🎨 田舎の画家の呟き 🎨

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山小屋の事 その2

2023-04-28 12:55:43 | 山が好き

                             森の道  333 × 242 F4号

 

「山小屋の事」その2

50年前のしばらくの間八ヶ岳ばかり歩いていた時代がある。

北八、南八を一年中歩き回っておよそ3年で気が付いたら全ルートを制覇していたが、

それが目的ではなかったが日本地理院の五万図のルートをなぞった赤い鉛筆の蜘蛛の巣

には何故か微笑んでいた。

 

八ヶ岳初の山行は正月の赤岳で美濃戸口でバスを下され身支度を整えても辺りはまだ夜も明けない。

赤岳で元旦の日の出を祝う今回の山行も時々登場の山友の彼も八ヶ岳は初めてなので心なしか緊張の二人です。

ルートを北沢峠へと歩む美濃戸山荘までは約1時間この辺りの山荘は登山客へ無料でお茶や野沢菜を提供しているが

今現在はどうなのだろうか等と思い出し書いている。

赤岳鉱泉から更に北へルートを取り硫黄岳の頂上へと向かい今宵の宿硫黄岳山荘へと辿る。

この山行から硫黄岳山荘との付き合いが始まるとは夢想だにしていなかった。

 

 

硫黄岳にはその後何年もの間に渡って利用させてもらった。

小屋の方たちの親切さや振る舞いは静けさの中で自然に行われ不思議な空間を提供しくれた。

私が泊まると出来る限り許される限り1人部屋に案内してくれるので甘んじて受け入れてた。

又ある年の時は風呂で汗を流しませんかと進められあまりにも意表を突いた言葉に驚いてしまった程だ。

八ヶ岳の稜線は水が無いので各小屋は総じて天水を利用している。

登山者は麓で飲料水を確保しなければならないのが鉄則です。

風呂はドラム缶です、屋根掛けの下にドラム缶の湯が月の光を受け揺らいでいるそこへそっと身体を入れる

少し温めだが屋根の袂にランプが掛けてありそのランプの火影が柔らかく差す贅沢な光景である。

周囲は闇の世界、生きる者のちっぽけな命の榾火は温まり闇へと溶けて行く。

そこで感じ取る湯の滑らかさにフッと気が付く妙な滑らかさに濃さを感じる、そうですよね水は天からの貰い水

毎日替えることなど出来ないのだ小屋の方々が利用し貴重な水を足しながら湯を立てるのだからありがたく頂戴しよう。

この小屋へは数人で利用したりもした。その時も私ら3人は特別室へ案内され連れは呆気に囚われて顔ですねと言わる。

その晩の食事が終わり部屋に戻ると小屋の方が茶色の一升瓶を下げ入ってくるなり「どうぞ飲んで疲れを取ってください」

と、差し出したそれは地元で作られたウイスキーだと言う。

ラベルを見るとマリリンと明記されている「マリリンモンローか」このようなウイスキーが無造作に出される妙な小屋だす。

旨い酒に疲れが程よく溶けてゆく。 ありがたや、ありがたやー。

 

所で不思議なことにこの小屋の誰とも挨拶以外の言葉を交わした記憶が無いのであります。

そんな馬鹿なと思い起こし手無いです。

小屋の人達の顔すら覚えていない。

でも当時は、毎年のように年賀状が届きました。

恐縮の次第である。

 

次回も小屋の事 です。

では、失礼。

 


山の雑学アレコレ!

2023-04-12 13:06:26 | 山が好き

                                  伊那の春  41cm × 31.8 cm  F6号

 

今回は山の雑学のアレコレを、思いつくままに描きだしてみます。

 

