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【加古爺のつれづれ一行詩集 第22回】

2022-12-03 11:04:44 | 日記

今朝は本当に寒かったですね。布団から出るのに、かなりの勇気が必要でした。曇っていた空に、やっと日が差し始めたと思った

ら、また薄曇りに・・・。今日はこんな天気が続くのでしょう。風がないだけ、ましですかね(笑)。

さて、今回は、第20回の「白衣観音(びゃくえかんのん)立像」(六寸)に引き続き、「聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)

立像」(七寸)を紹介させていただきます。2017年一月に拝刀を開始し、同年八月に拝刀を完了したものです。

写真右下の「白衣観音立像」と比べ、先ず、大きさが六寸から七寸へと一回り大きくなりました。纏っている衣の襞や頭部の彫り、

手に持っている蓮も複雑化します。そして、何よりも大きな違いは「腕」と「手」が現れたことです。

「腕」の制作では、全体の形は勿論ですが、体とのバランスや肘・手首の位置、指の長さなど、多くの課題があって、なかなかに

難しいものでした(下がっている右手の指の長さが短く、手全体の形もいびつ)。

ところで、「観音」とは「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」の略ですが、時代を経るにしたがって、十一面観音や千手観音、馬

頭観音、如意輪観音など(三十三身)多くの姿に変化しているため、今回のような作品は一番もとの観音という意味で、特に「聖

観音」「正観音」と呼ばれます。

また、観音菩薩の「観音」は「音を観る」と書きますが、仏教では「観る=聞く」、併せて、「音」には「人々の苦しみ」という

意味が込められており、「観音菩薩」とは、人々の苦しみの声を聞き、救いを施す菩薩ということになります。そのため、「観音

菩薩」は、自分の心を自在にコントロールし、世間のありのままを観察できる 十通りの力(① 寿自在 ② 心自在 ③ 財自在 ④ 業

自在 ⑤ 生自在 ⑥ 勝解自在 ⑦ 願自在 ⑧ 神力自在 ⑨ 智自在 ⑩ 法自在)を獲得しており、「観自在菩薩」と称されることもあ

ります。

「観音菩薩」のご利益は「七難を免れること」で、 七難とは、① 火難(かなん):火による災難 ② 水難(すいなん):水によ

る災難 ③ 羅刹難(らせつなん):悪い鬼による災難 ④ 刀杖難(とうじょうなん):武器による災難 ⑤ 鬼難(きなん):死

んだ物の霊による災難 ⑥ 伽鎖難(かさなん):投獄される災難 ⑦ 怨賊難(おんぞくなん):悪人による災難 を意味していま

す。

因みに、私のための『女難』がありませんが・・・(笑)。

〇 やさしさの まなこの奥に 十自在秘め

〇 わざわいを 取り除き給うや 南無観世音

〇 ありがたや かんのんさまの すくと立つ

                                 訪問感謝。ではまた次回に。         合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第21回】

2022-11-28 09:20:18 | 日記

一週間ぶりのご無沙汰です。その間、少し早いですが、11月26日(土)に、亡き 母の四十九日法要(満中陰法要)を行いました。

亡くなったのが10月15日(土)。尽七法要を重ね、早や仕上げの法要です。本当に早いものです。

法要はこの後、百か日法要、一周忌法要、三回忌法要、七回忌法要・・・と続きますが、ともあれ、百か日法要が来年の1月22日

(日)ですので、いったんは気を緩めることが出来ます。

さて、前回は愚作の「白衣(びゃくえ)観音」を紹介しましたが、次の作品を紹介する前に、仏様の中にも階層(位)がありますの

で、少し、仏様の階層(位)について記載したいと思います。

仏様を位順にまとめると以下のようになります。

「如来」は仏の中で最高位になり、【真理に目覚め、悟りを開いた仏】のグループです(「如来」=悟りを開いた者という意味)。

釈迦如来(しゃかにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、大日如来(だいにちにょらい)、薬師如来(やくしにょらい)等が

