夕方、古本屋に行き本を10冊ほど買ってきた。
その中で、高祖保という人物を知った。自身も『雪』という題の詩を出しており、雪の詩人と言われているらしい。
綺麗で凝った装丁だったので気になって読んでみたが、見事な文章で一瞬で惹きつけられた。
その中の「雪の朝」という随筆の中で、故郷の雪の景色について書いている箇所がある。
”汪洋と波あげる大湖を背負って燦然と眩しくひかる、明るい雪国の、……幅広な雪なのだ。”
おそらく、高祖氏は彦根で過ごした雪の日のことを回想しているのだろうと思われる。
ここで言われる雪の景色は僕は見覚えがない。明るい雪国、という表現がまるで異郷のような不思議な感覚を僕に覚えさせる。僕の生まれ育った場所は暗く険しい北陸の、雪である。それは、子供らにとってはある死の予感を子供ながらに感じさせたし、大人になれば、風趣を感じるよりもまず、明日の労働のために片付けねばならぬ労働の証でもあった。
死を感じさせる雪国もあれば、生の溌剌とした雪国もあるのだろうか。
僕はそのどちらにも雪の持つ神秘性を感じる。
今僕は、京都にいて、滋賀にも何度か行ったことがあるが、こうした雪の風景をまだみたことがないので、いつか体験してみようと思う。