時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

心配で気をもんだ母の日の母

2022年05月09日 | 時のつれづれ・皐月 

多摩爺の「時のつれづれ(皐月の26)」
心配で気をもんだ母の日の母

今年の母の日は、3月に92歳(私とは二回り離れた午年)になったばかりの母が、
約3時間をかけて、一人で電車を乗り継ぎながら、泊まりがけで出かけるというもんだから、
心配で、心配で・・・ 朝から四回も五回もしつこく電話をしながら、
居場所と安否を確認することになっていた。

事の発端は6日の夕刻だった。
島根県益田市に住む伯父(母の姉の夫)が、98歳で逝ったとの連絡が入った。
数日前から危ないとの連絡を受けていたので、香典を送る準備をするなど、気にかけてはいたが、
如何せん高齢であり、順番だからと言っちゃ申し訳ないが・・・ こればっかりは致し方ない。

その時に、母と電話で話したのは、今月末に帰省したとき、私が車で益田に連れて行くので、
葬儀への参列は控えるようにとお願いし、母も納得してくれていたのだが、
その日の夜になって、松江市に住む叔父(弟・長男)と叔母(妹・三女)が話し合って、
葬儀に行こうと思うので・・・ 母(次女)にも来ないかとの連絡があったらしい。

久しく会ってなかった姉や、弟妹に会いたい気持ちが、突然高鳴ってきたのだろう。
直ぐに私のところに電話がかかってきて、
「私、益田に行くから電車の時間を調べてほしい。」と言うではないか。

頭はしっかりしてるし、足腰も大丈夫で普通に歩けてはいるが、
風が吹いたら飛ばされそうな、92歳の高齢者が一人で、
下関(山口県)から益田(島根県)まで、山陽本線と山口線を乗り継ぎながら約3時間かけて、
山口県を瀬戸内海側から日本海側に向けて、南北に縦断するというのだから、
そりゃ・・・ 心配になるのは当たり前である。

一週間後には、孫を見せるために、東京に連れてこようと帰省する予定をしていたが、
それさえも・・・ 一人で新幹線に乗って行くから大丈夫と言ってたぐらいで、
つい最近まで、迎えに行くことを説得するのに、苦労してたんだから、
少し考えてみれば、この事態は・・・ 想像できないことではなかったかもしれない。

昭和の一桁生まれの母は、できることなら人の世話になりたくないタイプで、
けっして、悪く言うつもりはないが、
他の人より少しだけ気が強すぎるというか、ピンと1本筋が通った頑固者である。

困ってしまって・・・ 北九州に住む妹に電話で相談すると、
「言い出したら効かないし、歳も歳だけど、もう姉や弟妹に会えないかもしれないから、
 無事を祈って、行かしてあげようよ。」と・・・ 逆に説得されてしまった。

結局、土曜日に妹夫婦が実家に行って、JRの切符と香典と小遣いを渡すと喜んでいたらしく、
伯父の葬儀に行くんだから、ルンルン気分ではないものの、
新婚当時にしばらく住んでいた小郡から、湯田温泉に向かう街並みを見たり、
高いビルがないので、沿線に見える津和野や益田の、父方の祖母の実家や、母方の祖母の実家、
さらには我が家の本家や田畑を、車窓から眺めながら・・・ けっこう楽しい旅をしたようである。

帰宅は火曜日で、日曜日は弟や妹の夫婦と一緒にホテルに泊まって、
月曜日は伯母の家に泊めてもらうよう、既に妹が従姉に根回しをしてくれていて、
約80年ぶりに、94歳の伯母(姉)と枕を並べて寝ることになっており、
葬儀に行ったのに、電話の向こうの声が弾んでいるんだから・・・ なにやってんだである。

昨春に父が亡くなって、ずっと一人暮らしだったし、
伯父も98歳だから・・・ めでたいことではないものの、
こんなことでもない限り、高齢の姉や弟妹が顔を合わせることもないだろう。

火曜日には、車で来ている従甥(従姉の息子)が、福岡に帰宅するので、
自宅まで連れて帰ってくれるそうで、
駅構内での乗り換えで躓いたり、電車内のトイレから席に戻るとき迷うといった心配もなく、
とりあえず安心できるが、なにせ92歳だから・・・ 全く心配がないわけでもない。

我が家は、私の妹家族や、女房の妹や弟家族とも、
何事にも連絡を取り合っており・・・ 仲が良くしているので、
こういった時であっても、普通にものが言えるし、付き合えるので本当に助かっている。

それは両親も同じで、母は自分の姉や弟妹、さらにはその配偶者とも仲良くしてるし、
亡くなった父の弟妹や、その配偶者とも仲が良いので、
慶事や弔事の時にしか会えないが、遠慮なく甘えることができるので助かっている。

あとは、おそらく母に言っても、右の耳から左の耳に抜けていくだけだと思うが、
葬儀の最中、密にならないよう・・・ 配意してくれるよう願うのみである。
あと二日、気が強くて、自信過剰で、甘えることが嫌いな母が、
なんとか無事に帰宅してくれることを・・・ 祈念せねばならないだろう。


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2 コメント

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Unknown (かぐや姫)
2022-05-09 06:41:10
凄いお母様ですね。私の母も大概すごい人でしたが、一人で私のところまで来られたのは90歳まででした。それ以後は、一人で来ないように、私が毎月帰省しました。そして92歳で一緒に泊まっていたホテルの私のベッドの隣で亡くなりました。
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Unknown (多摩爺)
2022-05-09 07:47:04
かぐや姫さん、おはようございます。

気が強くて、自信過剰で、甘えることが下手で嫌いな母ですが、
残り少なくなった人生ですから、好きなようにさせて見守るしかないのでしょう。
なんとかなると・・・ 切り替えました。
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