時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

専門家の異なるコメント

2020年03月09日 | 時のつれづれ・弥生 

多摩爺の「時のつれづれ(弥生の2)」
専門家の異なるコメント

だれかが正しいと言えば、だれかが間違ってると言う。
いったい・・・ だれのコメントを信用すればいいのだろうか?

中国・武漢発の新型コロナウイルスに、
世界が「こりゃ、大変だ。」と思い始めてから、早や2カ月が経つ。

テレビを付ければ、朝から昼まで、そして昼から夜まで・・・ 毎日、毎日、毎日
どこの局でも、専門家という肩書を持ち、普段は先生と呼ばれている方々が、
自信満々にそれらしきことを話している。

恥ずかしながら下々の者は、この手の判断には迷いがあって、
専門家のコメントに解を求めているのが通常だから、
専門家の先生方が仰ることには、一目も二目も三目も置いて、そのコメントを有りがたく拝聴するが、
番組を梯子しながら見比べると、専門家であるにも拘わらず、コメントが異なるもんだから、
おいおい、どうすりゃいいんだよってことになってしまう。

この国に最初の感染者が出て約2カ月、
折々にターニングポイントがあり、そのたびに様々な対策がうたれてきた。

PCR検査の拡大、大型クルーズ船への検疫対策、小・中学校・高等学校への休校要請などになるが、
いままた、先週末に政府が決定した「中国と韓国からの入国に関する規制強化」について
注目が集まっている。

ある専門家は、最近になって感染者の増加が少なくなり、
落ち着きを見せ始め、峠を越えた感があるものの、
本を正せば新型コロナウイルスの発症国で、いまもなお多くの感染者を抱えている中国と、
中国に次いで多くの感染者を抱え、
いまもなお感染者が増え続けている韓国からの入国を規制することは、
遅きに失した感があるとはいえ・・・ やれることの全てをやるに越したことはないと肯定した。

一方である専門家は、そもそも国内でPCRの全件検査が受けられない状況が続き、
事態の全貌が見えていないなか、どこまで感染が広がっているのか、
軽症や無症状の方々の割合はどれくらいの割合なのか、
エビデンス(根拠)が示されない状況で、人の交流を止めてしまうということは、
北海道の人は本州に来ちゃいけないと言ってるに等しく、入国規制は間違ってると言い切った。

さらには・・・ 入国規制の効果は限定的だとし、国内に多数の患者がいるわけだから、
水際対策はほどほどにして、
国内の検査や医師、看護師へのケアなどに集中してほしいと言った専門家もいた。

個人的には、水際対策も医療現場への集中も・・・ どちらもやるべきであって、
「ほどほど」という言葉は、とっても不快だし、理解に窮してしまうが、
毎日のようにテレビでみかける専門家が、公共の電波に乗せてまで言うんだから、
それなりに重みがあるのだろう。
よって、面白くはないが、そういった視点もあるんだろうと思いを改め、聞き流すことにした。

思うに・・・ 専門家であっても、意見が違って仕方がないものがあるとすれば、
それは「PCR検査の拡大」に関する、専門家としての視点とプライオリティを、
どこに置いたかではなかろうか?

ある専門家は、検査機関の拡大を町医者(かかりつけの医者)レベルまで下ろすことには反対とし、
検査対象者の症状を町医者が診て、
帰国者接触者相談センターが緊急性、必要性があると判断した場合に限って検査しないと、
安心のために検査を希望する者が大挙してきたり、
軽症者や無症状の感染者の隔離で病床が埋まってしまうと想定され、
中国や韓国のように、医療現場があっという間に崩壊する可能性が高いと言った。

一方である専門家は、町医者(かかりつけの医者)レベルまで検査機関を下ろすことが肝要で、
症状が軽かろうが、無症状だろうが、ちょっと不安がある者も含め、
検査を希望する者のすべてを検査しないと、
事態の全貌が掴めず、対策そのものが後手後手になってしまうと言ったが、
医療従事者のストレスや、病床のキャパシティーには触れていない。

これらの意見は、拡大することは当然だとしつつも、
その視点とプライオリティは対極にはあるといっていい。

現時点の実態を見れば、感染者の増加は止められないが、全体の8割が軽症者や無症状なんだから、
重症者や死者を増やさないように、
医療現場の崩壊(医師、看護師のストレスや、病床のキャパシティー)を防ぐのか、
それとも・・・ データで全貌を俯瞰し、今後の展望をアナウンスすることで、
人々の行動から不安を取り除くのかということで、
専門家の意見としては、どちらも間違ってないと思う。

