今日、図書館で借りてきた『不滅の哲学 池田晶子』を読んだ。
はじめに、
死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではなくて言葉である。宗教でもなくて、言葉である ー
という池田晶子の書いた言葉の引用があるのだが、なかなかハッとさせらえる文章である。
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自分は小説を書いたり、日々何かしらの文章を書いているが、そのため、言葉というのには人並み以上には敏感かもしれない。
しかしこの言葉というのはいまだよくわからない。
「はじめに言葉ありき」
という聖書の言葉あるが、ここまで大袈裟でなくても、やはり、ロゴスのような原初的な何かが、言葉にはあるような気がする。
イスラーム研究者としても著名な井筒俊彦は、「存在はコトバである」という一節を残しているらしいが、言葉は単に僕が発したり、書いたり、そういう類のものではなく、ましてやコミュニケーションの機能としてのみ働くものでは毛頭ない。そうではなくて、もっと人間の内在的な存在を決定づけるような何かなのだろうか、と私はちょっと思ったりする。
僕はできるだけ、文章を書くときは、自分の言葉で語りたい、そう無意識に言い聞かせているような気がする。心掛けている、というのでもないが、やはりできるだけ自分の内側から発せられる言葉を書いていきたいと思うし、それは何か物を書く端くれとしての特権であろうか、とも思う。
池田晶子さん、ちょっとこれからも気になる哲学者である。もう少し読まないとな。
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