いつも自己承認欲求や自己中の話をして、昨日の話ではベクトルが自分に向いているのかという話をしていました。
そうやって話している自分はどうなの?って思われそうですね
人の話ばかりしてそう、人のベクトルを感じているのは自分が自己中なのかなんて言われそうですね (^^;)
私自身ももちろん先ずは自分の事を考えます (^^;)
自己肯定感低すぎて自尊心までも低すぎた私です。
そこから始まっていますので、先ずは自分に光を当てるところから始まっています (^.^)
そしてそれは自分を客観視して、俯瞰する事をする事だったんです。
人見知りの、潔癖症な私は、大人しくて泣き虫で、臆病者で用心深い、用心深いのは特にです。物事にも人にも。
ちょっとやそっとじゃ何も信じません、境界線や壁も分厚い。
全く今では考えられない性格でしたので、内弁慶で身内ぐらいに親しい人にしか心を開かなかったと。
その身内の家族にでも本当の自分を素直に見せれてなかったかも知れません (^^;)
そのまま高校生ぐらいになって、その陰キャラを反対に思い切り陽キャに振り切っていた時代だったかも (^.^)
そして、美容師という職業に就いて、やっと自分に肩書のようなものをもって少し陽キャラに見せていた自分の光が本当の光のように思えて来たかと思います。
偉い肩書ではないけど自分は「美容師の〇〇」というだけでも少し自信が持てたんでしょう。
何もなかった、得意な事はあってもそれは普通に誰でもできる事だと思ったりして特別ではないと思っていたので、
肩書は、少し得意な事を褒めてもらえることだと思えたかもしれない。
なんせ、母親からは何でも普通が良いねん、あんたは普通と言われてたので、何にも自信が持てなかったし、自尊心には繋がらなかったんでしょう。
まあ美容師界に入るとそんな自尊心や自信なんてまた普通、もしくはスタートに戻りましたが (^^;)
そんなところから始まっての40歳過ぎてからの自分を好きになるとベクトルを自分に向けてからの訓練で始めています。
ある意味、陰キャラ、自己肯定感低い、自尊心ない。
ここからですから、初めに謙虚さは人一倍に心に備わったと思います。
徹底的にそれを訓練した!
その謙虚さが一気にまた自分を元(陰キャ、自分を信じない低次元)に戻してしまうという事も知ったからでもあります。
そう訓練しました!
訓練するのも、ベクトルの向きが大切なのも納得でした。
魂に向いていないで自分の魂も理解できないという事も。
魂で言うと、自分の魂はどれだけ生きているんでしょう
どれだけ自分の魂に気づいてあげたんでしょう。
どれだけ生まれ変わっているんでしょう、
そのたびに気づけたんでしょうか。
何度この次元に戻って続きを生きているのでしょう、
どれだけ生きてもその時の肉体に気づいてもらえないんでしょう、
今自分の魂の事なんて気にしないと言っている人も多いでしょう、
そんな魂は自分に矢印が向いていなくて無視されたままなんてどう思うでしょう。
何度生まれ変わっても無視されたままってどうなんでしょう。
自分にベクトルが向くと、ちょっとした事でも自分に肩書みたいなものが付くかも
主婦の私、お料理が好きな私、お料理が苦手な私、お花が好きな私、
こんな事から始まるのかも、
自分を意識するって (^.^)
自分を尊重できると、人も尊重したくなる。
人を尊重したくなると、人を良い人だと勝手に勘違いしたりして自分なりの期待感に傾けてしまう時もあったりするけど、
それもまたベクトルを自分に向ける事で期待もしないで済むようになる。
自分にベクトルを向ける事と自己中になる事は違うと分かるんだと (^.^)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます