多摩爺の「時のつれづれ(葉月の23)」
札幌から東京へ温情トレード
オリンピックとともにやってきた・・・ 酷暑
トリプル台風とともにやってきた・・・ 豪雨
そして、デルタ株(新型コロナウイルス)の・・・ 猛威
少しぐらいは、加減ってものがあっても良いものだと思うが、
肉体的にも、精神的にも厳し過ぎる日が続く。
すっかり出不精になってしまい、早朝の日課だったウォーキングさえも気乗りがしなかったが、
心地よい朝風に誘われて、夜が明けたばかりのホームコース(玉川上水緑道)を歩けば、
カナカナカナと蜩の鳴き声、暦のうえでは、立秋を過ぎていたことは知ってたものの、
巣ごもり生活が続いてた間に・・・ 季節はすっかり秋になっていた。
そんな秋風が吹き始めた週末だった。
今月11日にチームメイトへの暴力事件で出場停止処分を受けていた、
北海道日本ハムファイターズの中田翔選手が、
交換要員なしで、巨人に無償トレードされると・・・ 両球団から発表された。
温情トレードだと思う。
いかに主軸の選手とはいえ、腰痛を発症して今シーズンは、ほとんど出番がないうえに、
チームメイトに暴力事件を起こして、謹慎している選手を、
若手に活躍の場を与えるシーズン終盤となった8月後半になって、取りたい球団はないだろう。
取材を受けた巨人の原監督は、16日の夜に、日本ハムの栗山監督から電話が入ったことを明かし、
詳細は伏せたが、中田選手の再起を願う栗山監督の親心を強く受け止め、
球団首脳に相談して「セカンドチャンスを与えるべきだ。」と進言したことを話した。
一方で日本ハムの栗山監督は「現場の責任者である俺に、もの凄く責任がある。」と話したうえで、
「ファンのみなさんとか、子供たち、野球界の先輩方に対して、本当に申し訳ない。」と続け、
「人は間違いを起こした時にちゃんと謝って、それで道をつくってもらえるならば・・・
あとは翔がどうするかだけ。」と
目を潤ませながら、チャンスを与えてくれた巨人に・・・ 感謝の言葉を口にした。
原監督と栗山監督の間柄が取り持つ・・・ 温情人事(トレード)だと思う。
二人の関係は、原監督が東海大相模高校の3年のとき、
セレクションを受けに行った、当時中学3年だった栗山監督に声をかけたことが縁だと明かしている。
栗山監督は、セレクションに合格はしたものの、
東海大相模高校は、自宅から片道2時間ということもあり、
北多摩の自宅から近い創価高校に進学し、
その後は教員を目指して、これまた自宅から近い東京学芸大学へ進んでいるが、
そのときに結ばれた縁が、約半世紀の時を経て繋いだ、温情トレードといって良いだろう。
とはいえ・・・ 8月11日の出場停止から、まだ1週間しか経ってないという指摘もある。
たしかに、その通りだと思いもするが・・・ チャンスはそうそう巡ってくるものではないし、
一度しくじった人間が、二度と復帰できないような社会であってはならないと思えば、
中田選手には、両監督の胸の内を察して、期待に応えてほしいと願う。
今回の温情トレードを踏まえて、思うことがあるとすれば、
中田選手の今後のプレーや生活態度が、多くの子供たちや、ファンの期待に応えるものなのか、
それとも・・・ また同じことを繰り返してしまうのか、それは栗山監督がいうように本人次第だが、
無期限の出場停止を受けた選手に、二度目の温情はないということだけは自覚しておくべきだろう。
話は15年前に遡るが・・・ 私は15年前の夏に、観戦に行った甲子園で中田選手をみている。
それは2006年8月6日、朝の9時から始まった「第88回全国高校野球選手権」の開会式の当日、
第三試合で選抜大会優勝校・横浜高校と対戦した、大阪桐蔭高校の4番バッターが、
当時2年生の中田選手だった。
その翌年、4球団から1位指名を得た中田選手は、くじ引きで北海道日本ハムファイターズに入団し、
才能が開花した5年後、栗山監督の就任とともに・・・ 不動の4番バッターを任され、
そして、不始末を犯してしまったにも拘わらず、温情トレードだから、
栗山監督には・・・ 足を向けて寝られないだろう。
因みに、一回戦の横浜高校戦で8回に、11点目となるダメ押しホームランを放つのも目撃したが、
二回戦では大会を制した早稲田実業のハンカチ王子に、軽く捻られていたことも、
いまとなっては懐かしい思い出だ。
高校野球には、さまざまな忘れ得ぬドラマがある。
まさか、15年前に撮った写真を紹介する日がやって来るとは思いもしなかった。
その日、その時に輝いた・・・ 一瞬のプレーも忘れがたいが、
10年経ち、20年経って成長した選手の姿に、当時を重ねてみるのもまた楽しい。
雨にたたられ続けた今夏の大会だが、
なん年か後に思いだして、語ることができればと思ってやまない。
開幕日の第三試合、18時30分を過ぎたころ、阪神甲子園球場には、優勝候補を破った大阪桐蔭高校の校歌が流れていた。
早稲田実業と駒大苫小牧が、決勝で延長15回引き分け再試合を演じた「第88回全国高校野球選手権大会」の入場行進
ホームベース付近を行進する選抜大会優勝の横浜、その後ろは今大会を制した早稲田実、その後ろは帝京
8時ごろにバックネット裏の三塁側に座って約10時間、開会式から第一試合、第二試合、第三試合の総てを観戦していた。
野球も面白かったが、バックネット裏には庇があり、最上部は風が吹き抜けるので観戦にはもってこいだが、
椅子に座らず、コンクリートの上にドカンと腰を下ろし、サバ缶を肴に、ワンカップを飲みながら、
球児を野次ってる親父がいたことは、関西流の野球の楽しみ方を学ばせていただいた、懐かしい思い出にもなっている。
大阪桐蔭と横浜の試合は、私も甲子園の三塁側にいました。
生で見た高校野球の中では、一番のホームランだったと思います。とんでもない当たりだったのをよく覚えています。
8回裏に、3番の謝敷選手と4番の中田選手がバックスクリーンのすぐ左に打ち込む連続ホームランは本当に衝撃的でしたが、
私はそれよりも、斜め左後ろで酔っ払いが、ワンカップを飲みながら、サバ缶を開けて食っていて、
その匂いがなんともいえない良い匂いで、気になってしょうがなくなっていました。