多摩爺の「時のつれづれ(皐月の1)」
ウェストミンスターの黄昏
昨日(5月24日)、イギリスのテリーザ・メイ首相が、
一か月後に大阪で行われる予定のG20を前に、
今年の10月31日まで延期が認められているブレグジット(EU離脱)の、
国内調整がつかないどころか、先行きまでもが見通せないこともあって、
その責任をとり来月7日で辞任すると表明した。
かつては、陽が沈むことがないと言われていた大英帝国
全盛期には全世界の陸地と人口の約25%を保ち、帝国のどこかで常に太陽が上っていた。
そんな大英帝国も、第二次世界大戦後に植民地だったインドとパキスタンが独立し、
ウェストミンスター憲章のもと、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカなどの
君主連合が主権国家となり、1997年に香港が返還されたのを最後に、
かつての覇権は終焉を迎えていたが、
この国の国民というか、政治家はプライドが高過ぎるうえに我儘で、妥協ということが出来ない。
3年前(2016年6月)に行われた、EU離脱の是非を問う国民投票では、
約72%(3,000万人以上)の投票率で、離脱が52%、残留が48%という結果となり、
イギリス国民はEU離脱を選択した。
賛否が4%差だったことを踏まえれば、ある程度の妥協は致し方ないと思うが、
この国の国民は、筋金入りの・・・ 頑固者だった。
そもそも、EU離脱に向かった背景にあったのは移民問題だったと記憶している。
イギリスは今世紀に入ったころから、
労働力として東欧やEUへの新規加盟国から移民を積極的に受け入れていたが、
リーマンショック(2008年)が起こると、
国内の失業者から「移民に職を奪われている。」との不満が高まり、
シリア内戦の長期化に加えて、EUへの分担金までもが不満の捌け口となって、
国民投票へと向かって行った。
国民投票の結果を受け辞任したキャメロン首相の後を継いだのが・・・ 現職のメイ首相
国民投票の翌年3月、メイ首相はEU条約50条を発動して、
EU側に正式に離脱することを通告すると、
2年という時間をかけて離脱にともなう交渉が始まった。
その交渉条件とは「イギリス在住のEU市民及び、EU在住のイギリス国民の権利保障」、
「離脱にともなう清算金」及び、
「イギリスと北アイルランドの国境問題(アイルランドは残留が多数)」を詰めた後、
難関の「EU加盟国との通商協定」の詰めが待っていた。
メイ首相は時間をかけて丁寧に国内外との交渉を進め、
難航したものの2017年12月になんとか議会での承認を得たが、
順調に済んだのはここまでで、移行期間の安全策(バックストップ)に入ったところで、
国内の整理(議会の反対)がつかなくなり・・・ 今日に至っている。
特に大きな障壁となったのが、
北アイルランドとアイルランドの国境管理のために設けられたバックストップだった。
今年1月のイギリス議会で大差で否決されると、その後の修正案も否決されたことから、
本来なら今年3月にEUを離脱せねばならないところを、
EUに延期を申し入れ10月31日まで延ばしてもらったが、
結果的に妥協が見いだせず、嫌なものは嫌的な我儘がまかり通ってメイ首相に辞任に至ってしまった。
ニッサンやホンダなど我が国の企業は、イギリスから撤退すると発表し、リスク回避を始めている。
ニュース等で報道されることは殆どないが、
他国の大手企業もおそらくイギリス離れが進んでいるのではなかろうか。
他国のことなんで、イギリスがEUから離脱しようがしまいが、知ったこっちゃないが、
グローバル化の時代ゆえに、その影響はイギリス一国だけの問題では済まないので、
たんなる野次馬ではいられない。
さて・・・ どうするんだ?
ロンドンの象徴でもあるビック・ベン(時計台)は、いま何時をさしているのだろう?
テムズ川の畔に建つ世界遺産・ウェイトミンスター宮殿(現在は国会議事堂)は、
黄昏時なんじゃなかろうか?
かつては日が沈まない国とまで言われた大英帝国が、今まさに暗い夜を迎えようとしている。
オレンジ色の夕日に染まった世界遺産は、そこに居る者を魅了するぐらい素晴らしい光景だと思うが、
眺めているうちに、ダラダラと国が衰退していくんだったら国民は堪ったもんじゃない。
EU離脱までに残された時間は・・・ あと5ヶ月
18世紀の後半、産業革命で世界を席巻したアングロサクソンの末裔たちは、
この後どういった妙手を指してくるのだろうか?
まさか、この期に及んで合意なき離脱はないと思うが・・・
世論調査によれば、二大政党(保守党・労働党)が大きく支持率を落とし、
全く持って先行きが見えてこない。
世界が注目する中、アングロサクソンの遺伝子が、どういった選択をするのだろうか?
次の一手が・・・ 気にかかる。
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