1. 山小屋の事

〇白馬山荘

白馬山荘のその昔の姿は大雪渓から進むと一番手前の石を壁面にした小さな山小屋で

地上から見るとやけに低い建て方に見えるが中へ入れば普通の建築物です。

低く見えるのは半地下風に建造されているのだ、実に理にかなった建造だとつくづく思う。

外観の壁面が最小限で済むことによって様々なことが節約できるのだと思う。

この小屋へは2度程やっかいになったが以降は新たに建設された山荘へ案内された。

またまたその後は更に山のホテルのような館へ案内されて行く。

そんな風にして白馬山荘は豪華に大きくなったのである。

最後のホテル風山荘へ宿泊してから数十年たってしまったが廊下は赤の敷物がひかれ文字通りのホテルである。

特に申し立てて選んだことは一度もない案内に従ったに過ぎない。

半地下の山小屋は言葉は悪いが中世の牢屋に居る風情を感じた事を覚えている。

豪華なホテル風はヘリコプターで来て結婚式を挙げるカップルも居るという。

信じられない程の様変わりである。

〇鳳凰小屋

鳳凰小屋は、麓の御座石温泉の(確か細野氏と記憶している)経営で地蔵岳へ直接登る時は

御座石温泉からスタートする、この温泉に浸かった記憶がないには恐らく一度も入浴したことは無いと思う。

面白いことに登山道がこの温泉の土間を通っているので必ずや顔を出さずして登ることが出来ない。

残念ながら温泉の全体像が思い浮かばないのは早朝の山の中のためだろうか。

必ず聞かれることがある「今夜の泊りはどこじゃ」尾根筋には三軒の小屋があるのである。

「そうか、そこよりは鳳凰小屋がえぇだょ」と指名することが此処の義務のように念を押す。

登山道を夜叉人峠を起点に登り鳳凰小屋で一泊たまにはドンドコ沢を下り青木鉱泉に下山と計画も

鳳凰小屋では「ダメです。御座石温泉ですよ」と念を押されるのである。

自由の利かない珍しい山行を経験できます。

鳳凰小屋の親方は無口で威圧感をやたらに放出する方だが恐らくはお人好しを隠す為だろうと思っている。

ある年の鳳凰三山は既に秋めいていた、やはり今回も鳳凰小屋泊まりで下山は御座石温泉と言われどうりの

ルートで午後早めに着いた今夜の泊りを頼むと親方が草履バキで付いて来いと云う。

手には細い2m程の枝を持っている。

今しがた辿ってきた登山道を数メートル戻ると左の森に入ってゆく、森の中は薄暗く心持たない

気分を味わっていると親方は枝を太めの幹の下を叩き「ココ、ココ、取れ」と分け解らんが何かを取るんだ

と灌木を掻き分けるとそこには大量のキノコが群生していた。

 

名前はマツタケもどきと言うそうだ、なるほど松茸に見える。

香りはマツタケに及ばないが他はマツタケによく似ている。

大量のマツタケもどきをお土産に東京へと列車へ乗った。

 

小屋の親方は優しさを隠し持っている。

 

次回も山小屋を主に・・・・

 

 

 

 


野生動物は可愛くもあり恐怖も放つ

2023-03-23 14:22:28 | 山が好き

                                        蔵王山春姿 333 × 242 F4号

 

 

登山やハイキングをする人々は野生動物と遭遇することがあると思う。

私も長い登山経験の中で野生動物との遭遇は数知れない程の経験を持つ。
印象深い動物を上げるとしたら子供の狐ですね。3匹の子狐が巣穴の側で戯れあっている
姿は未だ鮮明に記憶しているしとても微笑ましく眺めていた自分を覚えている。

次はオコジョです。冬毛の白毛を残して愛嬌タップリの姿を岩の隙間から顔を
覗かせ周囲を見回す姿の可愛さと言ったらハートキュンです。

カモシカ、雷鳥、等は比較的会える野生動物ですね。穴熊、いたちは運しだい。
熊はいかんです。遭ってはいけない動物です。

山中で4回遭遇してしまいました。
いやです。とても嫌でした。

その中の1回での出来事はバスを夜叉人峠で降りバスを見送ってから登支度を整え登山口へと
歩き出したその足元には大きな熊の足跡が点々と続いていた。
毎度の岳友と思わず顔を見渡すその顔には恐怖心と何で?と言う曖昧な表情の互いの顔はあったと思う。

最も怖かった恐怖は足元を熊が通り過ぎて行った時です。
南アルプス白根三山縦走1泊2日のその山行も毎度の岳友と二人で夏山縦走。

広河原から大樺沢を詰めそして左俣コースで更に八本歯のコルを経て稜線の縦走路へ出た
縦走路の細い登山道の路肩に腰掛け一本取り(山言葉で小休止を意味する)行動食を取るうちに
ウトウトと船を漕ぐ私の様子を見降ろす岳友は「10分位寝てていいよ。先に北岳の頂上でコーヒー
を淹れて待ってるから」と言いつつ山頂へと向かって行く。
お言葉に甘えウトウトの続きへと入って行く私であるが、北岳山荘の方から荒く乱れた生き使い
が聞こえて来る「ありゃー相当に重いザックを担いでるんだなぁ」などと勝手に考えている内に
その主は確実に縦走路の緩いカーブを越え姿を見せるだろうと私は寝たふりをして待ち伏せをする。

