心の免疫や心の余裕という話で、自分自身との信頼関係を強く太くする事が良いんじゃないかという話をしていました (^.^)
その信頼関係の糸や絆や光が繋がるという事ですが…
そもそも心って見えないもので、自分のも他人のも
心臓と言われれば、「そうか心(しん)の臓(臓器)だ!」とか分かるけど、その心臓が心とも繋がっていて、心の影響を受けていて、心の病までも表現するって思っている人がどれくらいいるでしょうね
ましてや心臓自体も勝手に動いてくれてると思っているんでしょうか
命がある限り動いていると思っているのか、命が終わる時に心臓が止まるのか、心臓が止まったら命が終わると思っているのか、
私も50歳過ぎてから、脳が心臓も動かしているよと知ったのですが、心臓の動きが身体を動かしている動力の基のようなものぐらいにしか思っていませんでした
心は見えないけど、せめて心臓の音と繋がったり、鼓動を聞いたりしながら自分の心の表現をしてくれている心臓と通い合い、心を実感してみてはどうでしょ
自分の心って当然自分の中に在るもんだと思っているし、みんなそう思っているのかな (^.^)
自分の考えと一致して、何をするにも共にいて信じあえているのかな
心って、自分のものなのに自分と離れている時もある、闘っている時もある、嘘つき合ったり、騙し合ったり、押さえ込んだり、無視したり、
これもある意味、心を実感しているんでしょうね
私も自分の心とインスピレーションで繋がる時がありますが、何でも良し、全て良しという根底があるので、プラスマイナス両方の答えが返って来る時があります
心が迷っているのかな?とか、人には客観的になれるけど自分には無理なのかなって思ったりするけど、信じていたらやっぱ行動で証明される…といつも知らされる
ホントそうだった…と思いながら信頼関係を結んで来た
そしてそんなインスピレーションもただの感なのかなって思う時もあるけど、感を確証に変えていく事も人生には必要なんですよね
こんな繰り返しですよね…人生って (^.^)
こんな話もインスピレーションでやって来るんですが、
何でも吸収する時には感でも良いけど、それを伝える時は言葉にするから難しい
でもその伝える事だって、受け取ったインスピレーションを言葉にする事で自分の理解や解釈がまた深まり成長となるので楽しい事
人生哲学って…自分の中でも大きく広がったり、また奥へ深まったり、深まればまたっ広がったり
それを自分の心と共にしてるんだなと思うし、魂としているんですよね (^.^)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます