「断れる人」……という話を昨日はしていました。 反対に私は断ることが出来ない人だと!!
何でも良いよと言っちゃうし、引き受けちゃう!!
それが良い事だと思ってるし、好きだと思っているけど、
中にはそういう事でたくさん傷付いてきたこともあると。
良いよ良いよと言いながらやってても、最後は相手の勝手で断られたり、止められたり、去られたり。
よう分からんなと鈍感に、自分の心がもっと深く鈍感になって行ったりして傷ついている事にも気づかないとか。
断ることが出来る人やはっきり自分の意見が言える人がある意味羨ましく思ったり、憧れたりもした。
でもそんな人を観て憧れつつも何でそんなことが出来るんだろうと思ったりもして興味も持った。
自分がそんな人間になるとしたら憧れてつつも嫌だなと思うところもあったからで。
やっぱり自分は自分を頼ってくれたり、自分を気にかけてくれたり、自分の存在を使ってくれる方がまだ好きかなと思うのもあるかな (^.^)
後でそれが嫌な事であっても仕方ないかと直ぐ諦めちゃう。
断るのって勇気もいるしね、怖かったりする。
断る方が人って傷付くのかなって思ってるかも。
それは双方のエネルギーの遮断でもあるからかな (^^;)
ある意味無視と同じ……。
だから一旦受け入れちゃうんだと思う。
今までの人生で一番断れなかったのが結婚だったかも (^^;)
長い付き合いで、嫌なところもたくさん見つけたけど唯一良いところを見つけそれで蓋してた様にも思う、最後には情だったかも。
それがその先も続き、断れない、断らない、逆らわない、が続いて、人が嫌がらないように人が傷付かないように忖度や気を回す事や、話し合わす事、へらへらして何でも良いよと言っちゃう事が長くなって行ったんだと思う。
あの時に切っていれば、断る事を学べたんだと。
人を傷つける事になるかもしれないけど、自分が傷付くことも学べたのかも知れない。
それに気づくには時間がかかったなと (^^;)
まあ結婚ってゴールでもないし、出来て幸せって事もなく、
そこからが始まりで、ともに作っていくもんだと納得すると、
腑に落ちる事ばかりで、凄く良かったなと思える。
何だかんだ今まで「断れない」「断らない」自分の人生だって、全て流れに任せてきた事ばかりだなと。
その選択と決断は自分でしている訳で、
そこで何もしなければ、また、そこから断って進まなければ分からなかったことも多い。
ちゃんと任せていれば電車の線路の分岐器の様に分かれることも、
いろいろ出来事で強制終了が起こる事もあったなと。
断らない自分というのも器を大きくするには何でも体験でもあったんだと。
ただ自分の心が傷付くのに鈍感になってた事は間違いない。
なので、心を置き去りにしないという事は自分の心には敏感になっていたい。
心は意識、意識は気。
気を軽く、気を楽に。
その楽が何でも楽しくなるという事に繋がるんだという事に気づくには年を重ねたなぁ~と少々思うけどね (^^;)
今では「断れない」「断らない」という事でも自分の心さえしっかり分かってあげればちゃんと導かれるんだろうと思う。
反対に「断る」「遮断する」ということが出来る人だってその時は何か必要な学びがあるんだろうし、人に(私に)与えてくれたみたいに、与える人なんでしょう。
意外とそんな人でも気が小さい人が多かったりするんでしょう (^^;)