自分や他人の分析をし、俯瞰し、人間関係での関わり方の自分なりの答えを出すという。 そうなると人間関係での悩む時間を短くするという話でもありました。
自分の中の感情の整理と手放しが出来てくるとその分析にかける時間も一瞬だと。
人って産まれた瞬間に自分の事を忘れる、魂の記憶を忘れるのです。
それを人生の中で体験を通して思い出す。
自分の事を知りたいのです。
どんな自分の事でも知りたい。
でも育った環境で嫌な自分を受け入れられないでいるのです。
嫌だと思い込んでしまっている、というより、思い込まされてしまっている。
その思い込みを体験によって思い知らされ目の前に向き合わされ、そんな自分だと受け入れさされ、
理解を促され、そんな嫌な自分でも好きになるぐらいまでに成長できるぐらい繰り返し何度も体験する事になるのです。
生きるという事はそんな事。
忘れた魂の記憶を思い出していく事。
そして魂を愛おしく思えるようになる事。
それが出来ないで、自分の事を知るまでに至らないから死ぬのが怖いのです。
自分の事を知って魂の事を知ると死ぬのも怖くない。
死ぬ事は自分を失うとでも思っているのでしょうか、
死ぬ事は人の記憶から消されると思っているのか、
だから不安で恐怖なのでしょうか?
親に覚えていて欲しい、子供や子孫に覚えておいて欲しいと。
自分の存在があった事を失わないで欲しいのか。
その前に自分の存在を認めてはどうだろう。
自分探し、自分の魂探しの旅が人生。
どんな自分か自分が認めてあげると、
魂がどんな人生を生きたかったか、魂を生きていると、死ぬ事なんかまったく怖くない。
肉体を脱ぎ捨て軽くなって魂は魂の源へ帰って行くだけです。
魂が生きて欲しい人生を肉体を借りて生きているだけ。
そんな自分を普段から分析しているだけ、
魂がそれを認識させようと、人を鏡にして、人に投影してまで見せている。
それを常に観察・洞察・分析・解析して
魂を感じ、魂を生きている。
これが昨日の記事の答えでもあるんでしょう !(^^)!