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長年地域に関わってきて、自分はこういう中にいる事が好きなんだなとつくづく思うのです (^^;)
幼い頃から人見知りだったというのに、未だに人見知りなんだけど。
人を観ている方が楽だったりしたんだろうなと今そう思う。
40代に突入する頃までは自分と向き合うというより、
人に怒られないように、間違いを起こさないように、真面目に良い人になると、それが心の根底に自分を作り上げていたんだと思う。
人の評価ばかり気にして、
親からどう思われるか、
人からどう思われるか、
そんな感じだったと!!
なので、人を喜ばせる方が楽だったのかも知れない。
自分と向き合わないで済むからだろう。
自分と向き合わないでも人から評価されるからだろうと。
人に向き合ってると自分ってどんな人間かも分からないし、考えないで済む。
基準は全て自分以外だったかも!!
本当の自分ってどんな人間だろうって知るのが怖いのかも知れない、
知ってどうなるかも不安。
そんな知る前に不安に思ってても始まらない。
知る前に人ばかり観てても自分の人生に真剣に向き合えない。
そんな事に悩んでいたわけじゃないけど、
もっと簡単に考えていたようにも思う。
簡単に考えて、直感で進めたらもっと良かったかも知れないけど、
それはそうとはいかなかったんだなと!!
自分の人生哲学を構築するためには自分の中の根拠もそれなりに必要だったんだなと (^^;)
最初から自分ばかり観ているのもそれはそれで身勝手にしかならないし、
やりたい放題になったりするもんでしょう!
他者を観る事で客観性や俯瞰へと意識が進んで行った事に必然を感じるからです。
最初人を喜ばせる事で喜びを感じながら、その方が楽と感じながら、
何だか寂しさも感じ、心が満たされないでいる自分も感じたわけで、
やっと自分の心と向き合い、心を満たすという事を意識するようになったのもホント人生の半世紀を迎えるころだった。
今となってはまず自分が楽しい事、自分が喜ぶことを第一に考えたくなった人生。
それは心も満たしてくれる。
心が満たされると、ホント感謝しかない。
そうなると、きっと人も自分で喜びを見つけるだろうと思うようにもなるし、それが一番だと思うと、信じていれば良いんだと思うともっと楽になる。
人の喜びも、人の楽しみもそれぞれだから、
たとえ人が病気や痛みを抱えてしたとしても、今はその人もそれを楽しんでいるんだと思えて邪魔するもんでは無いかなと。
その人の口から発せられる事と体の反応がズレている事は観て取れるけど、それも致し方ない、その人はそれを楽しんでいるんだと思うように。
ちょっと話はズレるけど、ちょっと世界観が違う話だけど、SMプレイを楽しんでいる人もこの世に入るもんね (^^;)
それと同じような感じかなと。
そうしないと生きている実感が湧かないのか、楽しめないのか (^^;)
ふとそんな風に思ったりして (;'∀')
ある意味、そこまでしてでも自分と向き合う人もいるんだなと (>_<)
そんな世界観を見てる私も他人だから思いを寄せるのも簡単で楽で、となるけど、自分がと思うと怖いもんね、その先にどんな自分がいるのかと思うと (>_<)
淡々と人のお世話して喜んでもらって良い人になるってホントある意味楽だったんだと思う!!
ちょっと今日に仕事しながら感じた事だった (^^;)
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