緩くスピリチュアリティな道を生きる…TAO

いつでも自分らしく…魂の感じるままに…気づいて行く…素直に表現する…そして楽しむ…

許す

2021-06-11 | 夫婦の事
  許すって簡単な事ではないですね

許すって人に対してだというけど

結局のところ本質は、人に対しての感情を持っている自分に対して許してイイよ許可してあげる事

「許す」がいつしか「赦す」となり、自分の内側のいろんな事から解放されるという事になる

そんな気づきや学びをしている私ですが

人に対する事で理不尽だったり、許されないなと思っている事があっても

その理不尽さが脳で整理されたり、理解できると「そっかぁ~」って (^_^;)…

そして人に対しても意外とその人を分析しているうちに、「あ~だからか!」と納得してい行くうちに、

こっちの感情が落ち着いていく場合が多いです

まあ言ってしまうと、自分の落ち度とかでは無いと思うとホッとするというか

自分をもそこから遠ざかるというか…

あまり腹立つことが無かったり、腹立つ事に気づくまでが遅かったりするんです

感情に疎いのかなって思ったりする

幼い時からも、毅然と意見を言われると、速攻気が引けて、私の方の記憶が正しいなと思う時でも言い含められる時の方が多かった

よっぽどじゃない限り人に怒る事も無い

「まあいいか」と自分に言い聞かせてきたのかも知れない

うちのオットは嘘や秘密が多い人です

何かのきっかけで嘘や秘密の要因が出てきたりして、どういうことなのかなと聞いたりするんだけど、そんな時も理由を聴けばそうなのかと納得する

時に、同じ要因に出くわしてもじゃあまたこれは何でなのかと聞いてもまた納得する

一生懸命自分を理解させようと自分で言い聞かせているのかなと思うぐらい

ホントに鈍感なのかなって

きっと嘘やと分かっているけど、それを問い詰めてもなと思ったり、可哀想だと思ってしまう

そうやって許し続けると、嘘や秘密が相手側は本当の事で当然の事となるみたいです

嘘に対して開き直り、暴言を吐き、虚像の中での自分を創り出すのか

自分を防御する事しか生まれてこない

許しても許しても嘘が土台になっている事に対しては許したことにならないのかなってふと考えてしまう

私が駄目過ぎたのか…

相手側のオットは自分自身を許せていない事になるからダメなんだなと気づく

許していたと思っても許せていない事ってあるんですね

なので、許し過ぎた自分、鈍感だった自分、もしかしたら魂は逃げていたのかも知れない自分

嘘とか秘密って、真実や真相が分からないからかもしれない

何を許したら良いかがどこか残ってしまうからでしょうね

この世自体が虚像だというのに

その上にまた虚像の世界を創っているいる人も可哀そうだなと思うから許し続けてきたけど

もう許すのも止めようかなと… (^_^;)…

そして…

許し続けた情けない自分を許してやろうかなと思うのでした (^.^)






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