多摩爺の「時のつれづれ(文月の8)」
大きなお節介だけど(あってはならない東京差別)
昨日夕方の情報番組で、東京で働く九州出身の女性が、豪雨で被災した親の手伝いに帰りたいが、
コロナ禍のため、帰省することができないとの報道があった。
おいおい・・・ そりゃないだろう。
豪雨で被災した親の手伝いに、東京から帰省することが不要不急になるとは思えないがどうだろう。
熱っぽいなら話は別だが、隣近所が迷惑がろうと、なにを云われようと私なら飛んで帰る。
自分にコロナウイルス感染の兆候がなく、普段からの生活に自信があるなら躊躇しないだろう。
むしろ、いまこのタイミングで帰省しないと・・・ 生涯、悔やむことになりかねない。
行政は、復旧に加勢するボランティアを、県内在住者に限って募集してるらしい。
だが・・・ 彼女は、ボランティアをしたくて帰省したいのではない。
不幸にも被災してしまった親に寄り添い、励まし、支えになりたいから帰省したいのだ。
隣近所の視線を気にするがあまり、親が彼女の帰省に「待った。」をかけたのではなかろうか?
それが本心でないことは、明らかなのに・・・ 彼女は、それを真に受けてしまった。
コロナ禍が気にかかる、地方の気持ちも分からんではないが、
あってはならない東京差別が蔓延し、普通に暮らす人々は心を痛め・・・ 辛い日々が続く。
申し訳ないが、不要不急なんかじゃない。
こういった言葉があるかどうかは知らないが・・・ 必要緊急と言わず、なんと言う。
交通の手段が確保できないとか、なんらかの事情があって、
帰省が無理ならいざ知らず・・・ なにを躊躇してるのだろうか?
大きな、大きな、お節介だが・・・ 私なら飛んで帰る。
テレビ局が、どこからそういった情報を仕入れてきたのか、そこんとこは知らないが、
インタビューに答える間があるなら、私だったら・・・ そういった間すら無駄にしたくない。
最愛の親が待つ九州へ・・・ 急いでほしい。
一刻も早く、帰省させてあげたいと願ってやまない。
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