それです。

【元興寺/奈良県 蔵 木造薬師如来立像 平安時代 国宝】

次に位置するのは「菩薩」。「菩薩」は将来、【「如来」になることが決まっている仏】がなり、【悟りを求め、衆生を救うために

多くの修行を重ねている仏】が「菩薩」ということになります。文殊(もんじゅ)・観音(かんのん)・虚空蔵(こくうぞう)・弥

勒(みろく)・勢至(せいし)・普賢(ふげん)・地蔵(じぞう)などがあります。

「菩薩」とは、元来は「釈迦如来」の修行時代を指していた言葉だったそうで、「菩薩」というと、優しい表情から女性のイメージ

を持つ人が多いと思いますが、基本的には修業時代の「釈迦如来」をモデルに作られており、女性体ではありません。

【東京国立博物館蔵 文殊菩薩立像 鎌倉時代 13世紀】

次は「明王」。「明王」とは「大日如来」の命を奉じ、非常に強い力を持って悪を打ち砕き、仏法を守る仏。火生三昧という炎の世

界に住んでおり、人間界の煩悩や欲望が仏の世界に波及しないよう、聖なる炎で焼き尽くすと言われていて、導きがたい人々を強力

に仏の教えに導いて救済する諸尊を指します。愛染明王・不動明王などがそれです。

仏像では、仏教に帰依しない民衆を畏怖させてでも教えに帰依させんとする気迫や、仮の快楽に心浮かれている民衆達に心を砕く様、

また、仏界を脅かす煩悩や、教えを踏みにじる悪に対する護法の怒り等が表現され、一般的に忿怒(ふんぬ)の相で火炎を背負い、

髪は怒りによって逆立ち、法具や装飾品は極力身に着けず、法衣は片袖を破って動き易くし、武器類を手に持った姿で表現されるこ

とが多い。忿怒の相は単なる怒りを表現したものではなく、人々の仏性を開発し悪を討つ力を示していて、これらのことから、「天

部」に対して区別するため、「明王部」または「忿怒部」といわれることがあります。

【東京国立博物館蔵(内山永久寺旧蔵) 木造愛染明王坐像 鎌倉時代 13世紀 重要文化財】

最後は「天部」。諸天部ともいいます。インド古来の神が「天」と訳されて仏教に取り入れられ、仏様・仏教を様々な形で守護する

護法神となったものです。

「貴顕天部」(温和な貴人の姿で表される)と「武人天部」(甲冑に身を固め、武器を執り忿怒の姿に表される)とがあり、前者に

は梵天王、帝釈天、吉祥天、弁財天、伎芸天、鬼子母神(きしもじん/「訶梨帝母 かりていも」 ともいう)などが属し、後者は毘

沙門天(多聞天)などの四天王や仁王、韋駄天、深沙大将(じんじゃだいしょう)、八部衆、十二神将、二十八部衆など、その種類

は多岐にわたります。

【東寺 講堂/京都府 蔵 帝釈天半跏像 平安時代 国宝】

【興福寺/奈良県 蔵 阿修羅像(八部衆) 奈良時代 国宝】

訪問感謝。最後までお読みいただき、ありがとうございました。なお、今回の写真は全てお借りしたものです。

                    それではまた次回に!      合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第20回】

2022-11-21 11:28:35 | 日記

第17回で紹介した「地蔵菩薩立像(六寸)」に次ぐ第二弾は、「白衣観音立像(六寸)」の制作でした。2016年五月に拝刀

を開始し、同年十二月に拝刀を完了しました。「地蔵菩薩立像」の制作が約九か月、「白衣観音立像」は約八か月かかりました。

およそ、一年に一作品ということになります。

「立像」は「りゅうぞう」と読み、「白衣」は「びゃくえ」と読みます。

さて、「地蔵菩薩」は「大地のように広大な慈悲で、生あるもの全てを救うという」菩薩で、釈迦(しゃか)入滅後、弥勒(みろ

く)菩薩が如来(にょらい)として現れるまでの無仏の間、一切の衆生を救済するとされますが、俗信では、小児の成長を守り、

もし夭折した時は、その死後を救い取ると信じられ、尊崇されています。「水子地蔵」がその典型例です。

「白衣観音」は、三十三観音の一人に数えられる観音菩薩で、「大白衣観音、白衣観自在母、白処、白衣母、白衣明妃」とも称さ

れ、阿弥陀如来の妻であり、観音菩薩の母といわれている菩薩です。語源の「白い衣をまとう」という意味から「白衣観音」と名

付けられました。「息災除病、子受け、安産」などのご利益があります。

 

 

 

 

 

「地蔵菩薩立像」と比べ、「白衣観音立像」は衣の襞がやや複雑になり、頭部や髪型にも細かな細工が施されますが、手はまだ少

ししか出ていません。手を全て彫り出すには、体との釣り合いや指の表現などを考えねばならず、なかなかに難しいのです。

「白衣観音」が手に持っているのは蓮の花の「蕾」で、台座は蓮の花の「花弁」になります。「蓮の花の蕾」は別途制作し、手に

彫った穴に突き刺しています。

 

