今回の東北を巡る旅の重要な目的のひとつは岩手県遠野市役所
(震災の影響で別の場所で仮庁舎として業務)に行く事でした。
遠野は亡父の故郷です。(話では幼少期に過ごしたということでした)
遠野は昨年、被災地を訪れる通過地だったのですが先祖様はどんな人と思い立ち
遠野市役所に行けばもしかして古い戸籍があるのではと釜石に行く途中で立ち寄ったのです。
しかし突発的に思い立ったことなので繋がりを証明する物(私の戸籍謄本等)
は当然ながら持ち合わせていず残念ながら戸籍を入手することはできませんでしたが
担当者の話の内容で戸籍があることの曖昧な確信?を持つことができたのです。
今年は必要書類を揃えて再度遠野市役所仮庁舎を訪れ思惑通りに父、祖父、曾祖父、高祖父の記載された戸籍を入手することが出来ました。
この地に父のそして先祖の軌跡が確実にあったのです。
私の興味はどんどん膨み
実際に住んでいた場所を見ようと戸籍に乗った古い住所を頼りにそこに行きました。
近辺を彷徨いていると「何か探しているの?」と80才~と思われる老婦が親切に話し掛けてきました。
そこで事情を話すと「え?武田さん??」突然のことだったのでしょう。
遠ぉ~い記憶をたぐり寄せるように「確かこの先の・・さんの住んでいる辺りにいたよ」と。
この辺りでは一軒しかなかった氏名だそうで教えられた場所は戸籍の住所とは違い
同じ通り沿いでしたが300m程先の少し離れた場所でした。
(昔のことですからこの程度の違いはあっても不思議ではないと思います。)
それにしても当時のことを知る方とお会いできたこと。
正に記録より記憶を実感させられました。
(父がいたのは生まれて数年と戦後に復員した時の一時期だと思います。)
そしてその老婦は興味深い話を聞かせてくれたのです。
「確か関東の方で仕事をしていた同じ苗字の人が数年前に帰ってきて市街地の川沿い
の辺りにいるらしい。もしかしたらいろいろ知っているかもよと?」
同じ市とは言え何故そこまで情報が行き届いているのか?
なんか狐に摘まれたような話に半信半疑でまた10数㌔離れたその場所に赴き付近と思われる商店で尋ねたところ
またまた偶然にもそこのお客さんで来ていたご婦人が
「あ~その方なら数年前から何処何処に住んでいますよ。多分一軒しかないのでそこだと思いますよ」
(いゃ~苗字だけで特定される地域って、、これだけで重要な手掛かりになるとは、、)
お礼を言って早速その場所を探していると心配になったのか先ほどのご婦人が後を追って来て
家の前まで案内してくれたのです。
(なんて遠野の人は親切なんだろう感謝、感謝)
表札は確かに「武田」となっていました。
外が騒がしかったのか家から老人が出てきたので訪問の目的を伝えるべく父の名と息子であることを
伝えると声高に「本家が来た本家!!」と呆気にとられている私をよそに家の中に丁重に導き入れてくれました。
そうなのです。父のことを知っていたのですね。
そこからは偶然が重なりひょんな事から新たな親戚を発掘(会えた)した興奮と感激と相反し冷静な自分がいる
不思議な感覚ではありましたがお互いにここに至る道程などを語り合い初対面にもかかわらず話も弾み血の繋がりは時を超えるのだなぁ~と実感せずにはいられませんでした。
話によるとその方の家で父が遠野に復員してきた時に暫く一緒に住んでいたようです。
父が24歳の時でその方は10歳だったということです。
そこから父は東京に行くと言って遠野を後にしたということです。
すでに68年の長き歲月が流れて・・・
父の生誕の地。故郷遠野市土淵の近辺です。
心地よい外気とただの田園風景。。。
遠野土淵
カッパ淵。ここにカッパがいたらしい。
遠野市土淵伝承園曲がり家
日本の原風景がここにあるのだな。
やはり日本人は農耕民族だと改めて思う。何故か懐かしい。
初めて見たがこんな生活があったんだと。
けして物質的には豊かではないにしても人の心には豊かさと広い寛容さがあったのではと思う。
伝承園で購入したカッパの湯のみ
愛嬌あると思いませんか?思わず手に取り買ってしまいました。
しばらく間が開いてしまいましたがまだまだ東北の旅は続きます。m(_ _)m
