2016年9月22日(木)
JR九州ウォーキング福間駅コースに菖蒲の季節以外に参加するのは初めての事だと思う。
(今日のマップ)
博多駅ホームへの階段を上る途中で快速列車のドアが閉まり、次の普通列車で福間駅へ。
(福間駅)
ぎょうざの山八のところでお弁当を買って、道沿いで草花を撮りながら歩く。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
宮地嶽神社の参道で熊本から参加されているご夫妻にお会いして、挨拶。熊本地震後、偶然に市内の道でお会いしてお互いの地震の報告は終わっている。
81段の石段を小さい子が手をつきながら上っている。ガンバレ頑張れ。小さい子は階段を上るのが好きだ。何故なんだろうといつも思う。写真は撮ったけど無し。
階段を上りきったところで振り向くと、真っ直ぐな道が海まで続いている。ボランティアの方が、その道を夕日が照らす写真を見せてアピールしていた。10月14日、JR九州ウォーキングで『「感動・絶景」宮地嶽参道の光の道を歩きませんか?』という福間駅コースが設定されているが、多くの人がカメラやスマホを持って参加するだろうから階段の上でいいポジションがとれるだろうか・・・。
(階段の上から)
(宮地嶽神社)
(宮地嶽神社)
(宮地嶽神社)
参拝した後、いつもは菖蒲苑へ向かうけど、今日は奥の宮八社めぐりをすることに。奥の宮八社をひとつひとつまわれば、大願が叶うといわれている。何を願おうか?
一番社・七福神社は、福を運ぶ七福神。
神功皇后が渡韓の折、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希くば開運を垂れ給え」と祈願され船出した、といわれており、その後、神功皇后の功績をたたえ主祭神とし、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神」としてお祀りしてある。それから、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになった。
(一番社・七福神社)
(七福神も)
二番社・稲荷神社は、食物とお米の方策を守る神様。
稲荷とは”稲が成る”と書き稲=食物を守る神様といわれている。
(二番社・稲荷神社)
三番社・不動神社は「災いや厄を除く神社」
横穴式石室古墳の中に霊験あらたかなる「お不動様」をお祀りしてある。
(三番社・不動神社)
四番社・万地蔵尊は「子供達の守り神」
万地蔵さまと呼ばれ、子供の願い事は何でも(万・ヨロズ)聞いていただける。
(四番社・万地蔵尊)
五番社・恋の宮は「女性の心身内外をお守りする神様」
女性の体をお守りする・あわしま様と、心をお守りする・ぬれがみ様と、共に女性の心身内外をお守りする神様で「恋の宮」と呼ばれている。
(五番社・恋の宮)
(恋の宮神社横に)
六番社・三宝荒神は「かまど、火除けの神様」
荒々しい火の神様で、火をコントロールする霊力があります。「三宝」とは人々の生活の根幹を成す水・食物を生育させる土・調理する火の、水土火とも言われている。
(六番社・三宝荒神)
七番社・水神社は「水がコンコンと湧き続ける龍神様」
宮地嶽周辺には大河がなく、それは神の恵み”雨”が地下水となり、地下に大きな埋蔵水として流れている。
(七番社・水神社)
八番社・薬師神社は「あらゆる病難から救う神様」
修験者が宮地嶽の山中にて修行を行う際に、病気や怪我が無いようにとお薬師さまをおまつりしたのが始まりとされている。
(八番社・薬師神社)
八社巡りは、八の字に回ればいいようになっている。それは後から気付いた事で、できれば数箇所に案内板があればよかったと思う。八番社を出て、一番社へ向かうところに出た時、どちらへ行こうか迷っている方もいて「向こうからですよ。」と教えた。
八社めぐりを終えて、上ってきた階段を下り参道に。よもぎの「松ヶ枝餅」を食べながら参道から一般道へ出て、津屋崎千軒へと向かう。
