緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

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続・死の世界も考える

2020-08-28 | スピ的視点
   昨日に死の世界について考えましょうという話をしました

家にお仏壇があったり、お墓参りに行ったり、ミサに参加したリ

身近にも死の世界を感じるものがあるけれど

それはご先祖様に通じているモノとしての感覚でしかないですよね

そして、「死」というと、ネガティブな事でしか考えられないでいる人の方が多いですよね

病気もそうですネガティブな事、そしてそれに関連する感情はネガティブモードな事ばかり

可哀想、悲しい、辛い、怖い、不安、心配、哀れ、惨め…

誰しも自分に対してはそんな事思いたくないと思っているから向き合わないでいるんでしょうが

人に対してはこのネガティブ感情を抱くし、ぶつけるし、投げかけるし、感情を寄せていきますよね

人に対して思いを寄せる事は間違いではないと思うけど、その本質の心意を自分が解っているんでしょうかという事です

それに、思いを寄せるのは良いけど、過剰にそのネガティブ感情を寄せすぎるのはどうでしょう

例えば人の事を哀れだと思う事もどうですか?

私は病気や死をそんなネガティブに捉えていないのですが

人から哀れや惨めだとお情け頂戴みたいなのは絶対に嫌です

昨日にも書きましたが、私が入院した時でもあまりお見舞いに来てもらいたくない、もちろん来てもらったら嬉しいし感謝でしたが、過剰には求めないです

入院なんて事はたまたまの普通の事だからと思っていたし、頼る事はお願いしたりしましたが。

普通の事に対して色んな感情をもらいたくないという気持ちの方が大きいですね (^^;)

その普通の事がネガティブに捉えている事が私にとって違和感で気づきの芽生えでもあったんですが。

昔に「お葬式」という映画があったり、生前葬というワードが世に出てきたり

相続の事、参列にやってくる人の事、色んな事を考えるきっかけでした

最近になっては「終活」というワードも、墓じまい、家族葬、直葬、樹木葬、散骨などのキーワード

「終活」で断捨離しながら過去の思い出や意識を手放すという事をしっかりする人もいますが、

これだけのキーワードに関しても何倍も考える事が出てきています

やっとこういった事が世に出て来たかと私は思いました

ちょっとはメジャーに考えられるのかと。

中にはお棺の中で着るものを選ぶとか、お棺に入ってみるとか、商売に繋げるイベントをみると、なんじゃそりゃ!と思う事がありましたが

そして、まだまだ向き合えない人や、まだその意図に気づかず流行ぐらいの気持ちだけで考える人もいます

大きな意味で「終活」なんですが

本当はその奥に「死」という事を考えるきっかけなんですよね

どうにか少しでも「死」の事をネガティブな事だと考える人が少なくなって

みんなで討論会でも気軽にできるような世界になって欲しいと思っています

「天に帰っていきますね~」「行ってらっしゃい」「ただいま~」「頑張ってきたよ~」なんて、「何度もこの世に戻ってきたらあかんよ~」って!

私は今生で終わりにしたい、もう二度と生まれ変わってこの世に降りて来たくないと、ある頃から言っていますが (^^;) 本当です!

「家族を失う事」で辛い事であっても、これも目の前にして、抱えていく事であったり、考える事であり、色んな意味や気づきが含まれています

全ては与え与えられの世の中です

先日、瀬戸内寂聴さんが言っていました

98歳で元気ですよね

色んな事に挑戦したリ、絵を描いたり、したいと思う事直ぐに始めたりしているそうです、

せっかく生きているのに時間があるのに何もしないなんてもったいない

何故するの?って聞かれたら、「ただしたいから!」って

死の世界を知っている人は、生かされていると知っている人は、余すことなくしたいこと出来るんだなと思いましたね

それを私がしたいかというと別ですが、

寂聴さんはそれも宗教家として悟りを伝える役目を持っているんでしょうね

死を伝えながら楽しく生きる事も出来るって事を。

死を目の前にしている時には感情が乱舞する

一瞬で息を引き取ると肉体の持つ感情は楽になる

まあその楽になりたくて自傷行為に至る人もいますが、それはちょっと今は論外です

命を考えるために与えてもらっているんですからね(^.^)



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