〇 白衣着て 衆生守ると 観音菩薩

〇 時流れ 現在(いま)もおわすや 観音菩薩

〇 蓮を手に 白衣なびかせ 立つ菩薩

 

 

                                  訪問感謝。ではまた次回に。         合掌

 

 


【加古爺のつれづれ一行詩集 第19回】

2022-11-19 09:10:11 | 日記

今日も朝からフォローさせて頂いているブログ内容を点検、新規ブロガーさんの開拓にも時間を割きました。

この作業が結構時間を取り、たくさんコメントを頂いているのですが、なかなか返信が出来ません。悪しからず、お許し

下さい。

 

写真は、仏像彫刻に使っている道具類です。

 

この種の彫刻刀を「印刀」といい、最もよく使用します。

 

これは「丸刀」です。主に、材料を多めに削り取ったり、脇の下などの掘り込みを入れる時に使用します。

 

これは「平刀」です。主に作品の表面をならす時などに使用します。

 

これは「三角刀」。鋭い切れ込みを入れる時などに使用します。

 

彫刻刀には色々な種類と大きさとがありますが、それぞれを、作品の彫りたい箇所に合わせて、的確に使用しなければなり

ません。上の写真は、「特殊刀」で、これにも色々な種類がありますが、窪みのすくい取りや深い穴の掘り込みなど、用途

に応じた刀を使用します。

 

 

上の二枚は「鐫」と「木槌」、「鋸」です。材料となる角材から大まかな作品の形を彫り取る時のざくっとした削り取りや

余分な部分の切り落としなどに使用します。

 

寸法を測る道具類です。

 

これは「トースカン」といい、高さの寸法をきちんと測って水平の線を引く時や、作品制作時の本体に基準線を引く時など

に使用します。中間部ねじ止め材の反対部分に掘り込みがあり、そこに鉛筆を挟んで上部のクリップでしっかりと固定しま

す。作品に付けた基準点に合わせて本体を一周させれば、底面と平行な同じ高さの水平線を簡単に引くことが出来る便利な

道具です。

 

今回は、仏像彫刻に使用する道具類を紹介してきましたが、これらの他にも、彫刻刀を研ぐ「砥石」類や「彫刻刀研ぎ機」

など、様々なものがあります。

必要に応じて道具を揃えることも大切ですが、特に「彫刻刀」や「鐫」については、定期的な研ぎ作業が必須で、その出来

具合が作品に響いてくるのは言うまでもありません。

 

〇 拝刀の 一刀一刀(ひとはひとは)に こころ込め

〇 身を削り 現れ出でたる 仏像と ともに在りたり わが心かな

〇 南無阿弥陀仏 唱えて 仏に手を合わす

 

                                                                                                                訪問感謝。ではまた次回に。         合掌


【加古爺のつれづれ一行詩集 第18回】

2022-11-17 11:25:29 | 日記

朝のお勤め(亡き母への勤行)を済ませた後、あまりに天気がいいので、今年二度目のもみじ狩りに行くことにした。行先は

丹波篠山、もみじで有名な寺院めぐりである。 途中の喫茶店で朝食モーニングを済ませ、最初に訪れたのが「曹洞宗 宝鏡山

洞光寺(とうこうじ)」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平日にもかかわらず、結構な人出で、そう広くはない駐車場は満車状態だった。木々の間からの木漏れ日に照らされるもみじは

あくまでも美しく、池に映る「逆さもみじ」も、なかなかに風情が感じられ、大いに心が癒された。

この後、「もみじ三山」と言われている天台宗の寺院「宝橋山 高蔵寺(ほうきょうざん こうぞうじ)」「安泰山 大国寺(あん

たいざん だいこくじ)」「松尾山 文保寺(しょうびさん ぶんぽうじ)」の三か寺を訪れ、期間限定である記念の御朱印をいた

だいた。

 

 

 

 

立て続けに四か寺を走破し、気が付けば時刻は午後の二時前。 腹の虫が鳴くほどの腹ペコ状態。 妻が覚えていた「丹波あじわい

どり」のレストラン「Pesapallo」(ペサパロ)に飛び込んだのが二時十五分。 昼の部の営業が二時三十分までというところで、

ぎりぎりセーフ。やっとの思いでありついた唐揚げ定食の美味しかったこと、美味しかったこと・・・。

                         訪問ありがとうございました。ではまた次回に。         合掌