(松ヶ枝餅)
(道沿いで)
(道沿いで。海岸近くなので防災放送は欠かせない。)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
福岡黒田藩は津屋崎を交易港として発展させ、江戸時代から昭和初期ころまでは大規模な塩田による塩づくりも営まれ、大いに栄え、家がひしめいた。それで津屋崎千軒とよばれるようになった。
「筑前津屋崎人形巧房」でモマ笛。
モマはフクロウの事。宮地嶽では、山中で道に迷った正直者がモマの鳴き声に誘われ、ついて行くと「金の玉」を授かったとの言い伝えから、正直に正しく生きれば福(金の玉)が授かるとの事でモマが珍重されてきた。
(筑前津屋崎人形巧房)
「上田製菓」は昔ながらのお饅頭が殆ど1個60円で売ってある。また、江戸時代からの落雁の型などを展示してある。店の奥には、使っていた民具も並べられていた。
(上田製菓)
(上田製菓)
(上田製菓)
「お饅頭」を一個だけ買って、福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」に寄って、お茶をいただき、お饅頭を食べる。
(上田製菓のお饅頭)
なごみには熊本地震の募金箱が置いてある。皆さんありがとうございます。
(熊本地震の募金箱)
外では、町おこしのボランティアの人たちと思うが、「焼き芋」を売られていたので買ってリュックに入れる。
(焼き芋1個100円)
明治7年創業の「豊村酒造」で、お酒の試飲。原酒300mlを買う。リュックにはお弁当、焼き芋などが入っていて、720mlは重くなる。
(豊村酒造)
(豊村酒造)
「うにの専門上田清商店」には迷いながらも入った。「つやざきのわかめ」も売ってあったので買った。
(うにの専門上田清商店)
(うにの専門上田清商店)
波折神社は7月に津屋崎祇園山笠が催され、津屋崎千軒の町並みを駆けめぐる。縁起に書かれている文がいい。事実はどうあれ、心打つものがある。
(波折神社)
(波折神社)
津屋崎千軒の町並みを通り過ぎると、港に出る。
(津屋崎橋より)
海岸沿いを歩く。
2005年、福間町と津屋崎町が合併し福津市となった。それでであろうが「ふくつの海岸通り」と名づけられている。「津屋崎海岸どおり」でないのに違和感がある。
(津屋崎の海岸)
(津屋崎の海岸)
(津屋崎の海岸。ふくつの海岸の呼称には違和感がある)
福津市福祉会館「潮湯の里夕陽館」に着く。ここのベランダで海を見ながら弁当を食べるのがこのコースの楽しみになっている。途中で買った弁当と焼き芋。梅ヶ枝餅やお饅頭を食べてきたので、お腹いっぱいになる。心地よさもいっぱい。
(夕陽館のベランダより)
(夕陽館のベランダより)
(夕陽館のベランダでお昼)
お風呂にも入って出発。少しだけど砂浜を歩く。
(砂浜を歩く)
鎖国の江戸時代も朝鮮半島の人々との交流は続いた。黒田藩は、津屋崎海岸の沖合に見える相島に、朝鮮王国から幕府に挨拶に来る朝鮮通信使のために接待所を設け、津屋崎の人たちも相島を舞台に交流を持ち、朝鮮半島の文化を吸収していく。
(右側の平べったりした島が相島)
宮地浜の交差点から左に曲がるのがコースだが、右に曲がり宮地浜へ。
(保安林)
(宮地浜より)
引きかえし、宮地嶽神社階段上から見た、宮地浜から神社への真っ直ぐの道を歩く。宮地嶽神社の参道の所までは戻らず、途中から右に曲がって、朝方宮地嶽神社へ向かった道へ出る。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで。博多弁)
ふたたび、「ぎようざの山八」。お店の前で食べることも出来たが、「焼き餃子」を買って帰ることにした。家でビールとともにゆっくり食べよう。
(ぎようざの山八)
福間駅にゴールし、久留米行普通列車に慌ただしく乗る。
(福間駅)
福間駅は「快速」も止まるが、博多駅から来るときも、帰るときも「普通」列車になった。ビールは家までお預けにして、今日のウォーキングを終える。
