多摩爺の「時のつれづれ(葉月の22)」
メンタリストってなんなんだ?
メンタリストとの肩書きを持ち、人気絶頂のクリエーターを弟に持つ、
ちょっとニヒルなユーチューバーが、とんでもない発言をしてしまい、
身内の弟を含めて、さまざまな方面から・・・ 非難の集中砲火を浴びている。
「生活保護の人にお金を払うために、税金を納めているわけではない。」
「だったら、猫を救ってほしい。」
「自分にとって必要がない命は、僕にとっては軽い。」
「ホームレスの命は・・・ どうでもいい。」と、YouTubeで発言したのち、
「個人の感想に、間違いもクソもない。」
「はるかに税金を払っているので(生活弱者を)僕の方が助けている。」と続けた。
ところで・・・ メンタリストって、いったいなんなんだ?
良く分かんないので、ネットで調べてみたら、
読心術やテレパシーといった、人のメンタルにフォーカスしてマジックを行う、
マジシャンのことらしい。
あくまでも個人の主観で恐縮だが、以心伝心って言葉があるぐらいだから、
テレパシーは、まぁ良いとしても、
人は心のなかを、他人に読まれたくないし、そういった人に出会いたくもないので、
大変申し訳ないが・・・ そういった仕事があることが理解しがたいし、
積極的に近づきたいとは思わない。
だれも好き好んでホームレスになったわけじゃなく、
やむ得ない事情があって・・・ 生活保護を受けざる得ないのである。
また、生活保護を受けてなくても、
世の中には、障がいを持って生まれた子供を、苦労しながら育てている人たちがいて、
病気になった家族の面倒を見ながら、愚痴の一つも溢すことなく頑張ってる人がたくさんいる。
その人たちも・・・ あなたほどではないが、キチンと税金を納めていることを忘れないでほしい。
私ごとで恐縮だが、私には・・・ 今年40歳になった知的障がいの娘がいる。
娘は毎日、都心に向かう人々とは逆方向に、電車とバスを使って作業所に通い、
9時から16時まで仕事をしている。
月々にいただけるお手当は2万円とちょっと、
そのほとんどは交通費とお昼ご飯代でなくなってしまうが、
娘はそのお金を仏壇の引き出しに入れて貯めていて、私たち夫婦はそのお金に手を付けたことはない。
自分が欲しいものがあったとき、女房に確認してから、嬉しそうに引き出しから出して使っている。
私たち夫婦は・・・ その時、目を輝かせながら、封筒からお札を取り出す、
娘の笑顔が堪らなく愛おしい。
サラリーマン時代の私は、朝早くから夜遅くまで働きづめで、週末は家でぐったりだったから、
日常の子供たちのことを殆ど知らず、子育ては女房に任せきりだった。
幸いなことに、息子はできが良くて、進路の心配をしたことはなかったが、
知的障がいのあった娘が、学校や地域でイジメに遭っていたことは、
女房から相談を受け、ともに悩みはしたものの、
どうすることもできなくて、さまざまな出来事の対応は、申し訳なかったが総て女房に任せていた。
退職したら・・・ その総てを、自分が引き受けようと思ってた矢先、
退職直後の昨春、タイミングを見計らったように、女房がうつ病を発症して生活が一変する。
そして・・・ 料理以外の家事の大半を、私が引き受けることになった。
それでも私は・・・ それが苦労だなんて思ったことはない。
40年間も支え続けてくれた女房と、毎日仕事に出かける娘と、
ゆっくり向き合える時間が、いまは嬉しくて堪らない。
私の寿命が尽きるまで、どんなに頑張っても、女房が尽くしてくれた40年には遠く及ばないので、
いま、この一瞬を大事にして・・・ できる限りのことをせねば、申し訳ないとさえ思っている。
そしていま、娘に関する悩みは、教育や仕事などの社会生活をから、
私たち夫婦が亡くなった後のことへと変わり、心配が絶えない日は、今日も明日も明後日も続く。
世の中には、いまの生活に窮している、弱い立場の人は山ほどいる。
それを思うと、けっして裕福ではないが、生活ができている・・・ 私の悩みなど小さなものだ。
そんな私の心のなかが・・・ あのメンタリストには読めるのだろうか?
