内臓疾患のない母、三叉神経痛が主で、それによって様々な困難を伴っている状態。 今回は、呼吸をしても二酸化炭素を吐き出せないというのと、痰が吐き出せないというのが主な症状。
それによって胸が痛くなって救急車を呼んだ。
呼吸でも吸うて吐いてというどちら共のバランスが取れないと駄目だという事ですね。
私も呼吸が浅い方なので、一生懸命吐く方に意識を持っていってます。
吸う方は大概自然に吸ってるらしいのですが、吐く方って難しいんですよね。
この呼吸も意識の出入りとして考えると、
思考の出入りでもあるし、思いや心、感情の出入りでもあると思います。
私もだったんですが、母も我慢の昭和人間、
自分でも言ってました、我慢我慢の人生だったと。
私は母のその言葉を聞いて、元旦那も我慢我慢の人間で、
その時にそれについて凄く哲学したんですが、
我慢もほどほどでないと、それは一番自分のエゴで、傲慢高慢になると。
強情にもなるし、壁にもなる。
それに気づいた私は、自分自身も我慢の質について凄く考えました。
多少の我慢は良いけど、我慢している間に事の本質が変わる場合があるんです。
それが自分軸か他人軸でも変わるし、
強情になったり、壁にもなって自分の中に心を溜めてしまう事になると、自分の中で変化が起きる。
その変化は連鎖にもなるし、肉体細胞にも影響を与える。
吐き出せない感情も同じだなと。
呼吸も酸素を吸って、要らない二酸化炭素を出すという事。
これが上手くできない母。
その我慢してきた感情などの吐出しが起こったんだなと。
自分ではできないので、医療の力を借りたんだなと。
そのまま持って死なないように強制掃き出しだったんだなと分析した。
そのせいで肺の中には痰がいっぱい詰まっていたようです。
自分で吐き出す力が無かったようで。
それで苦しくなったと。
身体は正直だったんだなと私は思いました。
肺の心を分析すると、心配とか不安、悲しみ、過去の失敗、そんな事らしいのですが、それらを吐き出せもせず、抑え込んでいるとどうでしょうね。
すんなり吐き出せてたなら痰というカタチや塊にもならなかったかもしれませんね。
それがまた影響して炎症を起こしたり、呼吸が止まったりとなるんでしょう。
しっかり意識していないと意識の分離も間違え誤嚥性肺炎となったりします。
よく高齢者に誤嚥性肺炎が起こると言いますが、
それも意識を精査して分析して分離する道を間違えるのでしょう。
若いうちに性格治しやと何日か前に何度か記事にしていますが、
心理カウンセラーのおのころ心平氏によると、呼吸して入って来た息(外からの意識と情報)は、肺に到達するまで23回も選別されると言われています
その選別に自分の意識が働くとしたらどうでしょう。
自分の中の間違いとかに気づけなかったらどうでしょうって感じですね。
それで消化出来ずに吐けなかったらどうでしょう。
そんな事を考えながら母の人生と今向き合ってるんだな私もって思ってます。
母の事を魂レベルで向き合いたいなと (^.^)
父の時もそうでしたが、善いも悪いも無く、正解だった間違いだったもなく、
魂の人生を生きて来たか、生きれなかったか、
人生をやりきったか、やり残したかも含めて。
全てのそのままの人生をそのまま尊重してあげたい、ただそれだけです。