多摩爺の「時のつれづれ(睦月の42)」
なんか良い兆しかも・・・ ?
昨日の未明・・・ といっても6時を過ぎてたんで、そんなに早くもないが、
女房と娘がいつ起きてきても良いように、床暖房のスイッチを入れて、
リビングのカーテンを開けようとしたら・・・ 救急車のサイレンが聞こえてきた。
テラスに出て外を覗いてみれば、なんとマンションの入り口に止まってストレッチャーを出している。
「急病かな、大事に至らねば良いが」そう思いながら部屋の中に戻り、
ソファーに座って「フゥ・・・ 。」と、ひと息ついたとき、
「あれっ?なんか違う。なんだ。なんだ。どうしたんだ。」と・・・ ちょっとした戸惑いがあった。
私が住むマンションの南北と東には、約1キロぐらい先に街道(幹線道路)があって、
自宅は高層階ではないものの、近隣の民家の屋根よりは高く、
テラスに出れば富士山が見える高さにあって、車の騒音は聞こえないものの、
救急車や消防車のサイレンは、近隣の民家よりもよく聞こえている。
よって、サイレンが聞こえることをとやかく言っても、どうしようもないんだが、
コロナ禍に陥って以降、深夜や早朝に聞こえてくる、救急車のサイレンを聞くのが辛くなり、
嫌で嫌で・・・ 若干イラつきを覚えるぐらい神経質になってたんだが、
なんていったら良いんだか分からないが、昨日の朝は普通に受けとめられていたのだ。
「どうしたんだろ?」
「救急車のサイレンが気にならなくなっている。」
コロナ禍以降、なにかしらの不安が、心のどこかにあって、
サイレンが嫌で嫌で堪らなかったのに、不思議なことに気にならなくなっていたのだ。
4年前の春先、大陸から許しもなくやって来た、迷惑極まるコロナウイルスが、
あっという間に、この国をコロナ禍に陥れると・・・ 連休前には女房がコロナ鬱になってしまい、
鬱状態から解放されるまでの2年とちょっとの期間は、夜中によく目が覚めて、
女房が息してるかどうか、それを確かめる日々が続いていて、
なにかあったらの不安が、常に身近にあり、救急車のサイレンだけは聞きたくなかった。
正直なことを言えば・・・ あのときは、
ひょっとしたら、女房が死んじゃうんじゃないかとの不安が常にあった。
さらには、その間に父や義父母が亡くなったりで、神経をすり減らす日々が続いていたが、
2年弱で、女房がなんとか鬱状態を脱し、やっとのことで不安から解放されたと思っていたら、
昨秋に帯状疱疹を発症するんだから・・・ 昨年の後半といっても、つい1ヶ月前は、
もうヘトヘトで、バテバテで、ヘロヘロのなか、深夜の寝息の確認がまた始まっていた。
それが原因かどうかは分からないし、疲れがあったんだと思うが、
女房の帯状疱疹とほぼ同時期に、急におしっこが近くなって、頻尿に悩まされていた。
年末になって頻尿について看護師をしている妹に相談したら、
おへその下のツボと、足の裏のツボを押してみたら・・・ とアドバイスを受け、
やってみたら、意外と言っちゃ申し訳ないが、
翌日からあれほど気になってた頻尿が、どうしたことか、あっさりと解決するんだから、
あのストレスは、いったいなんだったんだろうか・・・ キツネにつままれたような気分である。
病は気からと言うが、頻尿は病じゃないと思うし、
自分の体の反応の良さというか、正直さにも・・・ 驚きを隠せない。
幸いなことに女房の帯状疱疹は、ほとんど消えかけ、
いまは後遺症(神経痛)との戦いだが、
ペインクリニックと薬が功を奏して、随分と楽になってるようである。
そして救急車のサイレンも、普通に聞き流せるようになってるんだから、
なにかが憑いてたわけじゃなかろうが、
年明け早々から・・・ 妙にスッキリしている。
普通に生活してる人からしたら、どうってことないし、気にならないことだが、
ふと思うに・・・ どうやら私も人の子だったようで、
もしかしたら、心か体のどちらかが、悲鳴を上げる寸前だったのかもしれない。
そう思って振り返ってみれば・・・ まったく不安がないわけではないが、
気になってた不安が解消されたと言うことは、
「もっとガンバレ!」ってことか、それとも「無理せず普通にガンバレ!」ってことか、
いやいや「ボチボチガンバレ!」の三択なんだと思う。
古希を迎えるに当たって・・・ なんか究極の三択みたいだが、
「ボチボチ」で良いかなと思っている。
家事のウェイトは、料理を除いて私に大きく傾いているが、慣れればたいした負担じゃないし、
女房の負担が減ればそれで良いし・・・ 「ボチボチ」やれば、なんの支障もない。
なにかにつけて、ポジティブな私のモットーは、
演歌みたいで恥ずかしいが・・・ 「人生いろいろ」である。
その意図は、その時々、その場面で、最善を尽くし、そして後悔しないだから、
焦らず、慌てず・・・ 少し我が儘ぐらいがちょうど良い。
いろいろあると言えば、まぁいろいろあるんだが、
辛い経験をした女房には、私より長生きして欲しいので、
古希を迎えるに当たって、なんか良い兆しかも、良い風が吹いてるかも・・・ と、捉えれば、
随分と気持ちが楽になったような気がしないでもない。
心配していただき、ありがとうございました。
勿論ですが、これまでにも増して家事手伝いに邁進する所存です。
コロナ禍のときは、夜明けに聞こえてくる救急車のサイレンが、ホントに苦痛でしたが、どうやら解放されたみたいです。
歳も歳だし、人生いろいろなんで、ボチボチ行こうと思っています。
女房曰く、突っ走ってしまうタイプの人間らしいので、
遅ればせながら、ボチボチで良いと気づいたのは、凄い収穫だと思います。
私なりにボチボチ行こうと思います。
今年もいろいろお教えくださいね。
ボチボチ→で良いと思います\(^o^)/
奥さまのこと、、お身内のご不幸と 続いてーーー、、日々 穏やかに!少しでも。少しずつでも取り戻されたのだと思います。
おはようございます。
コロナ禍が長引き、私も救急車のサイレンに関しては私も本当に同感でした。
あと、「ツラいときは心か身体のどちらかがブレーキをかけて、自分を防衛する」と、私も昔、病院がツラいとき主治医に言われて、なるほど、と感じたことを思い出しました。
tamajiiさんの優しく温かく素敵なお考えに溢れたブログに、共感したり、考えさせられたりしながら、いつも楽しみにし、拝読させていただいています。
ありがとうございます( ^_^)