に導いたきっ

かけは、勿論、この娘の死にほかなりません。娘の弔いのため、いつかは仏像を彫ってやりたい。こんな思いを実現できた

のは現役を退いてからでした。』(第16回より再掲)

【「阿弥陀如来座像(八寸)」正面荒彫り】

【「阿弥陀如来座像(八寸)」背面荒彫り】

角材の余分な部分を鋸や鑿を使って取り除き、全体像を切り出してから、大まかな袈裟衣の位置を決めた段階です。完成ま

でにはまだまだ程遠いのですが、ここに至るまでにも相当な時間を費やしました。

この後、制作工程は本体の仕上げ彫り(御顔彫り、頭部の螺髪彫り、袈裟衣の仕上げ)、台座の制作、光背の制作と続きま

すが、その経過を、順を追って紹介していきたいと思っています。

何しろ、完成までに1年4か月を要したわけですから、その工程は複雑且つ困難で、試行錯誤の連続でした。

【参考】

▢ 阿弥陀如来(あみだにょらい)は、大乗仏教の如来の一つである。 梵名はアミターバ(अमिताभ, Amitābha)あるいは ア

ミターユス (अमितायुस्, Amitāyus)といい、それを阿弥陀と音写する。 阿弥陀仏(阿弥陀佛)ともいい、また略して弥陀仏

ともいう。梵名のアミターバは「量(はかり)しれない光を持つ者」、アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意

味で、これを漢訳して・無量光仏、無量寿仏ともいう。阿弥陀如来は、命あるものすべてを救う四十八願(しじゅうはちが

ん)という誓いを立て、「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々の臨終には西方浄土から迎えに来て、必ず極楽浄土へ往生

させてくれるとされる。

【平等院鳳凰堂本尊/国宝 木造阿弥陀如来坐像】

写真の平等院鳳凰堂本尊「木造阿弥陀如来坐像」は、日本の仏像作家を代表する仏師「定朝(じょうちょう)」によって平

安時代後期、天喜元年(1053)に造られたものです。

愚作は足元にも及びませんが、次回から少しずつ紹介させていただきます。

訪問感謝。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

                                     それではまた次回に!      合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第23回】

2022-12-13 22:32:17 | 日記

昨日は午後から畑に出て、スナックエンドウの囲いと白菜の霜よけに、外葉の巻き付け作業を行いました。今日はブログに

勤しむことにします。

さて、今回は「釈迦誕生仏立像(六寸)」を紹介します。2017年八月に拝刀を開始し、2018年二月に出来上がりま

した。その間、六か月を要したことになります。

下の写真は国宝の【銅造誕生釈迦仏立像/東大寺蔵】ですが、決して私の愚作品とは比較しないで下さい。何しろこちらは

国宝。別格ですから・・・。【笑】

【国宝 誕生釈迦仏立像及び灌仏盤/銅造鍍金 8世紀中頃 像高47.5cm 灌仏盤径89.2cm/奈良 東大寺 蔵】

(大仏開眼の時の東大寺灌仏会のために造られたと考えられ、童子をかたどった天平彫刻としても貴重な作品)

釈迦は誕生した直後に立ち上がって七歩歩き、右手で天を、左手で大地を指差したまま「天上天下唯我独尊(てんじょうて

んげゆいがどくそん)」と説いたといいます。「この世界に生きる人々は一人ひとり誰もが尊いものである」という意味で

す。言うまでもなく、これは伝説として語り継がれている有名なエピソードですが、孔子・ソクラテス・カントと共に四聖

としてあがめられ、その存在が神格化されている故の逸話だといえると思います。

釈迦が誕生したといわれる四月八日は、現在も「花祭り」(灌仏会/かんぶつえ、仏生会/ぶっしょうえ、降誕会/ごうた

んえ、浴仏会/よくぶつえ ともいわれる)としてお祝いが行われます。

                       【花祭り】

「花祭り」では法要に加えて、花で飾りつけた小さなお堂「花御堂(はなみどう)」が作られ、中に「誕生仏」と呼ばれる

仏像が安置されます。「誕生仏」に柄杓ですくった甘茶をかけますが、これは、お釈迦様の誕生時に竜が天から降りて香水

(こうずい=清めのためにお香などを混ぜた水)を注ぎ、洗い清めたという言い伝えにちなんでいるそうです。また、「花

祭り」に甘茶をいただくと無病息災で過ごせるともいわれています。

 

「釈迦誕生仏立像」では、両腕の制作は勿論ですが、何と言っても、頭部の「螺髪(らほつ)」制作が一番のキーワードに

になります。かなり細かい作業になりますので油断をすると螺髪を削り取ってしまうことになりかねません(実際に三か所

を削り取ってしまい、木工ボンドで修復しました)【笑】。正に集中力が求められる作業です。

「螺髪」の話をもう少し続けます。釈迦には、「三十二相八十種好(さんじゅうにそうはちじゅうしゅこう(ごう))」と

呼ばれる多くの優れた特徴があったと言われています。見てすぐに分かる外形的な特徴「三十二相」を詳述したものが「八

十種好」であり、微細な特徴を表現すると共に、宗教的な理想を示しているとされます。この「三十二相」の中の第十二相

と第十三相とに、釈迦の「体毛」についての特徴が記述されており、

  第十二 毛上向相(もうじょうこうそう)

    体の全ての毛の先端が全て上になびき、右に巻いて、しかも紺青色を呈し柔軟である。螺髪はこれを表す。

  第十三 一一孔一毛生相(いちいちくいちもうしょうそう)

    身体の毛穴には全て一毛を生じ、その毛孔から微妙の香気を出し、毛の色は青瑠璃色である。

とあります。

                      【鎌倉大仏の頭部/螺髪】

つまり、「螺髪」とは螺(巻貝)状になっている頭髪のことで、仏の髪型の一つです。前述した「三十二相」の中の第十二

相「毛上向相(もうじょうこうそう)」にあるように、仏像の制作では右巻きのイボ状に作られます。

また、髪型が「螺髪」で表現されるのは、「悟りを開いた仏」で「如来像」に限られますが、「螺髪」の数は特に定まって

いないようです。因みに、直径や高さはそれぞれ異なりますが、東大寺大仏は492個、飛鳥大仏は700個、鎌倉大仏は

656個だそうです。

今回の作品の螺髪数は不明(数えるまでもありません。螺髪の個数は定まっていないのですから)。加えて、螺髪はイボ状

にするのが精一杯で、螺(巻貝)状や右巻きの表現には至っていません(今回の作品では、一つ一つの螺髪が小さく、これ

以上の細かな表現は無理です。しかも、ただでさえ、三か所も削り取ってしまったほどの腕前ですから)【笑】。

  〇 灌仏会(かんぶつえ) 仏の前で  手を合わす 幼き娘の 写真在りけり

  〇 花祭り 誕生仏に 甘茶かけ 無邪気にはしゃぐ 童子(わらべ)らのあり

  

                               訪問感謝。ではまた次回に。         合掌