JR九州ウォーキング福間駅コースに菖蒲の季節以外に参加するのは初めての事だと思う。
(今日のマップ)
博多駅ホームへの階段を上る途中で快速列車のドアが閉まり、次の普通列車で福間駅へ。
(福間駅)
ぎょうざの山八のところでお弁当を買って、道沿いで草花を撮りながら歩く。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
宮地嶽神社の参道で熊本から参加されているご夫妻にお会いして、挨拶。熊本地震後、偶然に市内の道でお会いしてお互いの地震の報告は終わっている。
81段の石段を小さい子が手をつきながら上っている。ガンバレ頑張れ。小さい子は階段を上るのが好きだ。何故なんだろうといつも思う。写真は撮ったけど無し。
階段を上りきったところで振り向くと、真っ直ぐな道が海まで続いている。ボランティアの方が、その道を夕日が照らす写真を見せてアピールしていた。10月14日、JR九州ウォーキングで『「感動・絶景」宮地嶽参道の光の道を歩きませんか?』という福間駅コースが設定されているが、多くの人がカメラやスマホを持って参加するだろうから階段の上でいいポジションがとれるだろうか・・・。
(階段の上から)
(宮地嶽神社)
(宮地嶽神社)
(宮地嶽神社)
参拝した後、いつもは菖蒲苑へ向かうけど、今日は奥の宮八社めぐりをすることに。奥の宮八社をひとつひとつまわれば、大願が叶うといわれている。何を願おうか?
一番社・七福神社は、福を運ぶ七福神。
神功皇后が渡韓の折、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希くば開運を垂れ給え」と祈願され船出した、といわれており、その後、神功皇后の功績をたたえ主祭神とし、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神」としてお祀りしてある。それから、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになった。
(一番社・七福神社)
(七福神も)
二番社・稲荷神社は、食物とお米の方策を守る神様。
稲荷とは”稲が成る”と書き稲=食物を守る神様といわれている。
(二番社・稲荷神社)
三番社・不動神社は「災いや厄を除く神社」
横穴式石室古墳の中に霊験あらたかなる「お不動様」をお祀りしてある。
(三番社・不動神社)
四番社・万地蔵尊は「子供達の守り神」
万地蔵さまと呼ばれ、子供の願い事は何でも(万・ヨロズ)聞いていただける。
(四番社・万地蔵尊)
五番社・恋の宮は「女性の心身内外をお守りする神様」
女性の体をお守りする・あわしま様と、心をお守りする・ぬれがみ様と、共に女性の心身内外をお守りする神様で「恋の宮」と呼ばれている。
(五番社・恋の宮)
(恋の宮神社横に)
六番社・三宝荒神は「かまど、火除けの神様」
荒々しい火の神様で、火をコントロールする霊力があります。「三宝」とは人々の生活の根幹を成す水・食物を生育させる土・調理する火の、水土火とも言われている。
(六番社・三宝荒神)
七番社・水神社は「水がコンコンと湧き続ける龍神様」
宮地嶽周辺には大河がなく、それは神の恵み”雨”が地下水となり、地下に大きな埋蔵水として流れている。
(七番社・水神社)
八番社・薬師神社は「あらゆる病難から救う神様」
修験者が宮地嶽の山中にて修行を行う際に、病気や怪我が無いようにとお薬師さまをおまつりしたのが始まりとされている。
(八番社・薬師神社)
八社巡りは、八の字に回ればいいようになっている。それは後から気付いた事で、できれば数箇所に案内板があればよかったと思う。八番社を出て、一番社へ向かうところに出た時、どちらへ行こうか迷っている方もいて「向こうからですよ。」と教えた。
八社めぐりを終えて、上ってきた階段を下り参道に。よもぎの「松ヶ枝餅」を食べながら参道から一般道へ出て、津屋崎千軒へと向かう。
(松ヶ枝餅)
