多摩爺の「時のつれづれ(師走の17)」
本格的な論戦に期待したい。(第207臨時国会)
総選挙から1ヶ月が経った12月6日、約2週間の会期で臨時国会が召集され、
経済対策やコロナ対策に関する、大型補正予算の論戦がいよいよ始まった。
迅速で無駄のないよう、そして多くの国民に・・・ その補正予算が行き渡るよう、
短期間ではあるが内容の濃い、実のある白熱した議論の応酬であってほしいと願ってやまない。
予算だから・・・ それは必然的にお金をどれだけ用意して、なにに使うかということであり、
白熱した議論であってほしいのは山々だが、一方で残念なこともあって、
なんでもかんでも政治が悪いと決めつけた、精神的な貧困とも取れるやりとりが、
こういった場に持ち込まれることが多々あるので・・・ これだけは勘弁してほしい。
精神的な貧困とは、本来なら良識のある人々であるはずなのに、
故意か偶然か、その意図は不明だが・・・ 為政者をスケープゴートにまつりあげたうえで、
同調圧力を求めて人々を混乱させ、負のスパイラルに陥れて、自己満足に浸っている事案である。
その最たるものは・・・ 「アベのマスク」じゃなかろうか?
異論があることは承知の上で、あえて持論を述べさせていただくのでご容赦願いたい。
「アベのマスク」は、けっして無駄な予算執行をしたのではなく、
結果として、無駄な予算執行になっただけである。
まず、当時の状況を思い出してほしい。
昨年の春先、市中の小売店の店頭から・・・ いきなり不織布マスクが消えてしまった。
世界の工場を自負する中国が、ゼロコロナ政策をとったことから、
国民の行動が制限されてしまい、マスクの製造が止まってしまっている。
その後、マスク製造は開始されたが、今度はマスク外交(諸外国に恩を売る)を仕掛けてきたため、
マスクが不足して価格が高騰し・・・ 結果として、我が国の輸入分が不足してしまった。
使い捨ての不織布マスクが、国内に入ってこないことになって、
政府は緊急対策として、ウイルス防御は、使い捨ての不織布マスクよりも精度が落ちるものの、
洗えば何度も使うことができる布マスクの製造に着手し・・・ 納品を急がせたが、
結果として納品検査で不良品が見つかるなど、国民への配布が大幅に遅れてしまったところで、
不織布マスクの量と価格が落ち着いてきたというのが・・・ オチではなかっただろうか?
その結果・・・ 布マスク(アベのマスク)は、あっという間に目的と需要を失ってしまい、
大量の不良在庫が残り、多額の保管費用が必要になってしまったのではなかろうか?
メディアや野党は、鬼の首を取ったかのように・・・ 政府を責め立てたが、
それは、お上から仕事を受注した会社が、与党の関係者だったことへの追求がメインで、
政策そのものの是非について、議論が交わされることは・・・ ほとんど記憶に残っていない。
あと3ヶ月、不織布マスクの輸入がままならず、価格も落ち着くことがなかったら、
布マスクへの評価と視線は、全く違ったものになっていたのではなかろうか?
政治は結果責任だから、結果について責任を負うのは当然だが、
あえて言うなら・・・ 「アベのマスク」は、無駄な予算を執行したのではなく、
結果として・・・ 無駄になっただけだと思うが違うだろうか?
そして、この事案を境にして、多くの国民はメディアと野党の声につられて、
国民のためを思って知恵を絞った、必要不可欠なコロナ対策であったことをすっかり忘れ、
策を講じた為政者を批判し、こき下ろすことを覚えたのではなかろうか。
おそらく今国会で交わされる議論のメインは、
国会議員に支給される、一ヶ月当たり100万円の文書交通滞在費の見直しもさることながら、
18歳以下への10万円給付に関わる・・・ 約900億円の事務費になるだろう。
無駄があるなら見直すのは当然だが、維新を除く野党が、総選挙の公約に掲げたバラマキ政策は、
生活貧困者などと、対象者の範囲を曖昧にしたまま、言いっぱなしになってしまったが、
もしそれを実現するとしたら、いったい幾ら事務費がいくらかかると見積もっていたのだろうか?
