先日、名古屋から、思いがけないお届け物が・・・・・・
それはそれは見事な梨。
こんな風に頂いたら、私自身が恐縮してしまう贈り物でした。
真心って、無理やり押し付けるものではなくて、自然に溢れてしまうものだと思っています。
これは、まさしくそういう真心がこもった贈り物でした。
ブログ友達の彼女さんのお友達が作っている『梨』だそうです。
昔、私が小学生の頃、運動会には必ず梨がおやつに出ました。
水分補給の意味もあったのかな?
だから梨と言ったら秋の運動会の思い出がよみがえります。
こんなに沢山の立派な梨、少しずつ少しずつ味わって食べないとバチが当たりますが、美味しくてどんどん食べてしまいます
農家の皆さん、物づくりをされている皆さんは、農産物を、手作り品等、いろいろな物を育て、制作し、
生産している皆さんは、細心の注意を払い、朝早くから夜遅くまで、食物なら新鮮なまま消費者のみなさんへ。
品物ならば、不良品がないよう消費者の手元に届けるために。
日々ご苦労されています。
真心なくしては到底できない仕事です。
少し余談になりますが、80歳前後になった私の両親も未だ、切り花(菊・シャクヤク・)等を出荷しています。
昔は兼業農家だった私の実家。
父は定年まで働き、母は田畑(その頃から菊も)を守り、休みの日は父が加わり、勿論私たち子供も朝から晩までお手伝い。
春休みも夏休みも何処にも連れてって貰えず、お手伝いばかり・・・・・・
父が定年してからは、少しだけ規模を少なくしましたが、二人でまだまだ菊やその他を出荷しています。
だから、生産者の苦労を知っています。
どれだけの真心を込めて、どれだけ丁寧に、細心の注意を払いながら、寝る時間も惜しんで作っているのか。
友達のお家のぶどうも、とっても高級品で病院の先生方が知人のみなさんへ送る為に毎年購入しているという立派な粒の美味しいぶどう。
今年初め彼女のお父様が亡くなってしまい、今年最後のぶどうになりそうです。
私も毎年彼女の家のぶどうを贈答品にしていました。
そして、選り出しのぶどうは安く購入させて頂いて我が家で食べていますが、それはそれは美味しくて甘くて~
規格外のぶどうは味になんの変わりはありません。
でも、今年最後になるなんて・・・・・・悲しい・・・・・・寂しい・・・・・・
だから、存分に、思う存分味わって、感謝したいと思います。
真心あふれる立派な梨と立派なぶどう。
感謝の気持ちで、真心こもった秋の味覚を堪能している毎日です。 真心が口の中いっぱいに広がって、幸せ気分
今日の執事くんは、ぶどうのコスチュームをまとっていました。タイムリーだな
その陰には生産者は勿論、それを開発する研究者もおられることでしょう
その人たちの努力のおかげで僕たちの食生活は充実し、そしてついには日本人の平均寿命向上にも大きく貢献してるのだと思います。
ある人が亡くなり、それを継承できなくなるのは残念です。
それは社会の構造的なものかもしれませんね
農業だけではなく僕たち職人の世界も同じことがいえると思います。
それを当たり前と思ってしまうのは、恵まれた世の中になった証なんだと思います。
当たり前を当たり前と思わない世の中にしていくことも大切ですね。
だけど、そこには、日本人特有の勤勉さや、地道な努力、繊細な心遣い、気遣い、器用さが物づくりのすべて、生きるための食文化までも作り(造り&創り)出すという、匠の技となっているんだと思います。
↑何書いているか分かってもらえるかしら?(;^_^A
本当に感謝すべきことですね。
今の便利になったすべてのものは、人がすべて生み出した賜物だもの。
本当に感謝の気持ちを忘れずに食したいと思います。
そして、感謝の気持ちで手にする物すべて、大切に使い続けていきたいと思います(*^-^*)