個人的な思いとしては、町医者がPCR検査を行うリスクを恐れて、
検査の拡大に二の足を踏んでるような気がしてならない。

テレビによく出る町医者が言うほど、
自ら検査に実施に手を挙げる、勇気ある先生方がそれほど多いとは思えない。
そりゃそうだろう。
もし自分の医院で感染者が出れば、消毒されて、しばらく医院を開けることができない。

さらに近くに感染者が居たことが知れ渡ると、
貰い事故のようなことが起こり、近隣の医院へも患者の足が遠のくだろう。

それぐらいのことで町医者はつぶれないと思うが、
風評被害が消えるまで、相当の時間を無駄にしてしまう。

まぁ、そんなことは素人が心配することじゃないんで、専門家会議に任せるしかない。
ようは・・・ 医療関係者の勤務状況にいま以上の負担がなく、
病床のキャパシティーが確保できるものなら後者だし、
とてもじゃないが医療現場が持ち堪えられず、崩壊するリスクが高いというなら前者だろう。

悩みは尽きないが、タイミングを見計らって、
だれかが何らかの理由をつけて・・・ 判断を下さねばならない。

さて、どうすべきか?
ここで、専門家のコメントには一つの特徴があることに注目したい。

専門家は自らの知識分野(医療)に関するコメントだけなら、誰もそんなに相違はないのに、
番組の司会者が問う全てに、知識レベルの高さを、
これ見よがしに正当化してコメントしようとするから、
政治家が判断すべき領域にまで、大胆過ぎるぐらいまで踏み込んでしまい、
挙句の果てに、同じ分野の専門家なのに・・・ 意見に相違が生じている。

さて、どうすべきかって言ったって、最終判断は専門家には出来ないので、政治家が決めるしかない。
専門家のコメントがいろいろあったとしても、専門家に責任を押し付けるわけにはいかない。
にも拘らず・・・ 専門家が断定的なコメントをするから、知識を持たない国民は惑わされてしまう。

仮に・・・ 専門家に正しいコメントを求めるとするなら、
専門家は対極にある二案を並べて説明したうえで、政治家に判断を仰ぐ、
これが正しいと思うがどうだろうか?

国家の一大事ゆえに、
いまこそ昨年の流行語大賞でもある「ワンチーム」で臨んでほしいと願っている。

にも拘らず、専門家と呼ばれる先生方は、
自ら学んだ専門(医療)の知識に、専門外(政治)の個人的な思いを加味して、
「ワンチーム」になることを拒んでいるかのように・・・ 持論の展開に明け暮れている。

一生懸命に事態を分析し、明快な説明をしていただいているのに、
穿った見かたをして大変申し訳ないが、他の専門家とは違う意見を持つことで、
テレビに呼んでもらおうとしてるんじゃないかとすら思ってしまう。

医療分野における現状を訴え、今後の検査方法や体制への提言は、
あって良いし、どんどん提言すべきだろう。
とは言うものの、番組によって正反対のコメントをされてしまうと、
どうすればいいんだということになる。
素人が生意気で申し訳ないが、医療の専門家に政治判断を期待しているわけではない。

専門家にも思想信条があり、政治判断に賛否があることは百も承知だが、
専門家が専門領域以外に踏み込んでコメントすることで、
「ワンチーム」にブレーキをかけてないだろうか?

医療の専門家が、専門外の政治判断を茶化すようなコメントを繰り返していることが、
ここ最近では、正直なところ鼻持ちならなくなっている。
こういったコメントが、この国の将来に向けてプラスになるのだろうか?
申し訳ないが、時には腹立たしく思うことすらある。

事実は事実として、キチンと報道されてるので、そのことにイチャモンつけるつもりはない。
しかし、言い過ぎかもしれないが、
マスコミ各局が視聴率を争ってる自慢のワイドショーや報道番組が、
他局との差別化を意識しすぎるあまりに、
少しずつ、少しずつ、本筋からズレ始め、野次馬化してないだろうか?

国民の不安心理につけ込み、
視聴率を稼ぐことだけは・・・ 止めて欲しいと願ってやまない。


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