「さぁさぁ。来るぞ来るぞ」と妙に浮かれる自分がはしたなく思う。
だが、その人は寝たふりの私の足元5m程に近づくと息を殺したのか息遣いがピタッと止まった。
「恥ずかしがり屋なのかな、それとも見栄ッパリかな」とまたまた勝手に考えている内にその人は遂に
私の足元を過ぎようとする気配を感じたのでせめても後ろ姿でも拝もうと薄目を開けた瞬間に腰を抜かす
程に仰天した。「クマだ 熊だ くまダ」と頭の中で大きな声でわめいていた。

その後熊は足早に縦走路を山頂へと駆け上って行った。
頂上には岳友が居るあぁぁ運命や如何に!とザックを担ぎ足早に熊の後を追う形になってしまった。

岳友は手を振りながら「早かったね」と何も知らないような素振りであった。

オコジョ ネコ目イタチ科  冬毛(白) 夏毛(茶)  

可愛いが見た目と違い気性は荒く肉食で雷鳥や野兎、野ネズミなどを捕食する。

では、また・・・・


今生きてる時代、そして次の時代?

2023-02-24 20:11:09 | 山が好き

                                                                                                             作品名 北信濃の集落  F4 号 333 × 242 cm  

 

最近は齢のせいか老いと言う事を如実に感じます。

夢中でカンバスへ向かい絵を制作する日常の中で知らずに絵具をたっぷり付けた筆が何故かポトッと床に

落ちてしまいます。

又は、絵具をパレットに出す過程でその絵具のチューブを床へ落としてしまう。

筆を口にくわえ次の筆を手に取ると同時に口にくわえた筆をポロリと話してしまう。

そんなことが多いい今日この頃です。

2.3年前までは決してなかった行動が目立つようになった、あぁぁこれが老いと言う事なんだと甘んじて

受け止めてしまう自分にも驚いてしまいす。

 

で、自分の意志でこの世に生を受けたわけではないが今日まで画業を生業として日々を生きていることに両親への

感謝は余り余る程の感謝しかありません。

「改めてお父さん、お母さん生んでくれてありがとう。」なんか式場の挨拶ぽくなりました。

当然両親は既に現世にはいませんが心より感謝を述べましす。

 

さて、自分の終焉は自分で決めても良いのではないかと思う次第です。

恰好よくスマートにそして出来るならセクシーに決めて次の時代へ旅立ちたいと考えます。

非常に難しいなぁと心の何処かはそう思っていますが攻めてスマートに生を閉じることが出来れば

と真剣に考える次第です。

 

少年の頃は年に幾度か幽体離脱を経験しているんです。真面目は話ですよ。

だからと言うかディジャブも経験しています。

霊感の強い少年でした。

不思議な体験は数知れず体験しています。

 

随分昔に奥秩父を一人で1泊2日で縦走して埼玉と長野の県境へ下山した時に霊の井戸端会議(らしい)に者に遭遇しました。

あッ! だんだん話が流れている、でも何とか結び付けるように頑張ります。

それは初秋の季節、本来ならば午後の3時に小さな村へ降り最終の3時過ぎのバスで茅野へ出る予定が途中で道に

迷い無駄な時間を割いてしまい何とか目的のバス停へ辿り着いたが既に最終バスは出た後でした。

幸い山深い里のバス停には小屋があり木製の長椅子は寝るのに都合も良くガラス戸の建具があるので心配もなく

残りの食料で一晩はやり過ごそうと心に決める。

初秋といえども山間は日の落ちるのも早く明るいうちに夕食を済ませ寝袋など整え疲れもあるので早々に潜り込む。

 

何か人声で騒がしいく目が覚め時計を見ると23時を少し過ぎていた、そういえば人の話し声で目を覚ましたことに

気づき外を覗くと右手山の手の方向10m程先で5.6人の人が路上で輪になって何かについて話し合いをしているのが見える。

村の会合で盛り上がりここまでたどり着いたのだと思い寝袋へ戻った。

だが一度目を覚ましたらなかなか寝付かれないのが自分の悪い癖、静かにして貰おうと小屋を出て歩き出したが近づく程に

その人影は次第に薄くなり最後は消えてしまった。 消えた? 嘘?なぜ?

