多摩爺の「時のつれづれ(弥生の52)」
昔々の武勇伝(火事の消火)
週明けの東京は、朝から降っていた雨が、お昼前には霙となり、昼下がりには小雪になっていた。
積雪の兆しはなかったものの・・・ 孫のお迎えを頼まれていたこともあって、
隣家の屋根に積もり始めた雪をリビングから眺めながら、
4WDながら、ノーマルタイヤなので・・・ ちょっとハラハラドキドキさせられていた。
その二日後、ゆっくりと東へ向かっていた寒気をともなう低気圧が、
山林火災の発生から1週間が経ったが・・・ いまだ鎮火に至ってない大船渡(岩手県)に、
ようやく、ホントにようやく、待望の雨を降らせてくれた。
(いまはまだ雪のようだが、次第に大雨になるとの予報だった。)
私にとっては、いささか厄介な雨であり雪であったが、
その雨や雪が、待ち焦がれていた大船渡に降り始めたとの・・・ 朝一番のニュースは、
おそらく、この冬一番の朗報だと言っても過言ではないだろう。
改めて山林火災で被災され、避難を余儀なくされた方々へ、お見舞い申し上げるとともに、
昼夜を問わず、献身的に鎮火に尽力された方々に感謝するとともに、その労をねぎらいたい。
ホントに、ホントに・・・ ご苦労様でした。
火事は怖い・・・ ホントに怖い。
長い時間をかけて築いてきた財産や、有形無形の思い出を、あっという間に灰にしてしまい、
途方にくれる間もないなか、日々の暮らしが待ち受けているんだから・・・ ホントに辛い。
私は70年生きてきたこれまでに、目の前で燃え盛る火災に何度か遭遇したが、
そのなかでも、忘れ得ぬエピソードが1件あるので、それについて紹介させてもらいたい。
25年ぐらい前の1月5日だった。
後輩3名と千葉県の東部(空港と海の中間辺り)に、休暇を取ってゴルフに行った帰り、
真っ直ぐな直線道路脇の畑で、ゴミを焼いているオバチャンが目に入った。
現場の横を、まさに通り過ぎようとしたとき、
火が付いたゴミらしき物が、風に吹かれて車の前を横切ったのである。
ドライバーの後輩が「わっ、危ない。」と云ってブレーキを踏み、
直後にバックミラーに目を移すと、今度は「わっ、燃えてる!」と叫んでいた。
皆が降りて確認すると、畑の反対側の原っぱの枯れ草に引火して燃えていて、
ゴミを焼いてたオバチャンが、呆然として立ち尽くしていた。
「どうします?」と問う後輩に、「すぐ119番に電話してくれ。」と指示し、
「消防車がくるまで、できる限りの消火をしよう。」と声をかけ、
オバチャンに水道の場所を聞くとともに、バケツでも洗面器でも良いので、直ぐに持ってきてと伝え、
バケツリレーで、民家に近いところに集中して、水をかけて回った。
10分も経たないうちに、消防団の方が駆けつけてくれたので、民家に延焼することはなかったが、
消防団の方から事情を聞かれているとき、とんでもないことが二つもあったのである。
その一つは、ゴミ焼きしてたオバチャンが、私たちの車が通った後、風に吹かれてゴミが飛んだと、
まるで私たちが火をつけたようなことを喋っているのである。
通り過ぎたときに風が吹いて飛び火したのなら、私たちは気づいてない可能性が高く、
そのまま通り過ぎていたので、そのことも含めて説明すると、分かってもらえたので事なきを得たが、
問題は、ひと仕事を終えたばかりで、呼吸が荒かった消防団の方々の吐く息から、
酒の匂いがプンプンしていたことだった。
要らぬことは言うまいと思ったので、聴取を受けている時、そのことには触れなかったが、
驚くほど早く大勢の消防団が駆けつけてくれたことと、
平日の1月5日だったということと・・・ 酒の匂いから考えられることは、
彼らはきっと、近くの公民館かどこかで、新年会をやっていたのかもしれないと察した。
どうみても、彼らが公務員の消防署員ではなく、
地元有志による消防団員だったのは・・・ パッと見でわかったので、
それをどうのこうのと言うつもりはないし、結束を固めるための親睦は必要だと思うし、
機敏な対応もアッパレだったが・・・ なんともはやタイミングが悪すぎた。
火事そのものは、原っぱの枯れ草を半分ぐらい焼いただけで大事に至らず、
オバチャンの不注意も分かってもらえたので、
後輩に目配せして、野暮なことは問わず、胸の内に収めて帰路についたことがあった。
四半世紀も前のことなんで・・・ 笑い話で済まされるが、
いまの世の中だったら、どこかの誰かがネットで呟いたり、動画をアップされたりで、
大変なことになっていたかもって思うと・・・ くわばら、くわばらであった。
車の中で「ひょっとしたら、明日あたりに連絡があって、感謝状とか金一封とかあるかも?」と、
けっこう盛り上がり、なに気にその気になっていたんだが、
だれ一人として、名前も、住所も、会社名を聞かれておらず、全くもって音沙汰なしだから、
せっかく良いことしたのに・・・ ちょっと残念なエピソードになってしまった。
いまとなっては、感謝状も金一封もなく、武勇伝を証明する物は、なに一つ残ってないが、
当時履いていたスニーカーの靴底ゴムが焼け焦げてしまい、
帰りの車の中に漂っていた、なんとも言えない焦げ臭さの記憶を、
形としてはなにもないが、生涯忘れ得ぬ・・・ 数少ない善行の勲章としている。
武勇伝とは言うものの・・・ なんとなく自慢話になってしまい申し訳ないが、
あれ以来、たき火は勿論だが、花火を楽しむ家族を見かけても、
水が入ったバケツが、近くに用意されているか否か、
サラッと目視するだけだが・・・ 確認を怠らないように心掛けている。
追伸
因みに当時のゴルフの腕前は、90台の半ばぐらいで、
ヨイショが微妙に上手い、接待要員といった程度の腕前だったが、
現役を引退したら、ゴルフを楽しもうと思っていた退職寸前に・・・ ギックリ腰をやってしまい、
それがトラウマとなって、強いスイングが怖くなり、間もなくゴルフから引退している。
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おばちゃんの責任逃れには唖然としますね!
よしんば車が通ったからだとしても、車で公道を走っていただけ。
多摩爺様たちにはなんの罪も無い。
しかし消防士が酒臭いって、酷い話しですね。
今より飲酒運転に厳しくない時代でしたけど😞
それより、多摩爺様たちがたまたまいらしたおかげで大火災にならず、本当に良い事をなさいましたね。
おばちゃん一人しかいなかったらどうなっていた事やら。
もう四半世紀も前のことですが、
いまだったら、とんでもないことになってたかもしれませんね。
改めてSNSの功と罪を考えさせられます。