いつも物事の本質という事に視点を、と言ってる私
その「本質」という事にことの重きを置いて、
その本質に向かって、向き合って、自分の答えを導き出そうと
その中で、
「仕組み」という事にも興味あるようです
物の仕組みもです
この歳になってそこに興味もあると気づいたもんやから
今さら物の仕組みを追及していく事は無いけど
一応幼い時から、物づくりにも、何がどうなってるかも気になっていたようで
一旦はやってみたりして、解るともういいかって、無意識に繰り返していたように思う
表面的な事にはそんなに興味がなかったのかなって
今までの自分が所属するところでも
今回の絵の公募展もですが、賞を取るとか取らないとか、
そこを仕切っている組織に興味が無いので出したくなかったりとか
昔、美容師の技術のコンテストでも、学校のコンテストは授業の一環で必要だったので出てましたが、ウエーブの部で優勝したリして
でも仕事に着いてからは絶対に嫌で出なかった、
それはそれもその仕切っている組織の仕組みなり、決まりきったことに興味もなかったり、心で反発していたり
自己満足だけの我の世界やったかもしれないし、
本質的にそういう仕組みに全く興味が無かったのかも知れない
表面的な事は、後は繰り返しでもちろん行動が重要なんですが
その表面的な事がマンネリ化してくるのが世の常で
地域の活動だったり、何か組織的な事でもそうです
飽きてきたり、権威や権力の行使に至ったり、
いくら表面的なアイデアが出て来たとしても、
仕組みやそれを動かす人やモノで
上手く回ったり、回らなかったりする事があるということに
興味がいってしまい、気持ちが冷めてしまう
若い時にはこんな事がどういう気持ちからきているのか自分自身の事すら分かっていなかったんで自分の理解もしてやれなかった
でも今となっては自分の分析に至り、それを理解してやる事で十分だと分かると気持ちが断然軽くなる
その中でも、人の思いや考えや意識の仕組みにも興味あったんでしょうね
何で、その思いがこうなるか、とか
何でここで怒るか、悲しむか、とか
物の仕組みも心の仕組みも何が正しいとか間違いだとかという事も無い
仕組みも無限です
ある糸が絡む仕組みと同じく
意図も絡み、心も絡み
その「仕組み」が在るという事を知って初めて絡みもほどけ
新たな思いが仕組みを作って、組んで、形作っていくのかなって思う
いろんな組織でも、先に集まった意識はある意味同じ波動で集まる
けど、先ずはそこからの絡みを外し、捻じれや膿を出してからが始まるものなのかと
今までのこの世の中の100年の時代の膿は今出っ切ろうとしてるって感じる
来年のオリンピックとか国民全てが意識をもつ、そんな機会に
膿も出つつ、新たな仕組みが出来て行くのかなって
2030年に向かって、となると私も
68歳とかになって、自分の考える集大成?
以前から68~75までの人生で終わって欲しいという願い
それが絡みを外す期限なのか、命の期限かは神のみぞ知るだけどね
先日一人でぶらりお墓参りに行ってきて
ちょうど、主人の実家と私の実家も同じ霊園なので
誰よりも早かったんで、雑草がまだ生えてて、
スマホで般若心経かけ、宇宙の波動の音かけ、じっくり草抜きして
ご先祖たちの没年齢も私の願いと同じころ
ホントよろしくねって、お線香あげてきました
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