下山の疲れが何かを勘違いしているのかと納得し寝に着く。

ウトウトと寝の階段を降り始めるとまた人声が邪魔をする。 フー。

何なんだと思いながらガラスの引き戸を開け声の方向を覗くとやはり村の人々は確かに円陣を作り何か語っている。

だが、待てよ、何か変だ、何かが変。

皆が皆背格好が一律で手足まで同じよで滑稽でもあることに気付いた。

更に一番大事なことは彼らはみな乳白色なのである。

 

西丸震哉氏の戦後直後の尾瀬の登山記に確か出てくる霊魂の話がある。

※西丸震哉氏は1923関東大震災直後に生まれ登山家、小説家、農林水産省等多く戦後の為に尽くされた方

確か戦地から戻り尾瀬の景鶴山の麓で一人天幕で一夜を過ごす下りに似たようなことが書いてある事を思いだ出した。

西丸氏はイラストも上手なのでその霊魂をチャンと著書にカットで残していたのを思い出し余りのそっくりなので驚いた。

 

好奇心が先立ち怖さなど一ミリも感じずまたもやその未確認へと歩を進めるが乳白色の人々はやはり影のように

消え去っていった。

 

やはり話は横へ流れたままでした。

次回はきちんとタイトルどうりのテーマを完成します。

お付き合いいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 


あの頃の登山靴とこの頃

2023-01-21 06:12:47 | 山が好き

                                                                                                             只見川第一橋梁 F4 号 333cm × 242 cm

奥会津只見川に架かる只見線の第一橋梁 大沼郡三島町道の駅 " 尾瀬街道みしま宿 " 近くのビューポイントより望む

 

命の次より大事に思っていた登山靴を考える。

オーバーなタイトルで書き出したが果たしてそれほどの違いがあるのだろうか心配しながら

書き出してみようと思います。

日本登山黎明期の昭和の登山靴の99%は革製でした他の1%は何かと言うと

キャラバン社が発売していた軽登山靴があったからです。(おそらく初心者用またはハイキング用)

この靴と特徴は化繊性のボディで作られ色は濃紺色と赤色の二色があった。

大きな特徴は靴底ソールに鉄板の歯が靴踏まづ辺り付けられていた。

中学生の頃の私はキャラバン社のこの靴を親から買ってもらい擦り切れるまでお世話になった。

キチンと登山靴の役目はしてくれたんだと思うが欠点は防水性が全く無かった。

※ 現代のキャラバン社製登山靴は,種類デザイン性能ともに優れている。

とにかく、このキャラバン社の靴で登山の第一歩を歩み出した。

現在の登山靴の殆どは新素材で軽量で名前もトレッキングシューズとか大きな進歩?をしていると思う。

今の私はこのシューズを履いているが心もとない感も多少感じてるのは私だけであろうか。

良いと感心したことに 靴のボディにGore Tex の生地を使用していることだが底ソールにビブラムソールを

使用してほしい。 なぜかと言うとビブラムはジェット機のタイヤ素材で摩擦力に優れた力を持っている

事が登山では岩場などでの信頼性は著しいものが有る。

当然私の登山靴はビブラムソールを張ってあります。

おまけにもう一つ普段のタウンで履くのは黒のチロリアンシューズで30年以上履いています。

 

愛を込めた登山靴の手入れ

革製登山靴の手入れは山行後には必ず行うことが大切だ。「今回の山行が無事にできたのは君のおかげだよ」と

靴紐を取り除き靴底のビブラムソールの凹みへ挟まった今回の山行のルートの何処かの小石であろうその小石を

ドライバーを使い取り去る時の少しの寂しさを我慢して行う。

次はバケツに注いだ水を束子(たわし)につけルートの何処かで付けた山の土を綺麗に落とす。(心でありがとうと呟く)

外側全体を束子で磨くような感じで汚れを落としたらタオルで拭き新聞紙を丸めて靴奥の爪先側から全体に形よく丸めた新聞紙を詰め、終えたら靴紐を丁寧に形を整えながら絞めしっかりと結い風通しの良い日陰で一日程陰干しをします。

その後登山靴はその状態のままボディの革肌にミンクオイルを指先でしっかりと塗りつけ防水性を高めることと適度の柔軟性を革に持たせること。

以上が革製登山靴の手入れですが最近のいわゆるトレッキングシューズではこのように手間をかける事は無いので登山道具への愛着が形成されずらいように思う。

 

次回までさよなら