〇 サーモンの養殖場は「丘の上」、FRDジャパンがIoTと水浄化の工夫で実現。
周囲に海も川もない小高い丘の上に、小さな工場のような建物がポツンと立っている。ここは、年間30トンのサーモントラウト(以下、サーモン)を生産する養殖場だ。取材した日は出荷日で、卸売業者が小型トラックに魚を積み込み、長い坂道を下って魚市場へと向かっていった。出荷されたサーモンは、一度も冷凍されることなく、首都圏のスーパーマーケットなどに並ぶ。
世界のサーモンの生産量は年間約400万トン。そのうち約300万トンが養殖によるものと言われる。日本は、需要の9割近くを主にノルウェーやチリからの輸入に頼っている状況だ。
2013年にベンチャーとして創業したFRDジャパンは、2017年に千葉県木更津市の内陸部に実証実験プラントを設置し、翌年からサーモンの陸上養殖を行っている。陸上養殖に乗り出した意図や、量産化の課題について、代表取締役Co-CEOの十河哲朗氏、チーフマーケターの宮川千裕氏に話を聞いた。
このままでは、サーモンは気軽に食べられなくなる。
サーモンの需要は世界的に伸びており、養殖の2大産地であるノルウェーとチリだけでは将来的に生産量が追いつかなくなると見られる。飛行機を利用した長距離輸送は、燃料費高騰の影響を受けるのに加え、フードマイレージ(食料の輸送量×輸送距離)が大きい分、環境負荷も高い。
天然魚の漁獲量は横ばい状態で、国内でも「ご当地サーモン」をはじめ、サーモンの養殖が進められてはいるが、総生産量はまだ2万トンと少ない。
「年間20万トンの需要があるのに、その1割しかカバーできていない。国内の養殖を今から進めなければ、サーモンの価格が上がって、そのうち気軽に食べられる魚ではなくなってしまう」と十河氏は言う。
養殖には、海面や湖面にいけすを設ける海面養殖と、陸上に設置した貯水槽を用いる陸上養殖の2つの方式がある。サーモンの生育に適する水温は約15度。ノルウェーで大規模な海面養殖が成功したのは、氷河の水が流れ込むフィヨルドで、この適度な水温と良好な水質が保たれるからだ。
それに比べて日本の海面養殖は、夏に水温が上昇するうえ、台風や豪雨のリスクもあり、安定的な生産が難しい。そこでFRDジャパンは、収益化が難しいとされる陸上養殖の大規模化に挑んだ。木更津市を選んだのは、大消費地に近く輸送コストを抑えられるからだが、丘の上のプラントは「陸上養殖はどこでもできる」ことを象徴する存在にも思える。
16ある水槽に複数のセンサーを設置し、値を常時モニタリング。
陸上養殖には、海や川などから取水するかけ流し式と、人工海水をろ過して循環させる閉鎖循環式があり、FRDジャパンでは後者を採用している。さいたま市の本社ふ化場で、卵をふ化させて淡水で稚魚に育て、その後は木更津のプラントに移して海水で育てている。2018年以降、育成した世代は20以上を数える。
天然の海水では、様々な生物やバクテリアが相互に作用して魚を育んでいる。その生育環境を水槽に再現し、「1年半で3キロに育てる」という目標を達成するまでには4年を要したという。
「海から魚と複数のバクテリアなど限られた要素を抜き出し、私たちなりの生態系を再現している。各要素の代謝のバランスが崩れると、ある物質が増えすぎたり減りすぎたりしてサステナブルな環境にならない。設定している水質項目は約50あり、それれぞれの項目を世代ごとに1つひとつ変えて様々な組み合わせを試していったところ、ある組み合わせで魚の成長が大きく伸びた。この組み合わせがベストとは言い切れないが、量産化のめどは立った」(十河氏)。
水道水を使った人工海水を良質な状態に保つために、IoT(Internet of Things)を活用していくつもの水質項目を可視化している。宮川氏は、「16ある水槽にそれぞれ複数のセンサーを設置し、水温や水位、酸素濃度、pH(水素イオン濃度)などの値を常時モニタリングしている」と説明する。
値が設定範囲を超えた場合に自動で制御するものもある。水中の酸素濃度はその一例で、自社でシステムを組み、モニタリング状況に応じて建屋の外にある酸素タンクから自動で酸素を送り込み、一定の範囲に保っているという。
水の次に重要なのが、成長のスピードや味に影響する飼料だ。陸上養殖において最もコストがかかる要素であるため、効率よく給餌する必要がある。FRDジャパンでは成長段階に合わせて水槽を分けており、自社開発の給餌システムによって、成長に応じた量と頻度でエクストルーデッドペレット(EP)と呼ばれる固形飼料を各水槽に送り込んでいる。このEPは魚粉や魚油などを混ぜたもので、水中でも崩れにくいのが特徴だ。