トランプのゲーム(ババ抜きかな)で、ニヒルな微笑みで相手を精神的に追い詰めながら顔色を窺い、
ジョーカーとなるカードをピタリと当てて喝采を浴び、高額のギャラを手にするメンタリストに、
こんな生活が楽しいと感じる人の心など、読めるわけないと思うし、読まれて堪るもんかと思う。
厳しい言い方になるかもしれないが、
苦労しながら頑張っている人々の、心の痛みが分らない人が、
税金がどうのこうの、猫がどうのこうのと・・・ 軽々に、ほざいてほしくないし、
メンタリストなどといった、小洒落たカタカナの肩書きを使って、
したり顔で金儲けをしてほしくはない。
この情報に接したとき、私はもの凄く腹立たしかったし、やるせない気持ちでいっぱいだったが、
だからといって・・・ 人の職業にケチを付けるつもりは毛頭なく、
ネット社会で流行りの、素行を晒して非難するようなことを求めているわけでもない。
一度しくじった人間が、反省を経ても尚且つ、再起できないような社会は異常だと思うので、
彼の今後を見守りたいと思うが・・・ あえて一つだけ、注文をつけさせてもらうなら、
メンタル(人の心)に関する仕事を、再起後の生業にすることだけは勘弁してほしい。
それを勉強してきて、それで大金を稼ぎ、高額の納税をしてきたとはいえ、
再び人の心のなかを覗くような、メンタルに関わる仕事を、生業にすることだけは勘弁してほしい。
要らぬお世話かもしれないが・・・ できることなら、
まだまだ先がある、長い長い人生なんだから、
一度ぐらいは、額に汗を掻いて働く仕事をしてみたらいかがなもんだろう?
本当に反省してるのなら・・・ きっと、なにか感じることがあるんじゃなかろうか?
追伸
それにつけても・・・ 新型コロナウイルスの、感染拡大が治まらないどころか、
ピークすら見えてこない。
そりゃそうだろう、あれほど県をまたいでの移動自粛が求められていたのに、
平時ならまだしも、災害級の事態だとのアナウンスがあったにも拘わらず、
お盆休みに出かけて楽しんだんだから、
これを為政者に責任転嫁しちゃいけないし、覚悟の数字(新規感染者数)と捉えるべきだろう。
分科会のメンバーや、自治体のトップからは、
ロックダウンのような強行策に期待する声が、日増しに大きくなり、
街中のインタビューでも、若者たちが天に向かって唾を吐くかのように、
平然とそのようなことを口走りだした。
なんでもかんでも他人(政治)のせいにして、
自分には責任がないという人々が、なんと多いことだろうか?
これには呆れて・・・ 開いた口が塞がらない。
まずは、飲食店や百貨店など、人が頻繁に出入りする場所で、
ワクチン接種証明の提示を義務化することぐらいだが、
いざそれをやるとなると、今度は「差別をやめろ。」といった反発の声が上がり、
列島のあちこちで、あっという間に2歳児が増えて・・・ イヤイヤ病がまん延してしまうだろう。
それはそれで、困ったもんだと思いもするが、
イヤイヤ病は、医療従事者の手を煩わせることがないので、そこんとこの心配がないだけでも助かる。
さらに、総理がいう「自助・共助・公助」を引き合いにだすと、
公助がないがしろになってるという人々が必ず出てくる。
個人的には、コロナ対策の基本は・・・ まず、自助からだと思うんだが、
世の中には、なにをやっても反対の人がいて・・・ ややこしい。
いい加減に気づかなきゃならないのは、災害だ有事だと云ってるのに、
政府や自治体がいくら要請しても、町医者(医師会)の先生方が、
そっぽを向いていることではなかろうか?
野戦病院を求める声があるにも拘わらず、それが実現しないのは、
そこらあたりに、医療に関わる組織のとっても深い闇があるのではと勘ぐられても致し方ない。
頑張っていただいている医療従事者の方々には、本当に申し訳ないと思うが、
町医者の方々が、積極的に協力しているのは、
基本的に感染してない人々に対するワクチン接種が中心であり、
感染者対応にフォーカスすれば、医師が医師のクビを締めているように見えて仕方がない。
残念だが、そこんとこだけが・・・ 1年半経っても変わっていないのだ。
私は今年の5月に、ロックダウン級の強烈なショック療法として、
計画停電を提案したことがあったが、
やるやらないは別にして、政府が検討してみると言ったらどうだろうか?
もちろんリスクはあるが・・・ 夜の22時から1時間だけで良い、それを検討すると言ったら、
世の中の空気感が一変すると思うが・・・ いかがなものだろうか?
心理を専攻してた時に、先生が鬱になる人は
結果を読みすぎる、現実をわかりすぎる、と言ってました。
言っても現実が変わらない、だから我慢する、それが長年詰まりに詰まって行き着くところが鬱、かもしれません。
私も鬱の治療を受けてたから、
分かるといえばわかります。
その経験から言えることは
滝を見にいく。
素足で土の上を歩く。
その2つは本当に効きます。
だから、多くの滝を見に行ってましたよ。
鬱が酷かった時、
一人で滝を見に行って
何時間も何時間も坐っていました。
奥様に『治そうとガンバリすぎないでください』と伝えてください。
アドバイスをいただき、ありがとうございました。
コロナ禍が落ち着いたらというか、10月に帰省しようと思ってますので、故郷の海辺を裸足で歩いてみようと思います。
また、故郷の下関には徳仙の滝がありますので、マイナスイオンを浴びることができればと思います。
ご心配をいただき感謝しています。