最近は主人の実家の宗教浄土真宗のお寺に参らせていただくようになった。
それまでは仏壇は置物同前。盆と祥月命日にお坊さんにお参り頂くだけ。
最近は月1回の法要に支障のない限りでさせていただくが飛び飛び。
先日佐々木大観布教使のお話を聴かせていただいてアレアレ間違ってる。
「死んだらどこへ行く何処へ行きたいか?」の投げかけから
始まり約2時間、全員をそらさず笑わせ心に響く説法だった。
まずご飯を備える時にリンを鳴らす。
リンはこれからお経をあげさせていただきますよって合図?
これはクリィヤしている。
念仏を唱える時は目を閉じない。これはできていない。
お願いはしない。お釈迦様は救ってくださる。
朝は「今日も1日子供たちをお守りください。」
夜は「今日も1日無事過ごさせて頂きありがとうございます。」
の口先だけの感謝で終わる。これも半分NGとなる。
自分たちの生活と照らし合わせお話しくださるのでわかりやすかった。
不平不満を持ち感謝の少ない私には耳の痛い面も多々あり。
修業をしなくても常に念仏を唱えることで側に寄り添いお守り頂ける
ことを信じて残り少ない寿命をまっとうして逝こう。
そう思わせて頂けた日でした。
今日は町内会のモーニング。おしゃべりをしたがらおいしい朝食を頂きてきた。
卓上のお花、大好きなシュウメイギクとホトトギスを頂いて帰る。
ご仏壇お祭りしてても毎日のこと
感謝が出来てない様に思いますよ
町内でお喋りしながら楽しい
お食事をされて良かったですね
本当に不平不満はすぐに出てくるのに感謝はなかなかできません・・・・。