(道沿いで)
(道沿いで。海岸近くなので防災放送は欠かせない。)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
福岡黒田藩は津屋崎を交易港として発展させ、江戸時代から昭和初期ころまでは大規模な塩田による塩づくりも営まれ、大いに栄え、家がひしめいた。それで津屋崎千軒とよばれるようになった。
「筑前津屋崎人形巧房」でモマ笛。
モマはフクロウの事。宮地嶽では、山中で道に迷った正直者がモマの鳴き声に誘われ、ついて行くと「金の玉」を授かったとの言い伝えから、正直に正しく生きれば福(金の玉)が授かるとの事でモマが珍重されてきた。
(筑前津屋崎人形巧房)
「上田製菓」は昔ながらのお饅頭が殆ど1個60円で売ってある。また、江戸時代からの落雁の型などを展示してある。店の奥には、使っていた民具も並べられていた。
(上田製菓)
(上田製菓)
(上田製菓)
「お饅頭」を一個だけ買って、福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」に寄って、お茶をいただき、お饅頭を食べる。
(上田製菓のお饅頭)
なごみには熊本地震の募金箱が置いてある。皆さんありがとうございます。
(熊本地震の募金箱)
外では、町おこしのボランティアの人たちと思うが、「焼き芋」を売られていたので買ってリュックに入れる。
(焼き芋1個100円)
明治7年創業の「豊村酒造」で、お酒の試飲。原酒300mlを買う。リュックにはお弁当、焼き芋などが入っていて、720mlは重くなる。
(豊村酒造)
(豊村酒造)
「うにの専門上田清商店」には迷いながらも入った。「つやざきのわかめ」も売ってあったので買った。
(うにの専門上田清商店)
(うにの専門上田清商店)
波折神社は7月に津屋崎祇園山笠が催され、津屋崎千軒の町並みを駆けめぐる。縁起に書かれている文がいい。事実はどうあれ、心打つものがある。
(波折神社)
(波折神社)
津屋崎千軒の町並みを通り過ぎると、港に出る。
(津屋崎橋より)
海岸沿いを歩く。
2005年、福間町と津屋崎町が合併し福津市となった。それでであろうが「ふくつの海岸通り」と名づけられている。「津屋崎海岸どおり」でないのに違和感がある。
(津屋崎の海岸)
(津屋崎の海岸)
(津屋崎の海岸。ふくつの海岸の呼称には違和感がある)
福津市福祉会館「潮湯の里夕陽館」に着く。ここのベランダで海を見ながら弁当を食べるのがこのコースの楽しみになっている。途中で買った弁当と焼き芋。梅ヶ枝餅やお饅頭を食べてきたので、お腹いっぱいになる。心地よさもいっぱい。
(夕陽館のベランダより)
(夕陽館のベランダより)
(夕陽館のベランダでお昼)
お風呂にも入って出発。少しだけど砂浜を歩く。
(砂浜を歩く)
鎖国の江戸時代も朝鮮半島の人々との交流は続いた。黒田藩は、津屋崎海岸の沖合に見える相島に、朝鮮王国から幕府に挨拶に来る朝鮮通信使のために接待所を設け、津屋崎の人たちも相島を舞台に交流を持ち、朝鮮半島の文化を吸収していく。
(右側の平べったりした島が相島)
宮地浜の交差点から左に曲がるのがコースだが、右に曲がり宮地浜へ。
(保安林)
(宮地浜より)
引きかえし、宮地嶽神社階段上から見た、宮地浜から神社への真っ直ぐの道を歩く。宮地嶽神社の参道の所までは戻らず、途中から右に曲がって、朝方宮地嶽神社へ向かった道へ出る。
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで)
(道沿いで。博多弁)
ふたたび、「ぎようざの山八」。お店の前で食べることも出来たが、「焼き餃子」を買って帰ることにした。家でビールとともにゆっくり食べよう。
(ぎようざの山八)
福間駅にゴールし、久留米行普通列車に慌ただしく乗る。
(福間駅)
福間駅は「快速」も止まるが、博多駅から来るときも、帰るときも「普通」列車になった。ビールは家までお預けにして、今日のウォーキングを終える。