「海面養殖では1日で水温が5度下がることもあり、それが魚のストレスとなって成長が大きく鈍ってしまう。プラントではそうした成長を阻害する環境にはならないため、通常なら3キロサイズに育つのに2年かかるところ、今は1年で育てられるようになった。魚の生存率も高い」と十河氏は話す。
養殖業界には、映像データから餌の食べ具合や成長度合いを判断して給餌量を調整するといった、AI(人工知能)を活用した給餌機も登場しており、そうしたツールも今後必要に応じて導入を検討していくという。
採算性のカギを握る水替えが、2工程のろ過でほぼ不要に。
閉鎖された環境で生態系を再現するには、魚の排出・排せつ物や餌の食べ残しなどを除去して水を浄化するろ過が不可欠だ。通常はろ過装置を用いて、魚が排出するアンモニアの毒性を弱めて硝酸にする「硝化」を行う。だが、硝酸も蓄積すれば魚にとって害となるため、その濃度を薄めるために1日約30%の水替えが必要となる。
現状の陸上養殖はこうした半閉鎖循環式が主流で、大規模化が難しい。水道水を使えば、冬期以外は15度までの冷却に電気代がかかり、天然の海水では病原菌などが侵入するリスクが増えるからだ。
FRDジャパンでは、水処理業界で活用されていたろ過システムを応用し、硝酸を窒素ガスに変える「脱窒」装置を開発してこの課題を解決した。窒素は空気の約80%を占める無色・無臭の気体であり、大気中への放出が可能。アンモニア → 硝酸、硝酸 → 窒素という2工程のろ過により、陸上養殖に付き物だった水替えを不要にするという画期的な閉鎖循環システムを実現させたのだ。つまり同社が採用しているのは、半閉鎖循環式ではなく完全な閉鎖循環式である。いずれの工程でも、ろ過に使うのは生活空間にも存在するバクテリアだという。
「自然蒸発や、ふん・餌などの除去に伴ってほんのわずかではあるが水が減るため、実際には1日約1%の水を補充している。この程度の水替えであれば、労力もコストも従来に比べて大幅に少なく、陸上養殖の大規模化や収益化が可能になる」(十河氏)。
実証実験を終え、2026年には大規模プラントが稼働
実証実験プラントで育てられた千葉県産サーモン「おかそだち」は、2021年から年間を通してスーパーマーケットや回転寿司チェーンなどで主に生食用として提供されている。味や食感を左右する最大の要素は鮮度だと十河氏は言う。
「全国どの漁港も『うちの魚が一番』と言うのは、身の締まった一番おいしい状態で食べているから。高級魚でもブランド化されたものも、輸送に時間がかかれば身が軟らかくなってしまい、冷凍したものは解凍時にドリップ(食材の水分)が流れ出てしまう。『毎日が旬』のサーモンを冷凍せずに出荷できるのは、陸上養殖だからこそだ」(十河氏)。
安定生産が可能な閉鎖循環システムと養殖オペレーションの知見は積み上げられたとして、2023年7月、千葉県富津市で商業プラントの建設が着工した。新プラントの延べ床面積は約1万4500平方メートルで、年間生産量は実証実験プラントの約100倍となる3500トンを目指す。約6年かけて培ってきたノウハウを商業プラントでいかに再現するかがこれからの課題だ。
「プラントを大規模化すると、目の届かない部分によどみやムラが生じる可能性がある。それには、必要な速度でろ過できないなど、エンジニアリング面でのリスクが伴う。こうしたリスクは、どの産業でもスケールアップ時には付き物の課題だろう」(十河氏)。
操業開始は2026年の予定で、うまくいけば2027年から「おかそだち」が広く市場に出回ることになる。温暖化の影響で天然魚の漁獲高や海面養殖の生産量が落ち込む可能性があり、安定した生産が可能な陸上養殖を求める声は高まっていきそうだ。
FRDジャパンでは、水温が高いため海面養殖が困難な東南アジアで陸上養殖を展開することも見据えている。また、需要があればサーモン以外の魚種にも取り組んでいくという。
十河氏は、「寿司が世界に広まっていったように、安全でおいしいサーモンを生産できる陸上養殖を世界規模までもっていき、ノルウェーのMowi(モウイ)のような世界を代表する養殖会社を日本から生み出したい」と意気込みを見せる。その根底にあるのは、おいしい魚と美しい自然を次世代に残したいという思いだ。
「多くの人においしいと食べてもらい、食文化を変えていく。それが魚を生産する企業が社会に与えられるインパクトであり、幸せの総量を増やすことでもある」(十河氏)。日本の漁業は確実に、スマートかつサステナブルな新時代に入りつつあるようだ。