そこに触れることなく、ハナから無駄だと世論を誘引するのは・・・ ちょっと狡いと思う。
こういった給付に絡む予算の議論が始まると・・・ 必ずといって良いほど、
デジタル化の推進によって、マイナンバーと口座を結びつけ、
住民情報に収入と納税の透明化を推進しないと、
事務手続きの簡略化は困難であるというところが・・・ 着地点になってしまう。
であるにも拘わらず・・・ 多くの国民は、政府が信用できないといった屁理屈をかざして、
デジタル化の加速を、必ずといっていいほど拒むんだから、
いつまで経っても、堂々めぐりは続き、一歩も前には進まないでいる。
悲しいかな・・・ これもまた、精神的な貧困である。
さらに、発信力や影響力のある人々が、なんらかの声を発すると、
この国の国民は、自ら考えることを放棄してしまい・・・ いとも簡単に、その声になびいてしまう。
これもまた、この国の国民が陥ってしまった精神的な貧困ではなかろうか?
私は変わり者なんで、正面から見るだけじゃなく、
後ろからも、上からも下からも、右からも左からも見て、ない頭を使って考え、
さらに俯瞰してみて・・・ 自分の考えを整理することにしている。
メディアに出るコメンテーターは、所詮お気に入りのお抱えのコメンテーターであり、
その局の都合の良いことしか言わないので、参考にしかできないと思っているし、
自治体のトップの声は、それなりの見識があるものの、国と地方ではそもそも権限と規模が違うので、
言うは易しであり、立場が違えば言うことも変わることから、これもまた参考にしかならない。
そんな思いを整理して、考えを纏めたうえで・・・ 先の総選挙では1票を投じた。
もちろんそこには「アベのマスク」などの結果責任を、加味することも忘れてはいない。
いろいろ考えすぎるがあまりに、いささか神経質になり過ぎて、
勘違いすることも・・・ よくあるが、
あくまでも持論として、自らのブログを通して発信しているだけであって、
他のブロガーの方々の、さまざまな思いを否定することはしないよう心がけている。
けっして、熱くなり過ぎることもないよう配慮を怠らない。
それがブログというものの楽しみ方であり、
超えてはいけない・・・ 戒めではなかろうか。
思いや、考えが違うブロガーさんから、たまにご意見をいただくこともあるが、
それもまた違った視点を学ぶ機会であり、自分と反対の意見を否定し、そこで学ぶことを止めたら、
それこそ、前段で述べた精神的な貧困に・・・ 私自身が陥ってしまうだろう。
よって・・・ 私と反対の意見を頂戴すると言うことは、実にありがたいことだと思っている。
そうやって1票を投じて選んだ政権には、
次の1票を投じるまでの、最長4年間は頑張ってもらいたい。
例えそれが、自分の意とする政権でなくても・・・ 民意は尊重しなきゃならないのだ。
政治には迅速さと、誠実さが求められ、その結果に責任がともなうのは必然である。
とはいえ・・・ それは帰宅途中の夫に、妻がメールを打って、
帰りに買い物を頼むようなものとは、ちょっと意味合いが違うので、
対案を出さずに、いつまでもグジグジと批判を続けることだけは勘弁願いたい。
さぁ・・・ いよいよ国会での論戦が始まる。
与野党ともに節度と緊張感を持って、
納得できる論争を繰り広げてほしいと願ってやまない。
まりえといいます^^
リアクションありがとうございます
とても多彩なブログですね🌸
読み甲斐があり為になるので
フォローさせて頂きます✨
2年前にサラリーマン生活をリタイアしてから、ボケ防止に始めた隠居爺のブログですので、
読み甲斐があるかどうかは分りませんが、笑ってやっていただければ幸甚です。
何とかならないでしょうかね
お怒りご尤もだと思います。
災害対策や、国際貢献などを検討して、必要がないなら焼却して燃料にでも充当するしかないと思います。
とはいえ・・・ 結果的に無駄になったことを、立案の段階まで遡って批判したら、為政者はなにも判断できません。
今回のオミクロン株による外国人の受け入れ停止も、先の見えないうちの難しい判断であり、
為政者に託すしかないと捉えれば、改めて思うことは選挙をサボっちゃいけないということに行き着きます。
コメントを頂戴し、ありがとうございました。