多摩爺の「四季おりおり(その20)」
春の名残り 桜色の絨毯
雨上がりのマンション中庭は、春陽を照り返す桜色に染まっていた。
昨夕からの風と、夜半から降り出した雨は、きっと花散らしになるのだろうと思っていたが、
一夜明けて・・・ びっくり
夜風に舞った桜吹雪は、雨を接着剤として、
石畳や芝生の上に、薄いピンク色で春柄の模様を描き・・・ 過ぎ行く季節の証を残していた。
今日は気温がぐんぐん上がって、夏日になるというから
お昼頃には、花びらも乾き・・・ 再びどこかへ飛んで行くのだろう。
完全リタイアしてから約1年、現役のときにも、こういった光景は目にしていたものの、
玄関を出た途端に、なにも考えることなく、足は最寄り駅へと向かい、
時間的にも、心にも余裕のない日の連続だった。
退職したら・・・ 人の出が多くないウィークデーに、
女房と二人でお花見を楽しもうと思っていたが、
あれから1年、長引き過ぎたコロナ禍は、ささやかな楽しみすら奪ってしまった。
7時をちょっと過ぎたころ・・・
「おはようございます。」と、仕事に向かうマンション内の方々と挨拶を交わしながら、
カメラを片手に、中庭の桜を撮ってる自分がいた。
「こんな時を、待ってたんじゃない。」と、モヤモヤしている自分と、
「こんな時を、楽しむのも良いんじゃないか。」と、切り替えようとする自分がいた。
名だたる桜の名所で観ても、マンションの中庭で観ても・・・ 桜は桜
これを言っちゃ身もふたもないが、そもそもソメイヨシノはクローンであり、
そこで見物を楽しむ、人混みがあるのか、ないのか・・・ それぐらいの違いでしかない。
時が経つにつれて、観桜に感動した思いは薄れてゆき、
虚しいわけではないが、名所で観たというだけの、ちょっと空疎な自己満足に浸ってしまうのも、
出会いと別れの季節に咲き乱れ、あっという間に散って行く、
桜の桜たる、儚さを憂う所以なのかもしれない。
負け惜しみになるかもしれないが、楽しみ方や、価値観は・・・ ひとそれぞれである。
おそらく、私たち夫婦が本格的に外出を楽しむのは、ワクチン接種を待ってからになるだろう。
不満がないわけじゃないが、いまの自分は、大きな満足を求めてるわけではなく、
幸にも、時間だけはたっぷりとあるから・・・ これくらいが、ほどほどなのかもしれない。
朝日を浴び、石畳に彩りを染めた桜の花びら
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