(震災の影響で別の場所で仮庁舎として業務)に行く事でした。
遠野は亡父の故郷です。(話では幼少期に過ごしたということでした)
遠野は昨年、被災地を訪れる通過地だったのですが先祖様はどんな人と思い立ち
遠野市役所に行けばもしかして古い戸籍があるのではと釜石に行く途中で立ち寄ったのです。
しかし突発的に思い立ったことなので繋がりを証明する物(私の戸籍謄本等)
は当然ながら持ち合わせていず残念ながら戸籍を入手することはできませんでしたが
担当者の話の内容で戸籍があることの曖昧な確信?を持つことができたのです。
今年は必要書類を揃えて再度遠野市役所仮庁舎を訪れ思惑通りに父、祖父、曾祖父、高祖父の記載された戸籍を入手することが出来ました。
この地に父のそして先祖の軌跡が確実にあったのです。
私の興味はどんどん膨み
実際に住んでいた場所を見ようと戸籍に乗った古い住所を頼りにそこに行きました。
近辺を彷徨いていると「何か探しているの?」と80才~と思われる老婦が親切に話し掛けてきました。
そこで事情を話すと「え?武田さん??」突然のことだったのでしょう。
遠ぉ~い記憶をたぐり寄せるように「確かこの先の・・さんの住んでいる辺りにいたよ」と。
この辺りでは一軒しかなかった氏名だそうで教えられた場所は戸籍の住所とは違い
同じ通り沿いでしたが300m程先の少し離れた場所でした。
(昔のことですからこの程度の違いはあっても不思議ではないと思います。)
それにしても当時のことを知る方とお会いできたこと。
正に記録より記憶を実感させられました。
(父がいたのは生まれて数年と戦後に復員した時の一時期だと思います。)
そしてその老婦は興味深い話を聞かせてくれたのです。
「確か関東の方で仕事をしていた同じ苗字の人が数年前に帰ってきて市街地の川沿い
の辺りにいるらしい。もしかしたらいろいろ知っているかもよと?」
同じ市とは言え何故そこまで情報が行き届いているのか?
なんか狐に摘まれたような話に半信半疑でまた10数㌔離れたその場所に赴き付近と思われる商店で尋ねたところ
またまた偶然にもそこのお客さんで来ていたご婦人が
「あ~その方なら数年前から何処何処に住んでいますよ。多分一軒しかないのでそこだと思いますよ」
(いゃ~苗字だけで特定される地域って、、これだけで重要な手掛かりになるとは、、)
お礼を言って早速その場所を探していると心配になったのか先ほどのご婦人が後を追って来て
家の前まで案内してくれたのです。
(なんて遠野の人は親切なんだろう感謝、感謝)
表札は確かに「武田」となっていました。
外が騒がしかったのか家から老人が出てきたので訪問の目的を伝えるべく父の名と息子であることを
伝えると声高に「本家が来た本家!!」と呆気にとられている私をよそに家の中に丁重に導き入れてくれました。
そうなのです。父のことを知っていたのですね。
そこからは偶然が重なりひょんな事から新たな親戚を発掘(会えた)した興奮と感激と相反し冷静な自分がいる
不思議な感覚ではありましたがお互いにここに至る道程などを語り合い初対面にもかかわらず話も弾み血の繋がりは時を超えるのだなぁ~と実感せずにはいられませんでした。
話によるとその方の家で父が遠野に復員してきた時に暫く一緒に住んでいたようです。
父が24歳の時でその方は10歳だったということです。
そこから父は東京に行くと言って遠野を後にしたということです。
すでに68年の長き歲月が流れて・・・
父の生誕の地。故郷遠野市土淵の近辺です。
心地よい外気とただの田園風景。。。
遠野土淵
カッパ淵。ここにカッパがいたらしい。
遠野市土淵伝承園曲がり家
日本の原風景がここにあるのだな。
やはり日本人は農耕民族だと改めて思う。何故か懐かしい。
初めて見たがこんな生活があったんだと。
けして物質的には豊かではないにしても人の心には豊かさと広い寛容さがあったのではと思う。
伝承園で購入したカッパの湯のみ
愛嬌あると思いませんか?思わず手に取り買ってしまいました。
しばらく間が開いてしまいましたがまだまだ東北の旅は続きます。m(_ _)m