多摩爺の「時のつれづれ(弥生の15)」
聖火リレーはなんのため?
3月25日、穏やかな春光を浴び、
1年遅れで「東京2020」の開催を告げる聖火リレーが始まった。
「復興五倫」を掲げた今大会、10年前に起こった東日本大震災によって、
多くの方々の尊い生命が奪われ、さらには原子力発電所が被災したことで、
多くの方々が長年住み続けた町を追われてしまった、福島の地から始まったことに、
深い感慨を持って・・・ テレビ中継を見ていた。
聖火リレーは、7月23日の五輪開会式までの121日間かけて、
約1万人のランナーたちが47都道府県を走る長丁場だ。
国際オリンピック委員会(IOC)の規定は、100日以内と定められているが、
今回は特例で認められたのだろう。
コロナ禍のなかというか、第3波が治まり切れないなか、今月21日には緊急事態宣言が解除され、
リバウンドが心配されてるところで、「東京2020」の開催についてアンケートを取れば、
開催の支持は約3割前後だろうし、6~7割強の方が中止や延期すべきとの結果がでるだろう。
質問にもよるんだろうが「開催、延期、中止、その他」のなかから選べとなると、
アンケートを取らなくても、結果は見えていると思うが、
専門家の方々によれば、延期という選択肢はなく、
頑張って開催するか、それとも中止するかの二択だという。
残念なのは・・・ 厳しいとは思うが、なんとかして開催したいので、
いまは頑張って、コロナ対策を取りたいといった声が、
どこにあるのか見えなく、アンケート結果に埋もれてしまっていることだろう。
「東京2020」まで・・・ あと4カ月
みんなが自制(自粛ではない)し、感染につながるような危うい行動を避けたら、
その間にワクチン接種はかなり進み、感染は落ち着いていると思われるが、
頑張って「東京2020」を成功させようといった取り組みや、具体的な行動は見えてこないし、
メディアやネットから、そういったアナウンスも・・・ 聞こえてこない。
「東京2020」が始まれば、観戦者数が制限されていることから、
必然的にテレビ観戦が中心となり、メディアは無理してドラマロケを敢行し、
番組作りに汗を掻くこともなく、再放送で穴埋め放送する必要もなく、
拍手喝采で盛り上がる、スポーツのライブ放送で、視聴率が稼げるというのに、
商業五輪を批判する声が上がるなかでも、この国のメディアは楽して儲けるつもりもないようだ。
聖火リレーのセレモニーを、ニュースやワイドショーを見ていて、
いろんな方々の挨拶があったなか、ある若手女優のコメントが・・・ 心に刺さった。
「聖火リレーに対する意見や考えは、さまざまでいい。」
「私は、決断や判断は間違っていないと思います。」
「ただ、目標があるということは、生きる希望になる。」
「ランナーの方々だけではなく、前向きに生命力を高めて、生き抜いてほしい。」
まさに、まさに・・・ そのとおりだと思う。
さまざまな意見はあってもいい。
いま、コロナ禍にあえぐなか、人々が今年にかける希望は、いったいなんだろうか?
「前向きに、生命力を高めて生き抜く。」
それこそが、復興五倫と銘打った「東京2020」をやらねばならない、
「なんのため?」なんだと思う。
たしかに、新型コロナウイルスの感染拡大は・・・ 心配で心配で堪らない。
そちらの対策に、もっとお金を使えという意見は間違ってないし、それはそれで尤もだとも思う。
だが、根本的な対策は・・・ お金だけではない。
人の心に巣食う油断と、安易な妥協という所為へ、自覚を促すことに他ないと・・・ 私は思う。
よって・・・ 政府や自治体の対策に、責任がないとまでは言わないが、
やるべきことは、国民一人ひとりの胸の内にあるのではなかろうか?
自らの行動を自制(自粛ではない)し、自分の位置を家族や他人の下に置くことができれば、
実行再生産数は下がり・・・ 感染拡大は治まる。
楽観的過ぎると、お叱りを受けるかもしれないが、あと3カ月だけ、その自制をすることができれば、
ワクチンの接種が進み、感染は飛躍的に落ち着くと思うが、間違っているだろうか?
いまさらだが・・・ スポーツには、人々を元気にする魔法の力がある。
その魔法の力が、生命力を高めてくれると思うがどうだろう?
「東京2020」の開催にあたって、いまなお賛否があることは承知している。
正直言って「リバウンドが、第3波のような事態になったら無理だろう。」との思いが
ないわけでもない。
だが・・・ 開催に向けて、開催を信じて、
この日この時も、裏方さんたちが手抜きすることなく、掻いてくれている無償の汗も、
生きる希望だと思うし、報われてほしいと思うから、
最後の最後まで開催を諦めることなく、万全の準備に努めてほしいし・・・ 応援したい。
そこまで頑張って・・・ 尚且つ、事態の好転が見込めなかった場合、
中止の判断をせざる得ない状況から、抜け出せなかったのなら、
中止することが、結論であっても良いんじゃなかろうか?
年寄りの浪花節であり、諦めが悪い戯言(たわごと)と云われるかもしれないが、
ギリギリまで・・・ 希望は捨てたくないのだ。
さまざまな思いや、意見があるなか、
「聖火リレー」はなんのため、「東京2020」はなんのためと・・・ 問われれば、
私は応援したいから、きっとこう言うだろう。
プレーの一つひとつに浮かれ、拍手喝采と美酒に酔いしれたいとの思いもあるが、
コロナ禍においても・・・ 前向きに生命力を高めながら生き抜いていく、希望の糧の一つであり、
こんな時だからこそ、思いっきり笑いたいんだ・・・ と、応えるだろう。
メディアやネットは、批判と非難が大半を占め、街頭インタビューに応える人は愚痴ばっかり、
気持ちは分からんでもないが、この国が二分され、笑うことを忘れたら面白くないから、
私は「東京2020」を楽しみにしたいし・・・ 応援したい。
人の思いは様々だから、好き嫌いはあっていい。
そこには、個々人が持つ主義主張の違いもあるだろう。
とはいえ、「東京2020」しかり、コロナ対策しかり、
協調することなく、批判や非難を繰り返すことが、
いかにも正しいことだと云うような、昨今の風潮を・・・ 私は好まない。
自分ができること、しなきゃいけないこと、それはなんだと見つけ、なんのためだと問いかけ、
悲観的することなく自制し、楽しく笑える日が来るのを待ちたい。
メディアやネットでは、いまだに一部の人が儲ける「東京2020」だと、批判する人たちがいる。
それは、あながち間違いではないと思うが、そういった方々の思い通りに中止になると、
専門家がよく云う経済効果によれば・・・ 多くの人たちが、大損をしてしまう可能性があるという。
なにが得で、なにが損なのか、もう少し冷静になることが肝要ではなかろうか?
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